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第2話

 そのとき僕はまだほんの18歳の少年で、僕が生まれた祖国は、おそらくその歴史が始まって以来のとんでもない危機に直面していた。


 いくつもの大国に無謀な戦争を仕かけ、ほぼ負けそうになっていた。それまで様子見をしていた世界中の国々が、こちらが負けるとわかると次々に宣戦布告してきた。

 全世界が敵だった。


 海に囲まれた僕の祖国は、その海に守られてこれまで長い歴史を保ってきた。何度かあった滅亡の危機は、その都度、海が防いでくれた。だが今度ばかりは勝手が違う。敵は全世界だ。全世界が、幾千もの艦艇や幾万もの航空機に乗って押し寄せてくる。


そしていずれ無数の上陸用舟艇が、僕らを皆殺しにするための異国の兵隊たちを満載して、祖国の海浜に殺到するに違いない。


 僕は特攻隊員として、この侵略者たちを撃退する任務を負っていた。


当初は、航空機を操縦して敵艦に突っ込む予定だったが、その航空機のほうが先に枯渇した。いや、正確にいうとまだ数はあったのだが、もう燃料が尽き、満足な状態で飛び立つことができなかった。

 ましてや、いわばヒヨッコと同じ僕らに回すような訓練用の燃料など皆無だ。


 航空隊は制空権を失い、海軍は制海権を失い、なけなしの重油や物資を積んで死の罠と化した東シナ海を渡航してくる油槽ゆそう船や貨物船は、次々と敵の潜水艦の餌食になった。


 半狂乱となった祖国は、女や子供たちに地面をほじくり返させ、松の根から油を取るようなことまでやりだしたが、そんなにまでして精製された燃料は、すぐにエンジンを詰まらせ、空中で動きを止めてしまうような代物だった。


 もう、飛び立つ訓練どころではない。そこで僕の祖国は、僕らいわゆる肉弾資源を有効に活用すべく、燃料のいらない特攻任務を割り振ることにした。


 僕らは粗末な厚手のゴムで作られた潜水服を着こみ、頭に鋼製のバケツのようなかぶとかぶせられ、海に沈むことになった。海上から酸素を送らなくてもいいように、二本の酸素ボンベを背負わされた。そして吸気と排気を区別し、汚れた空気を濾過する循環装置を取り付けて、いつまでも海底に潜むことができるようにする。


 僕らは黙って海底に散開して待機し、敵軍の上陸がはじまったら、自分の判断で目標を見定め、海底を這って近づく。そして長い竿の先に取り付けた機雷きらいを敵船の船底に突き出し、これを爆砕する。


 おそらく、瞬時に数百の敵兵が海に投げ出されることだろう。そして海岸からの砲撃や機銃掃射で落命し、あるいは力尽きて、海の中に沈んでくる。


 僕らは、こうして空中から敵艦を撃破するのと同じ戦果を挙げることができるのだ。


 ただし、代償は支払う。

 自らの命だ。


 破壊力抜群の棒形刺突しとつ機雷は、作動すれば確実に敵船の底を破るが、同時に、それを突き出した僕の身体をも四散させる。助かる道はない。いや、下手をするとそれは周囲に散開した仲間の命をも奪う。彼らは味方の巻き添えを喰って散るわけだ。


 誰もやったことのない攻撃方法だから、安全距離についてのデータがまだ無かった。だが、僕らはチームだ。チームの中の誰かが得点すればいい。海の中から爆雷が炸裂し、続いて海中のあちこちから次々と誘爆して海全体に大きな白波が立つ。ひとつひとつの水柱が、僕らがしばらくこの世界に生きていたことのあかしだ。きっと壮観だろう。


 まあ、僕らがそれを見ることはないのだけれど。




 僕らは、「伏龍ふくりゅう攻撃隊」と呼ばれていた。


 伏龍とは、水底にじっと潜んで雄飛の機会を待つ龍のことだ。確かに、僕らにふさわしい。本当は景気よく昇龍しょうりゅうあるいは翔龍とでも名付けてもらいたいところだが、おそらく海面近くにまで浮上して敵船を攻撃することのできる時間は、ほんのわずかだ。僕らは、敵の攻撃の前夜、海岸から歩いて海中に入り所定の位置につく。そして攻撃開始までの十数時間を、そのまま海底で待機して待たなければならない。


 だから、僕らは伏龍なのだ。臥龍がりゅうの方が格好は良いが、まあ折り合える範囲だろう。偏狭で洒落っ気のない我らの司令部にしては、上出来の命名だ。


 僕らは伏龍として、ただじっと海底に待機しなければならない。


 そのかん、食事は腰につけたチューブからの流動食のみ。排泄はいせつは潜水服内に垂れ流し。もちろん自慰はできない。誰かと会話することもなければ、家族に手紙を書くわけにもいかない。

