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第6話

 やがて、機帆船は無事にコンクリートで打ち固められた大咲島の一角に接岸した。緩衝材かんしょうざいとして据え付けられた古タイヤが、横波に押された機帆船の舷側の重みを受け、半分くらいにぐにゃりと潰れた。


 人工的な印象の島だが、あちこちに優美な水鳥が舞い、あるいは波間に座って上下している。


 僕らは踏み板をつたってそろそろと船を降りた。源と名乗ったやくざ者は、連れてきた全員が移動するのを確認すると、岸から手渡された伝票のようなものへ乱暴になにか書き殴って戻し、そのまま船内に姿を消した。僕らのほうを見もしなかった。


 ひと息入れる間もなく、向こうの柵のほうから作業着姿の男がやってきて、こちらを大きく手招きした。四十名近い新入りはバラバラに歩き出す。


 この平坦な島の中央部には、さまざまな形をした建物が並んでいる。片側だけ切り立ち、反対側は斜めに傾いでいる工場ふうの建屋があれば、真四角で規則正しく窓の並ぶ建物もあった。おおきな蒲鉾型の体育館のような屋根が見え、おそらくは予科練生徒などを鍛えた学校のあとなのであろう、中央部に尖塔が突き出した校舎まである。


 塔の中途には大きな時計がはまっており、正確かどうかはわからないが、いまでもなお時を刻んでいるようだ。


 僕らは、そうした建物が雑然と建ち並ぶ区域の手前に案内された。

 一辺200メートル四方はあろうかと思われる、大きな作業現場だった。


 平坦だったが、まるで空襲のあとのような瓦礫があちこちに散らばっていた。一部はまだ地面の基礎部分からコンクリートの壁が地面に貼りついたように残っている。数本だが、大きな柱が傾いた状態で頑張っていた。


 現場の端には、簡易な軍用テントが張られている。おそらく監督者がいるのだろう。

 その周辺を中心に、もうすでに30名近い半裸の人影が遠近でうごめいている。広島のあちこちで駆り集められ、僕らに先行してやってきた作業者たちだ。


 彼らはツルハシを振るって壁の一部を砕いたり、素手で瓦礫を抱えて持ち運んだり、少し大きなものは二人がかりでもっこに入れ、さし渡した竿にぶら下げ、えっちらおっちらと掛け声をかけながら運んだりしている。また木製の猫車(一輪車)があちこち十数台は動き回り、作業の効率を著しく高めている様子だった。運び手は一人で、大きな瓦礫を荷台に載せ、地面の凹凸を避け右に左に揺れながら車を押す。


 案内役の男が言った。

「さあ、ここがお前たちの仕事場だ。三日でケリをつけるぞ。気張れよ」


 おそらく爆薬を仕掛けて派手に爆破したのに違いない、もとは建物の一部だった煉瓦やコンクリートのかけらがそこらじゅうに吹き飛び、転がっていた。窓硝子も粉々に砕け、あちこちに落ちてキラキラと輝いていた。


 周旋屋の源が、軍隊上がりだけを選んで駆り集めていたわけがわかった。復員兵は、ほぼ全員が鋲打ちの軍靴ぐんかを履いている。季節柄、地下足袋じかたびにしている者もいたが、官給品の軍靴を捨てる者は少ない。履き心地は悪いがとにかく頑丈なため、いつまでも使えると考えているのだ。この現場でも、なまじな靴では硝子の破片や釘などを踏み抜いてしまう。軍靴ならば、こうした事故をある程度は防げる。


 ほんの数台だが、珍しい車載起重機の類や排土車はいどしゃ(ブルドーザー)などが唸りをあげ、大きな瓦礫を砕いたり、脇に寄せたりしている。おそらく陸軍の工兵隊ですら持っていない最新鋭装備だ。こんなものを最前線でもない解体現場へふんだんに持ち込むことのできる海軍が、戦争中は常に物資不足を叫んでいたのが、僕にはなにか滑稽に思えた。


「作業にかかれる奴から、とっととかかれ。拾える程度の瓦礫を拾い、あちらに積み上げるだけでいい。大きなものはそのまま捨ておけ。軍手はこっちだ。穴が空いたら新しいものに替えてもいい」

