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夜も更け、静まり返る十二月末の夜。
「いらっしゃいませ」
師走もゴール目前となった時期に、男は大きめの手提げバックを持ってホテルに入った。
深々と頭を下げるフロントの女を無視して横断し、通路の脇にある扉の前に立つと、暗証番号を入力する。
中のロックが外れた音を聞き、乱雑に扉を開けた。
「遅かったな、デイビット」
中にいた立花がたばこを吹かしながら、挨拶代わりの声をかけた。
その部屋は事務所だった。
直角二等辺三角形に近い部屋は、直角以外の頂点二か所にドアがあり、反対側のドアはフロントへと繋がっている。
そのフロント側へ背を向けて、立花が眺めている場所には監視カメラの映像があった。
一つの画面に九つの映像、それが二画面。計十八個の監視カメラ映像は少し過剰に見える。
エレベーター内やフロントだけでなく、裏手のゴミ置き場や屋上など、凡そ通常は置かないであろう場所までも映し出されていた。
事務所に積まれた段ボールの上へ、乱雑にバックを投げる。
「それは?」
「荷物だ。あの女子高生の。楓等とか言ったか。お前が頼んできたんだろ」
「服がないって言われたからな。でもわざわざ取りに行ってきたのか?」
「サイズやら何やら一々聞くより、こっちの方が早い。それに、あの娘が住所を教えてきたのは見てきてくれって意味だろう」
まったく以て面倒だ、と肩を竦めながらデイビットは我が物顔で冷蔵庫を開け、中に入っていた未開封のお茶を取って飲んだ。
「どうだった?」
立花の主語の無い物言いにも、随分慣れた。
聞きたい事を察し、今さっき行ってきた彼女の家を思い出す。
「死体があった。まぁ予想通りだな。縊溝からして最初の死因は縊首だろう。そこに男性の死体、恐らく父親だな。死後三日から四日程度。死体の状況からある程度何が起きたのかは推測できた。聞きたいか?」
「勘弁してくれ。この夜勤があけたら久しぶりに昼間は休めるんだ。連勤明けだぜ?だってのにそんな話聞いたら胸糞悪くて寝むれなくなる」
立花は心底苦そうにブラックコーヒーを啜り、たばこを掻き込む。
たばこを銜えながらポケットからスマホを取り出すと、立花は年齢に似つかわしくない若者御用達のアプリを開いた。
「これ見たか?」
立ったままだったデイビットにも見えるようにスマホを机に置くと、画面には短い動画が映っているのが見えた。
縦画面の、臨場感あふれる動画には、一人の女子高生が血まみれのままゾンビのように起き上がる姿が映っていた。
「…もうネットに上がっているのか」
「まずいぜ。不治者だってのが証拠付きで出回った上に、父親殺しが結びついちまったら…世間的にも法律的にも居場所がなくなる。既に昼間の戦闘機テロとお前の目撃情報から、警察の中じゃ捜査線上に上がってるだろうな」
「…死体の状況的に、すぐに通報される。されなくても、明日にも事情を聴きに警察が家に来るだろう」
「…殺しをやってる不治者相手に、警察はどう動くんだろうなぁ。未成年だから実名報道まではされねぇと思いたいが…」
「……」
立花の話を聞いても、デイビットの顔色は変わらなかった。その様子に、立花は胡乱な心情を露わにする。
「わかってんのか?おめー今、面倒ごとに首突っ込んでるぞ。あの子を追って警察がここに来れば、俺達纏めてお縄だ。あの子の名前も住所もすぐにネットに晒される。死体を報道されりゃ、ネットじゃ二つの関連に気づく奴だって現れるだろうな」
「だから?」
「本当にお前にレオンを追う気があるなら、余計な人助けしてる暇はねぇんじゃねぇのかって言ってんだ」
語気を荒げて副流煙を吹きかけてくる立花を冷めた眼差しで見ながら、デイビットは空調まで歩いていき換気扇をつけた。
「それで、俺が楓等を見捨てると本気で思っているのか?」
何てことないように言い放つデイビットに、「まぁ、だよな」と立花もわかり切っていたと笑い返した。
「けどよ、だったらどうすんだ?匿い続けるのにも限度があるぞ」
「そんなに長い事匿う必要もない。もうじきこの国は戦場になる。そうなれば、ちんけな殺人犯一人追い続ける余裕はなくなるだろ?」
「でも、お前はそれを止めるためにここまで来たんじゃないのか?」
怪訝な顔をする立花に、ドアに手をかけながら返事を返す。
「ああ。だが、火種は一つじゃない。出来るのは、少しでもマシな戦場になるよう足掻く事だけだ」
※
