「疲れたな…」
最寄り駅に着き、改札を通るために取り出したスマホをそのまま手前に持ってきて、時刻を確認した。
「二十三時か…こういう補導時間を気にしないあたり、真奈美って意外と不良だよな」
見た目は多少チャラついているものの、ふわふわとした様子は善良さを感じさせる。しかし、実際は規則など気にもしないフリーダムさが目立つ。
それに最後まで付き合う私も私なのだが。
「にしても、最後の電気屋によるのは別日でよかったろう…」
結局、イブの夜まで寂しさを紛らわせたかったらしく、カラオケに行くだけでは終わらなかった。某有名かつ巨大な電気屋に何故か付き合わさられ、真奈美のスマホ保護フィルム購入に同行する事になった。当然それだけでは終わらず、ガジェットのウィンドウショッピングまで行った結果がこの時間だった。
「最寄りまでが遠いのも難点だなぁ」
愚痴りながら遊歩道を歩き、家までの道のりを早足で駆け抜けた。つっきる道をぐるりと見回すと、大きな公園が見える。だだっ広い広場が続くばかりの公園だが、二十三時を過ぎると流石にひと気が消えて不気味さを帯び始めていた。
年相応に怖気づきながら、急かされるように駆け抜けると十分ほどで自宅に着いた。こじんまりとしたアパートの敷地内へいそいそと駆け込み、鍵を取り出して開けようとすると、鍵がかかっていない事に気づく。
「…?」
疑問に感じながらも深くは考えず、寒さに肩を上げながら家に転がり込んだ。
「ただいま」
玄関に上がると、まっすぐに廊下が伸びている。
左に一つ扉があり、それが私の部屋。右には二つ扉があるが、部屋は一つだ。私の部屋の真向いの部屋が父の部屋であり、その奥にある扉はトイレである。
廊下の先にはリビングに続く扉があり、普段通りならそこから光が差し込んでいるはずだった。
玄関に上がった瞬間に抱いた違和感の理由を探せば、すぐにわかった。父の部屋が、空いていたのだ。
今は二十三時。父が寝ていても不思議じゃなく、リビングに光がないのは可笑しなことではない。けれど、部屋の扉が開いているとなると、途端に違和感が生まれる。
父は部屋にいる時には必ず扉を閉める。そしてリビングで寝る事はない。
つまり、この状況は父の不在を意味している。
「…父さん?」
靴を脱ぎながらも、視線は廊下の奥に釘付けだった。
父がいるのなら、リビングに光が灯っているか部屋の扉が閉まっていなければおかしい。
「…いないの?」
何の返事も気配もせず、ただ不気味な闇が広がるばかりの廊下をしばらく見つめて、覚悟を決めてから歩き出す。
廊下の軋む音がやけに大きく聞こえた。意を決してずんずんと進むと、開け放たれたままの父の部屋にはやはり誰もいなかった。
あっという間に行き止まりの扉までつき、ドアノブを握る。固くしまったリビングの扉を開けると、眩しい程の闇が広がっていた。
「…なんだ。居たなら返事してよ…父さん」
闇の奥にポツンと、消え入りそうなほど小さな背中があった。ダイニングテーブルの廊下側の先に座り、明かりもつけずに座る姿は異様だった。
「…ライン」
わずかにこちらを振り返り、小さな声を発した。
「え?」
思わず聞き返すと、やっと横顔が見える程度にこちらを一瞥した。
「…未読無視か?」
それだけでは、何を言っているのかすぐにはわからなかった。しかしわずかに考え込み、それがマックにいる時に来たラインの事だと気付き、急いでポケットからスマホを取り出す。
ラインを開くと一件、未読のトークがあった。そこにはただ「今日は早めに帰ってきて」とだけ、メッセージが入っていた。
「あっ…と、ごめん。後で返事しようと思って、忘れてた」
言い訳ではない。事実だ。無視しようなどと、そんな事思うわけがない。けれど、父はそれをどう捉えたのだろう。
乱雑に椅子から立ち上がると、私を除けて廊下へと歩き出した。
「まぁ、いい。それより、俺の部屋に来なさい」
声には少し圧があり、有無を言わさぬ雰囲気であった。
「…うん」
振り返る事もなく自室に入ってしまう父の姿に、完全に委縮していた。何がそれほど気に触れたのか、疲れた頭で巡らせながら暗い部屋に入る。
すると、やはり父は電気をつける事無く部屋の隅に置かれた紙袋を漁っていた。
「…何してるの?」
答えはしばらく返らなかった。父が立ち上がり、こちらに振り返る時にやっと、言葉を発した。
「今日が何の日かわかるか?」
「えっと、クリスマスイブ?」
「そうだ。これ」
無作法に、ぶっきらぼうに父が突き出したのは長方形の黒い箱だった。赤いテープでラッピングされていたので、それがプレゼントであると一瞬で察する事が出来た。
「…え?私もう、高校二年生だよ?」
わかっている。クリスマスプレゼントくらい、親子の関係でもあげあう習慣がある家庭はあるだろう。けれど、私達の家庭は少し疎遠で、そんな習慣はなかった。だから、クリスマスプレゼントなんてサンタを信じていた幼児以来であり、故の驚きだった。
「開けてみろ」
父は別に、寡黙ではない。であるにも関わらず、先ほどからのやけにぶっきらぼうな言い方は、てっきり怒っているのだと考えていたが、これは照れているからかもしれないと気付く。
そう思うと、途端に喜びが沸き起こり、急いでプレゼント用に結ばれた蝶々結びを解いて箱を開けようとする。
「楓等、今日はな、母さんの十三回忌だ」
「えっ…」
「だから、今日はお店も予約してご飯でも行こうかと思っていたんだ。もう、キャンセルしたが」
「……」
すっかり忘れていた。その罪悪感に、箱を開ける手が止まる。しかし、そんな私を急かすように父が肩をつつき、促されるままに箱の中を見た。
「これ…!父さん、覚えていてくれたの!?」
箱の中には、二つのペンが入っていた。
「万年筆、昔ショッピングモールで欲しがって、泣きじゃくった事あったろ?」
「そんなのもう十年以上前の話だよ!それなのに、覚えていてくれたんだ…」
一種の中二病だったのだと思う。ただ何となく、かっこいいからという理由で欲しがって、母を困らせたものだ。今はもう誰にも言う事は無くなったが、実は未だに欲しいという想いがあったのもあり、思わず顔が綻んでいた。
「もう一個のは、まぁ、高級なボールペンだ。楓等ももう高校三年になるからな。そろそろちゃんとしたボールペンを持っていた方がいいかと思って。大事な書類を人前で書く時なんかに使うといい」
「ありがとう…!今日はライン気付かなくてごめんね。また明日にでも──」
喜びに、飛び跳ねそうになりながら振り返った。
少し疎遠な家族だったからこそ、父の方から近づいてくれたのが嬉しくて。お店まで予約して、プレゼントを用意してくれていたのが、その気持ちが何よりも嬉しかった。
同時に、申し訳ない気持ちも強くて。らしくない、とても私らしくない、感情をダイレクトに伝える笑顔をリップサービス含めて大袈裟に、たっぷり込めて振り返ったのに。
父の振り下ろした灰皿が、振り返った私の側頭部を殴打した。
「あぁ──」
やっぱり、こうなるか。全ては、察していた通りだった。