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第3話

 いつものように沈船に潜み、暗黒の中で孤独と無聊に耐え、実に十三時間ぶりに海面に浮上した僕らは、乗り込んだカッター(訓練用ボート)の上から、異様なものを見た。


 西のほうの空で閃光がひらめき、やがてもくもくと黒い大きな雲のようなものが立ち昇ってきた。


 見たこともないような巨大な雲だ。それは雲というより、巨大な蛸の頭のように膨らみ、うねり、ひっくり返りながら上昇する。やがて雲の一部が分離して、白いクラゲのようにぽかりと真上に浮いた。


「火山かな?」

 誰かが呟いたが、そんなはずはなかった。その方角に噴火するような活火山はない。その位置にあるのは、巨大な広島市街のはずだ。僕らは、同時に気づいた。


「広島がやられた!」

 周囲にB29の編隊は見えなかったが、この巨大都市が敵の空襲にったことは確実だった。しかも、明らかに通常の空襲ではない。あの巨大な雲以外は、なにも見えないのだ。僕らは全員、カッターの上で凍りついたように黙った。




 非常呼集がかかり、部隊は慌ただしく準備を始めた。現地との通信は途絶していたが、周辺の別部隊や放送などから得られる断片的な情報から、広島に、正体不明の新型兵器による攻撃が加えられたことがわかってきた。すぐにでも敵軍が上陸してくるかもしれない。僕ら伏龍部隊は、大至急配置につかねばならない。


 だがこの警報はやがて解除された。冷静に考えてみれば当たり前の話だ。本土のふところ深く、瀬戸内海に位置する僕らがいきなり敵軍の上陸にさらされるなど、地勢的にあり得ない。僕らも、いざ出撃の場合は、九州南部か四国南岸のどちらかに配備されることになるだろうと言われていた。


 やがて、広島市街へと向かった偵察隊の第一陣が帰ってきた。みな一様に顔がこわばっていた。誰もかれもが打ち沈み、ただうつむいて何も言わない。やがてその報告を聞いた部隊長から告示があった。


 広島は、卑劣な敵の新型爆弾による攻撃で壊滅した。市街の大半は消失。建物は吹き飛ぶかあるいは瓦礫がれきとなって、大きな火災があちこちで発生している。民間人の犠牲者多数。彼らは全身にひどいやけどを負い、焼け爛れた皮膚を引きずりながら市街を彷徨さまよっている。さらに現地には正体不明の黒い雨が降り、場所によってさらに新しい被害を生んでいる。


 どうも、この新型爆弾は、かねてから噂になっていた原子爆弾の一種らしい。これまでの、高性能爆薬の炸裂や焼夷しょうい効果を追求した爆弾とは違い、全く違う核分裂の原理を応用して開発された新兵器だ。我が国でもその研究に当たっている科学者はいるが、まだ、まったく実用化できていないという。


 僕らの潜水訓練は中止され、部隊の総力をあげて広島市への救援を行うことになった。前夜の長時間潜水で疲弊し切っていた僕らは休養を命じられ、作業には二日目から加わった。基地から支援物資を満載した大発だいはつ(大型の上陸用舟艇)に乗り組み、広島湾内を移動する。やがて宇品の港に着き、艇首の道板どうばんが開くと、何人かで大八車だいはちぐるまを押し、あるいはリヤカーをいて踏み渡る。


 被爆地から遠い宇品はまだ大丈夫だったが、市内に近づくにつれ、広島を襲った未曾有の惨禍の様相が明らかとなってきた。


 木造家屋や商店のほとんどは跡形もなく吹き飛ぶか、そのあとの火災で消滅してしまっていた。煉瓦やコンクリートなどのビルディングは、まだなんとかその基礎だけは残っていたが、上にあったはずの建屋の部分は、ひとつの例外もなく崩落してしまっていた。右から左から電柱が折れ、倒れ、電話線がむちゃくちゃに絡まり、ばちばちと火花をあげていた。濛々もうもうたる黒煙があたりに立ち込め、焦げくさい匂いと混じり合って、爆心地へと向かう僕らの目と鼻を攻め立てた。


 そこかしこに、人間の焼死体が転がっていた。大きいのや、小さいの。着衣が残っている死体は珍しかった。ほとんどは極限の高温で焼かれ、どこかつるんとした黒い塊になってしまっている。つい昨日までは、当たり前に笑ったり声を出していたりしていた人々が、いまは物言わぬ黒い焦げかすに変容してしまっているのだ。


 死体を収容するようないとまはなかった。あまりにも数が多すぎ、また、まだあちこちに対応を優先すべき生存者がいたから。生存者とはいっても、半分死んでいるようなものだった。着衣はほぼ失われ、中から焼け爛れた赤黒い皮膚が露出していた。べろりと皮がけ、身体のあちこちから腐臭と焦げた匂いが漂っていた。彼らは一様に目が見えていない。うーうーと唸り、ひたすら水を欲しがった。まだ多少の発話能力が残っている人は、言葉にならぬなにかを呟いたりしていたが、その意味はわからなかった。