楓等は特段、朝が早い方ではなかった。
しかし、昨晩は疲れから二十一時には寝てしまい、それでもたっぷり九時間の睡眠を経て六時に起床する事になった。
自分に何が起こったのか、現実感は依然わかないまま、それでもシャワーを浴びたいと考えたところで着替えが無い事に気づく。
寝る前にフロントに電話し、早速立花に服の用意を頼んでいたことを思い出し、フロントに向かっていた。
デイビットに「入用だったら立花に言え」と言われてはいたものの、雑用を頼んだことを申し訳なく思いながら一階に降りると、昨晩と変わらず立花は一人フロントに立ち尽くしていた。
「おはよう、ございます」
ぺこりと挨拶をすると、男は寝不足を湛えた顔で「おう」とだけ返事をした。
「あの、頼んでいた服って…」
「あー、そうだったな。ちょっと待ってろ。事務所開けるから」
すぐに奥の部屋に消えてしまった立花を待っていると、通路の奥の扉が開き、立花が顔を出した。
男に促されるまま事務所に入ると、立花は段ボールの上に置かれたバックを指さす。中を見ると、楓等の服や日用品が一式入っていた。
「これ、家まで取りに行ってくれたんですか!?」
「俺じゃなくて、デイビットがな。後で礼言っとけよ」
「はい!あっ、ていうことは……」
瞬時に楓等は思い出した。今の自身の家に、何があるかを。楓等をちらりと見た立花は「あぁ」とだけ相槌を打ったが、それはつまり「見た」事を肯定していた。
気まずい沈黙が流れる。朝っぱらから早鐘を打つ鼓動に、楓等は胸を抑えて俯いた。
「後悔してるのか?」
「…え?」
「父親を殺したこと」
聞かれて、答えはすぐに出た。
けれど、その所在を探すのにしばしの時間を要した。
「後悔、してます……父を、許せなかったこと」
されたことを思い出して、それでも、楓等は父を許したかった。
そんな姿に、立花はつまらなげに「そうか」とだけ答えた。
「私も聞いていいですか?不治者のこと」
「俺が知っている範囲の事なら」
「色々聞きたい事はあるんですけど、不治者を殺す方法があるって本当ですか?」
「本当だ。お前さんは、不治者がどうして不治者って呼ばれているか知ってるか?」
「いえ、そう言えば聞いたこと無いですね。学校でも習いませんよ」
「だろうな。お前の最初の死因、首つりだろ?」
突然言われて、楓等は驚きながら首を撫でる。
「え、どうして…?」
「いやいや、その首の痕みりゃ誰でもわかるぜ。けどおかしくないか?不治者は生き返る時にあらゆる傷が完全に回復する。なのに、傷跡とはいえどうして死因となったものだけは消えていない?」
「あっ、確かに。気付きませんでした…!」
「それが、不治者を殺す方法だ。つまり、死因を踏襲してやるんだ」
「…死因を、踏襲?」
「ああ。車で轢かれた奴は車で轢く。撃たれて死んだ奴は撃って殺す。そうやって、不治者になったきっかけの、初めての死を再現する。自分の最初の死因だけは治せねぇんだ。そういう不治の病を抱えた不死身の人間。だから『不治』者だ」
「…なるほど……あれ?」
「ん?どうした?」
立花に聞かれた事も忘れるほどに、楓等は一瞬、自身の矛盾に気づく。
「…いえ、私、自分が初めて死んだ時の記憶が曖昧だったんですけど、これってよくある事なんですかね?」
「そうだな。初めての復活は負担が大きいんだろう。俺も特に直前の記憶なんか思い出すのに随分かかった」
「…そう、なんですね」
「…なんだ?様子が変だぞ?」
怪訝な顔をされてしまったので、楓等は考えを一旦止めて話に戻る事にした。
「いえ、何でもないです」
「…?そうか。まぁこの最初の死因ってのは、不治者にとってもう一つ大きな意味があってな。不治者に発現する異能も、この死因と関係がある」
「異能…ですか」
まだそのファンタジーには慣れず、少し他人事のような面持ちで話を聞く。
「この辺りはまた細々した話になってくるが…お前さんはあまり興味がなさそうだな」
「いえ、そういうわけでは…不治者に発現するって事は、私にもあるってことですよね?何だか現実感なくて」
「まぁ、そうだろう。普通に生きる分には必要もないしな。また聞きたくなったら来い」
「はい」
当初の目的通り、着替えを持って部屋に戻りシャワーでも浴びようとバックを持つと、中に何やら服ではない見覚えのあるものが入っている事に気づく。
「…これって」
それを手に取り、楓等は会いに行かなくてはいけない人がいる事を思い出した。
「あの、立花さん。外、行ってきてもいいですか?」