 ただじっと無聊ぶりょうに耐え、一人きりでその時を待つ。


 素潜りをしているのではないから、自分のはだに直接水が触れるわけではないし、海底の岩や砂に素手で触れられるわけでもない。揺れる波間を見上げ、地上からわずかに届く陽の光を拝むこともできない。なにしろ、頭にはすっぽりと不恰好な丸い鉄兜がはまっている。目の前に小さな楕円形の防水硝子が取り付けられているが、視界は限られている。そこから見えるものは、ほんのわずかだ。


 いやそれ以前に、僕らが潜む海底の世界には、そもそも光がほとんど届かないのだ。

 だから周囲はただ、闇の世界だ。


 暗闇の中で僕らは、ただ波にゆらゆらと揺られている。

 いや、闇自体が揺れている。まるでそれ自体がひとつの大きな揺籠ゆりかごであるかのように。


 僕らは揺籠の中でただ嬰児のようにすやすやと眠る。さらに意識がさかのぼり、いつの間にか母胎に揺られ、胎児になって眠り続ける。


 僕らは闇の中で眠り続ける。いつまでも、ただ幸せに。




 いや。そういうわけにはいかないのだ。


 実はこの伏龍用の潜水装置はとんでもなく危険な代物で、ろくにテストもされずに急いで実用化されたため、安全性に重大な欠陥があった。


 まず、背中に背負った酸素ボンベからの吸気は、鼻から行う。そして呼気(息を吐く)は口から。これは水中にいるあいだの僕らの鉄則だ。


 口元の排出孔から伸びたゴム管は、酸素ボンベの上に重ねて背負う空気清浄缶へと通じている。中には苛性かせいソーダの顆粒かりゅうが詰まっており、僕らが口から吐き出した炭酸ガスを吸収し、濾過する。だから僕らはそれを空気として再利用できるのだ。


 しかし、着ている僕らがもし中で呼吸の仕方を誤ると、大変なことになる。吸気と呼気の順番を間違えると、すぐに炭酸ガス中毒に陥る。考えてみてほしい。酸素のつもりで必死に吸い込むのが、みな二酸化炭素なのだ。苦しいなどという程度の話ではない。わずかの間に事態を把握し、気を持ち直し、大急ぎで呼吸を立て直さないと、最悪の場合、僕らは海底で意識を消失してしまうのだ。もちろんそれは、確実な死を意味する。


 また、なんらかの理由でこの循環呼吸システムが破損すると、流れ込んできた海水と、劇物である苛性ソーダが反応し、きわめて大きな溶解熱による高温の強アルカリ液となって吸気管を逆流してくる。


 そうなると、もう終わりだ。この恐ろしい熱水が喉の奥へ奥へと流れ込み、僕らの内臓は瞬時に焼けただれる。即死はしないが、それだけにタチが悪い。僕らは水上に引き上げられ、病院に搬送されるが、その間、極限の痛みと苦しみにのたうちまわることになる。


 もちろん医療班も手は尽くしてくれるだろうが、その努力は、ただ僕らの苦しみの時間を長く引き伸ばす結果にしかならない。

 どうあろうと、僕らはいずれ死なねばならぬのだ。


 だから、攻撃前の長い待機時間中、僕らは常に気を張り、指定された特殊な呼吸法を忘れぬようにしておかなければならない。平素からこの調子で息を吸い、吐いて暮らす訓練をしているので、意識さえしておけば間違うことはない。


 が、海底ではいろいろなことが起こるのだ。


 どんなにきちんとこの呼吸法を習慣付けておこうと、いざ、全く予想もしていない突発事が起こったとき、常に正しい対応が取れるとは限らない、それに僕らは、全員がまだほんの10代後半の少年兵にすぎないのだ。


 また僕らは、薄いペラペラの金属でできた清浄缶を、海底の岩などに当てないように気をつけて行動し、蛇腹管の取り付けが緩くなっていないかなど、とにかく事前の準備をしっかりしておかなければならない。


 ちょっとしたことで注意を怠ったり、なにかに慌ててしまったりすると、それはすぐさま死に直結する。敵と差し違えて死ぬため海に潜るのに、敵を見る前に死んでしまう。それも、長い長い苦しみの果ての悶死もんしだ。


 あまりにもやりきれない。




 幸いにも、僕は間違うことはなかった。


 だが、多くの仲間が間違えた。

 訓練の初日、そして少し慣れて気の緩む頃に、何十人もの仲間が海中から引き揚げられた。


 彼らは蒼白な顔をして、血とよだれと泡と臓物ぞうもつのかけらを吐き出しながら、まるで釣られたばかりの魚が暴れるかのように手足をじたばたさせる。少し軽度でまだ言葉を発する余裕のある者は、おかあさん、おかあさんと叫び続け、やがてこと切れる。最初からぐったりしている幸運な者もいたが、その数はわずかだった。


 彼らは大空に飛び立つため軍隊に入った。だが、その最期は大空ではなく、深い海の中の真っ暗な潜水具の中での悶死だった。

 いったい彼らは、なんのために生まれてきたのだろう?