 大人もいたし、子供もいた。男もいたし女もいた。


 我がほうの熱狂的、情緒的で偏狭な愛国ファッショに対抗すべく、人類普遍の自由と平等とを標榜ひょうぼうする敵軍は、ただ無限の資本力に裏打ちされた偉大な科学力を見せつけた。数式と方程式は、一切の差別をしない。ただ標的にしたすべてのものを等しくきつくし、殺しつくし、また残りを効率的に傷つけた。


 それぞれの人の詳しい年恰好などはわからない。それを窺い知るための一切の情報が、みなべりべりとぎ取られてしまっているのだから。彼らはみなそれまで個々の人間として生きていた人たちなのに、いまは名前を失い、人生を失い、ふらふらとあてどなく彷徨う赤黒い肉体に変じてしまっているのだ。


 もし地獄というものが本当に存在するのだとしたら、それはまさに、ここのことじゃないか。


 僕は思った。

 だが不思議に、悲しくはなかったし、怒りも覚えなかった。

 なんの罪もない犠牲者たちへ同情はおぼえたが、ある程度の距離がある感情だった。むしろ、僕自身がこうならなかったことに多少の安堵すら感じていた。僕は、運が良かったのだ。同じ死ぬのでも、こうなるより、まだ海底で一気に爆砕してしまうほうが、はるかに綺麗で楽なことに違いない。




 僕らは犠牲者たちにあるだけの水を飲ませ、次々と応急の救護所に運んだ。そこに医者はおらず、まともな手当などできはしない。ほとんど医療の心得のない若い看護婦たちが、ひきつった顔であちこちを走りまわり、甲高い声で叫んだり泣いたりしていた。


 彼女たちの必死の努力もむなしく、結局のところ、犠牲者はただ横に並んで寝かせられ、そしてそこで苦しみながら死の順番を待つだけなのだ。


 この救護所は、全体がひとつのひつぎのような場所だった。


 そういえば、そんな救護所のなかで、午後、不思議なことがあった。

 それまでずっと静かだったこの大きな棺の一角に、とつぜん歓声があがったのだ。僕は疲れきって座り込み、小休止していたが、顔じゅう焼け爛れた男が、腹の底から愉快そうにこう叫んでいた。


「敵をやっつけてやった! 友軍が、敵の首都を爆撃して壊滅させた。仕返しをしてやったんだ! ざまあみやがれ!」


 それを聞き、ほっと息をついて安堵する者もいたし、感涙にむせび、その場で万歳を唱える者もいた。家族の形見を位牌がわりに胸に抱いて泣きじゃくる者もいた。


 その報の出所がどこだったのか、僕にはいまだにわからない。その男が見た白日夢だったのかもしれないし、誰か外から来た者が、最新の国際ニュースを耳打ちしたのかもしれない。


 だが地球の反対側にある敵の首都に報復を成し遂げようが、いま、ここの状況が少しでもよくなるわけではない。僕らにはまるで関係のないことなのだが、驚いたことに、その場で寝ていた負傷者は喜び、笑顔になり、ほとんどがなんらかの反応を示した。


 人間の基礎のいくぶんかは、きっと他者に対する復讐心ふくしゅうしんからできている。

 僕はそのとき、数多くの気の毒な戦争犠牲者たちを前にして、不遜にもそのようなことを考えた。




 僕たち伏龍はその後、完全に陸上部隊となった。

 敵と戦うのではなく、市内各所からまだ息のある被害者たちを助け出し、この救護所に運んで応急手当てをするのが仕事だ。


 これはこれで意義のある祖国防衛である。いや、むしろ、実効性のまったく読めない伏龍特攻の訓練などより、はるかに確実な人助けにはなる。もっとも、僕らの努力の結果、命をつなぐことのできる人は、ほんの一握りだけなのだが。


 僕たちは、数えきれないほどたくさんの人々を助けた。そして、それよりも多くの人々が死んでゆくのを見た。

 人は、そうした極限の状況にもすぐ慣れる。

 そしてある意味では、馴れる。


 二日目には、救護活動はある種の流れ作業のようになっていた。僕たちの顔からは表情が消え、ただ淡々と仕事をする機械仕掛けの自動人形のように変化していた。


 次の日の午後、いよいよ満杯になってしまった救護所から、宇品沖の似島にのしままで重傷者を運び出すことになった。似島には戦前から大規模な検疫けんえき施設が置かれており、ある程度は医療機関としても対応できる。市内でさばききれない患者の一部を、そちらに引き受けてもらうのだ。


 僕らはそれ以降、市内から患者を多数横たえたリヤカーを曳いて宇品町を南下し、突端の埠頭から出る大発の定期便に乗せる係になった。


 淡々と、無言のうちに負傷者たちを運んだ。埠頭に着いた時には息をしていない人が、毎回必ず一人はいた。


 何百人もの死者と生者を運んだ。数は覚えていない。そして日が過ぎていった。

 海底での自爆任務のことなどはとうに忘れてしまっていた。




 一週間が経ち、僕の祖国は、連合国に対する無条件降伏を受け入れた。



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