 案内役の男は、てきぱきと指示を出した。僕たちは空きっ腹だったが、男はこちらの栄養事情などにまったく頓着していないようだった。


「これは一体、なんだよ? 空襲でもされたのか?」

 連れてこられた誰かが不機嫌に聞いた。男は答えた。

「いや、少し前まで病院と検疫所があった。取り壊しになったんで、その後片付けだ」

「取り壊し? いや、単に吹っ飛ばしてるよな。普通、病院をそんな壊し方するか?」

「さあな。俺にもよくわからん。だがとにかくこの現場のお施主は正真正銘、われらが無敵の海軍さんだ。お急ぎなんだよ。だからお前らにも来てもらった。手が足らんからな」


 この時点では、日本海軍は組織としてまだ存続している。だから、予算さえあれば事業として施設の解体を行うのは自然なことといえた。

 だが、それでも病院の建屋を爆破とは穏やかではない。なんらか理由がありそうだったが、僕らはしょせん、その日暮らしの食い詰め者の集まりだ。それ以上、関心をもつ者はいなかった。


 そういえば、検疫所のことは前にも噂で聞いたことがあった。

 この島から数キロ西にある似島には、東洋最大とも言われる検疫施設がある。もとは湾内の荷役で使われる島だったが、軍港としての広島の拡大とともに、軍と一体になった施設が数多く作られた。その最大のものは似島検疫所で、外地から帰ってきた帰還兵が、疾病や病原菌を本土に持ち込まないよう徹底的に検査し、消毒するための施設だ。


 もとは海軍所管だったが、のちに陸軍に移された。そこで海軍は、自分たち独自の施設を作るべく、この大咲島の基地の一角に似島検疫所の分室を作り、そこで独自の検疫や検査を行った。日本軍の外征規模が大きくなり、拡大し続ける需要を満たすためには、この分室の設置はたしかに有益だった。施設の規模はまたたく間に大きくなり、島は海軍基地というより、まるで検疫所と、併設された病院が主であるかのように変貌した。


 一部には、海軍が南方で捕らえた捕虜を移送し、尋問あるいは拷問するための組織が入っているなどという噂も聞こえてきた。


 ともかくも、島には大きな医療施設がある。海軍はこの病院の屋根に大きな赤十字を描かせ、敵の空襲を避けようとした。戦争末期には、前線への出撃機会をうしなった二隻の最新鋭空母に巨大な偽装網を被せて、病院のあるこの島の陸地につなぎ、攻撃目標から外させるという、国際法違反の姑息な手段まで取られた。もちろん、結果からすればそれは全く無意味な努力だったわけだが。


 とにかく、この大咲島を象徴する建物だった検疫所と、併設されていた病院が、わずか終戦二ヶ月にして残らず取り壊されてしまったというのである。しかもなぜか爆破という、最も乱暴な形で。

そもそも、中にいた人たちは、この短期間にいったいどこへ行ってしまったのか? 


 行き先は絶対に似島ではない。似島には原爆の生存者が多数運び込まれ、いまだ本土に戻せず施設は満杯になっている。それは、まさにそこへ多数の生存者たちを大発や小発(上陸用舟艇)、そして艀に載せて毎日のように運び込んだ当事者の一人である僕が、事実としてよく知っていることだ。


 四国や岡山のあたりに移送した可能性もあるが、敗戦の大混乱期に、そのような大量の人員を受け入れることのできる先がそうそうあるとも思えない。病院の解体や患者の移送は、世の中が落ち着いたあと、しっかりと準備し、慎重を期して行うべき作業だ。海軍のこの急ぎ方は、とにかくどこか不自然だった。


 しかし、まあ、そんなことは軍隊を追い出された僕らには何の関係もないことだ。

 今はただ、その日を暮らすために言われた作業をする。


 この巨大な爆破跡から、手に持てる瓦礫を運び出すだけの簡単な仕事だ。猫車や畚などの便利な道具は先行者たちに取られてしまっているが、そのぶん、特に効率を求められることもないだろう。もう僕らは兵士ではない。そしてここは軍隊ではないのだ。

 やるべきことは単純な繰り返しの労働で、なにを考える必要もない。1日の体力さえ続くのであれば、そんなに悪い仕事ではなかろう。

 僕らは、のろのろと作業に取り掛かった。




 予算に糸目をつけない海軍さんは、とてもいいお客だった。その日の作業が終わったあと、もとは爆破された施設に備蓄されていた食材の余りを、片付け作業にあたる臨時雇りんじやといの僕らに気前よく提供してくれた。


 おそらく、この島に隣接する高倉島の集落から出稼ぎに来ている賄の女性たちが、なんとライスカレーを作ってくれていた。ここ数ヶ月のあいだ、見た記憶もないような贅沢である。中年の、多くは無愛想な女たちが黙々と野菜を切り、薪をくべながら調理を続ける。彼女たちは、仕事が終わるとすぐに小舟で対岸の家に帰るのだ。