 広島の海辺の生まれでもともと水に慣れている僕は、幸い、こうした事故を起こすことはなかった。求められる課題を、初日からかなり余裕を持ってこなしていたと思う。訓練過程が進み、軍からの要求はより厳しくなっていったが、僕は問題なくすべてを抜群の成績で達成した。


 数週間後には、僕は部隊内で「特級潜兵とっきゅうせんぺい」と称されるほんの数名のうちの一人に選抜されていた。


 誰かに聞いたところでは、陸軍でも「特級射手」はかなり優遇されるのだという。遠隔射撃の腕前を見込まれた彼らには、特別に調整された精密なスコープつきの小銃が渡され、戦場に潜み、敵の指揮官など、めぼしい獲物を狩るという任務が課せられる。もちろん、標的を撃ち倒したあとは、怒り狂った敵兵に取り囲まれ、必ず彼らも惨殺されてしまうことになるのだが。


 狙撃銃の代わりに僕ら特級潜兵へ用意された褒賞は、なんと、海の中でのねぐら・・・だった。


 後方の安全な司令部で、自分達は決して水底に潜ることなどない無能な参謀たちが思いついた机上の計画を、現場の部隊は、常になんとか少しでも実効性あるものに修正しようと腐心していた。この伏龍作戦も、御多分に漏れず細部にかなりの無理があり、実戦ではまるで役に立たないものであることを彼らは早期に看破していた。


 だが余裕のない末期の軍隊では、上への意見具申は、即座に、ある種の怯懦きょうだとして強く却下されてしまうものだ。現場ですでにその種の経験を何度もしている指揮官たちは、若い部下たちを死なさぬ方策ではなく、その確実な死が、せめて少しでも戦局に寄与するような方策を編み出した。


 それが、海中潜伏施設の設置だ。


 既に述べたように、伏龍攻撃は、一発の爆裂が連鎖して複数の爆発を引き起こす。一人が敵船を爆破すると、周囲に散開して攻撃の機会をうかがう味方を巻き込んでしまうのだ。


 また、敵は上陸前に徹底した砲爆撃を加えるのが常だ。これまでは地上目標だけが狙われていたが、仮に狙いの外れた弾が一発だけ手前の海中で炸裂した場合、海底で配置についていた伏龍がどうなるか、想像に難くないだろう。また、敵が伏龍攻撃の可能性に気づいた場合、奇襲の優位は失われてしまう。無尽蔵の弾量を誇る敵軍は、上陸の直前に徹底的に海面をも爆撃するに違いない。一種の事前掃海作業だ。


 もしそうなった場合、敵の本土上陸に対し、伏龍部隊は一矢も報いることなくむざむざと海岸の防衛線を突破されることになる。それだけはなんとしても避けなければならなかった。なぜならそれは、部隊の不名誉になるからだ。


 そこで彼らは、攻撃開始の直前まで、僕らを安全に隠しておくための海中防御施設を設けることにした。当初はコンクリート製の掩体えんたい蛸壺たこつぼが検討されたが、海中爆発の衝撃から完全に身を守ることは難しい。


 それよりもマシな方策として、沈船利用がよいとされた。


 あらかじめ内部に水密式の居住区画を設けた廃船を、戦場付近の海底に沈めておくのだ。僕ら伏龍はあとから潜り、装備を外して居住区画に入り込む。そこで敵軍の事前砲爆撃をやり過ごし、上陸部隊が向かってくる頃合いで着装し、海底に展開するという寸法だ。


 これは、実現可能な良い案だと思われた。だが破滅的な船舶不足の状況で、都合のよい廃船を見つけてくるのが難しい。計画は一部変更され、居住区画のない、すでにそこに沈んでいる海底の残骸を探して、その中に潜水服のまま立てこもるという計画に替えられた。


 まるで海中に棲む魚や蛸そのものだが、いちばん現実的な生存策ということで、訓練は真剣に実施された。


 来る日も来る日も、僕ら数名の特級潜兵は、訓練場の近くに沈んでいた明治時代の沈船まで潜り、そこで長時間過ごす特訓をおこなった。訓練の進行とともに装備もわずかに改善され、僕らの潜水可能時間は飛躍的に伸びた。


 世界ひろしといえど、これだけの決意と技量を持った水中攻撃部隊を擁していた軍隊は他にはなかっただろう。敵の本土上陸は晩秋と見積もられていた。あと2、3ヶ月だ。その間により効果的な刺突機雷が完成すれば、僕らはきっと、海中から敵軍に大損害を与えてやることができる。


 僕らの意気は上がった。


 自分が死ぬことなど、別にどうということはない。身は鴻毛こうもうより軽し。僕らは、来たる決戦の日を待った。




 だが、その日は遂に訪れなかった。



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