 ぐつぐつと煮たつ大鍋のカレーの中には、玉葱や芋に混じって、なんと牛肉の塊がいくつも浮いている。しばらく見たこともないような豪勢な料理だ。僕らは列を作ってならび、これも病院内で使われていたと思しき金皿とスプーンを渡され、無口で小柄な雑役婦に炊き立ての飯とカレーをよそってもらった。そのまま、作業場の角に座り込んで食べる。塩辛いだけのカレールウが、まるで胃の腑に染み入るようにうまかった。牛肉は少々筋張っていたが、それでもここ一年で食べたどの肉よりも柔らかかった。


 本当に久しぶりに満腹した僕は、皿とスプーンを返し、ぶらぶらとそのへんを散歩する気になった。

 日暮れまでには、まだかなりの時間がある。

 そのあとは、まだ破壊されていない、まるで体育館のような建屋の中で雑魚寝だ。風呂までは提供されていないから、汗臭い軍隊上がりどもと一つ屋根の下になる。だから僕は、そんな奴らと一緒になる時間を少しでも短縮させたかったのだ。


 作業場の囲いを越え、コンクリートで固められた岸辺に向かう。

黒と茶色だけの世界から、真っ白に輝く平坦な世界へと足を踏み入れた。

 すぱりとち切ったようなまっすぐの岸壁だ。向こうの端まで優に300メートルはある。水深次第だが、かなりの大艦たいかんでも接岸することができる規模だ。同じく一万トン級の輸送船でも大丈夫だろう。


 島内に検疫施設があるため、外航船が立ち寄ることも多かったのだろう。もちろん戦時は軍艦ばかりだったはずだ。かなたにそびえ立つ巨大なガントリー・クレーンが稼働し、前線で傷ついた巡洋艦や駆逐艦、たまには航空母艦などさまざまな艦種の修理や整備を行なっていたのだろう。


 しかし、現在その面影はない。島に備えつけられた設備は一切その動きを止め、その前にごちゃごちゃと積まれた潜函せんかん(ケーソン)やすのこ、木箱や、用途のわからぬ機械などがひどい混沌を作り出しているが、とにかくすべてが静止しており、生きているものはなにひとつない。


 ここは、時の止まった港だった。

 岸壁はただ真っ直ぐに切り立ち、そこにただちゃぷちゃぷと波が打ち寄せている。

 僕は、そのまっすぐな岸壁に沿ってゆっくりと歩いた。


 海の色は、ここでは黒い。まるで山奥の小さな沢の水のような、枯れ葉から染み出す渋味や苦味でいっぱいの腐敗した黒だ。ここではおそらく排水と下水、それに錆の流れ出た汚染水なのだろう。沖合はあんなに青いのに、ここだけがどろりと澱んでいた。


 いや、よく見ると、沖合にもわずかに黒い部分がある。

 僕は、気づいた。あの浮標群で囲まれた大きな水域だ。その周囲は美しい青なのだが、真ん中あたりから色が変わり、深い藍へ、そして緑がかった翡翠ひすい色になり、だんだんと黒くなって中心へ向かっている。


 なるほど、その真ん中に、なにかがあるように思える色合いだ。

僕は足をとめ、しばらくそちらのほうを見やった。しかしそもそも、その中心に誰も底を見たことのないという深い亀裂が走っているという話自体、本当のことなのだろうか。


 ひょっとすると、すべてがまやかしなのかもしれない。

 あそこに本当は亀裂などなく、ただ周囲と同じ浅い海底が広がっているだけなのかも。軍はなにか必要があって、意図的にそうした噂をいていただけなのではないだろうか。

 僕はなんとなく、そのようなことを考えた。


 そうだ、行ってみればわかる。

 あそこまで小舟で漕ぎ出し、あの忌々しい伏龍用の潜水具を着用すれば。もっとも、鉄兜だけは外から誰かにナットで締め付けてもらわなければならないが。


 とにかく僕なら、あの場に行ける。海底のかなり深いところまで潜れる。

 海中深く没して、そして真相を確かめることだってできるかもしれない。

 もしかしたら、ついでに、亀裂のどこかに引っ掛かっていると言われる空母雷鳳の船体を視認することだって。


 とにかく、古来より禁域とされ恐れられてきた場所に何があるのか、あるいは何もないのか。


 僕ならきっと、この眼で確かめることができるのだ。


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