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第12話

 機帆船は、無駄のない動きで岸壁に近づいてきた。あの特有のぽんぽんという音がかすかに聞こえてくる。禁域を囲む大きな浮標のひとつをかすめ、まるで海面を斜めに切り裂くように進んできた。


 見る間に島の突端に達し、少し速度を落として切り立った岩壁に沿って進み、きれいに接岸した。緩衝材のタイヤが、ぐにっと潰れる。そのままひと揺れ、ふた揺れすると、即座に渡板がさし渡され、どやどやと新入りの作業者たちが降りてきた。


 僕は岸辺から、さっきの書類を挟んだ木の板をかざした。すると船橋の扉があいて、あの源が出てきた。


 やつは、僕のことなどもう覚えてないかのような素振りで近づき、舷側ごしに板をひったくってなにかを書き殴った。そして、ほいと投げて寄越す。海に落ちないかとヒヤッとするほどぞんざいな動作だった。だが、僕はそのとき見た。


 源は僕のほうを見て、にやっと笑ったのだ。なにか意味ありげな笑いだった。そのまま扉の中に入ってしまった。


 僕は茫然として、渡板をふみ渡る新入りどもの群れを眺めた。そして、そこに意外な人物を発見した。


「野崎! 野崎じゃないか!」


 解隊の際に別れたはずの、戦友の顔があったのだ。もっとも僕は彼と昨夜も再会している。あの奇妙な夢の中、禁域の海底で。


 現実の野崎は、当時よりもグンと日焼けして逞しくなっていた。まだ別れて二ヶ月ほどにしかならないのだが、別人のようだった。だがあの理知的な瞳、ほっそりとした顔かたちは見間違えようがない。


「よう、妙なところで会ったな、杉尾」

 野崎は言う。岸壁に降り立ち、ニヤリと笑った。

「軍隊上がりばかりを、広島の街頭で次々と駆り集めてたぜ。俺もちょいと稼ぐかと思って、ついてきたんだ。まさかお前も来てるとはな」


「あの、源とかいう周旋屋だろ?」

「ああ、いけすかないヤクザだが、話は面白かった。行き先が大咲島だなんて言うしな。なんでも、公費の出てる海軍の仕事なんだって?」


「ああ、そうだ。爆破された建物あとの瓦礫の撤去だ」

「爆破された? そんなに古い建物なんてあったっけな、この島に」

「それがよくわからないんだよ。検疫施設の一部だったらしいけど。吹っ飛んだ瓦礫を見ても、そんなに古い建物だとは思えない。むしろ真新しい感じだよ」


「へええ。そいつは興味深いな」

「ああ。お前なら興味を持ちそうだ」

 すると、野崎はまたニヤリと意味ありげな笑いを漏らした。そして言った。


「で、だ。その施設の中に収容されていたに違いない患者さんがたは、皆さん丸ごと、どこかへ消えちまってござる、というわけなんだな」

「あ、ああ。そうだ」


「やっぱりな。睨んだ通りだよ」

「源に偶然拾われたなんて、もちろん嘘だろ? はじめから、目的があってこの島にきたんだ、お前は」

 言ってやると、野崎はへへ、と笑ってぼりぼり坊主頭を掻いた。


「まあ、あとで話そう。ときに、作業はきついかい?」

「いや、俺とお前の体力なら、なんてことはない」


 連れ立って作業場のほうへ歩いて行くが、目ざとい野崎は、早速見つけた。

「おー、ありがたい。昼飯があるじゃないか」

 そう言って走っていってしまった。僕は受取書類を作業監督に渡し、早くも握り飯にかじりついている野崎の脇に座った。


「今朝から何も食ってないんだ、ありがたいよ」

 口の中で咀嚼そしゃくしながら、つまり声で言う。相変わらず行儀の悪いやつだ。その様子を見ると、僕はつい、昨日体験した妙な出来事を、あらいざらい話してしまった。


「相変わらずお前の説明は簡単明瞭で、上手だな」

 やっと握り飯とすいとん・・・・の椀を平らげた野崎は、指をなめなめ、感心したように言った。

「部隊長も褒めておられたよな、杉尾の復命ふくめいを聞くのが毎度楽しみだって」


「呑気なもんだな。俺の言ったこと聞いてたか? この島はとにかく、いろいろ変なんだよ」

「ああ、そこはきちんと聞いたよ。でも、俺は今さら驚かないな」

「なにか知ってるのか?」

「ああ、少しはな。終戦前にも、お前に話したことがあるだろ? 軍は俺たちを伏龍として訓練したが、目的は戦争じゃないって」


「それは聞いたよ。いつものお前の妄言もうげんだと思ってとりあわなかったけどな」

「今は、そういうお前さんが、もっととんでもない妄言を吐いてるぜ」

 野崎は笑ったが、すぐと真面目な顔になり、声をひそめて言った。


「思った通りだ。前夜お前の見たものは、たぶん軍がここでやってた秘密実験のあと始末だよ」

「あと始末だって?」

「ああ。前から噂があったろう? 軍はここに検疫施設という名の実験棟を作り、南方からいろいろな捕虜を連れてきては、密かな人体実験をしてるんだ」


「こんな内地でか? 仮にそういう犯罪行為を犯すとしても、もっと、ずっと離れた辺地でやるんじゃないだろうか。この事実が国民に知れ渡ると、いくら軍でもまずいだろう?」

「ああ。だが、ここでやらなきゃならない訳があるんだよ。俺の睨んだとこじゃ……ほれ、あそこに関係がある」


 そう言ってかすかに顎をしゃくってみせた。どこか、人には見られたくないという意識が作用した、最小限の動きだった。

「禁域、か……あの噂は本当なんだろうか?」

「ああ。きっとほんとだ。俺もまだこの目でしかと見届けた訳ではないんだが、亀裂は必ずある。深淵は、そこにきっと存在する。まあ、行ってみればわかるさ」


「行ってみれば? お前、まさか、潜るつもりじゃないだろうな」

 僕はびっくりして尋ねた。なんとなく頭で想像することはあっても、まさか実行に移そうなんて考えは浮かばなかった。第一、僕らはもう伏龍ではない。あの官給品の潜水服も部隊に残置してきてしまったし、いくら特級潜兵だった僕らでも、丸腰で潜れるわけがない。


 野崎も、さすがに首を横に振った。

「いや。今じゃない。今はまだ無理だ。だが、情報を探って、いつか必ずあそこに潜ってやる。潜って、秘密を突き止めてやる。相棒も見つけたしな」

「相棒だって? まさか」


 すると野崎は、ニヤッと笑って、僕の目を覗き込んだ。

「お前だって、やる気になってる。俺にはわかるさ」

 自信たっぷりに言った。そのまま、僕の意志などお構いなしに続ける。


「なにしろ、伏龍は一人じゃ潜れないからな。あの重い装備を背負うのに助けが要るし、兜を装着する際には外からナットを締めてもらわなきゃならない」

 この決めつけが、野崎の野崎たるゆえんだった。もちろん、まるで現実味のない一方的な先走りも。僕は、あわてて言った。


「おい、落ち着け野崎。まず、いま僕たちの手元にその潜水服はない。それにそもそも、あの亀裂はかなり深いところにあるというじゃないか。僕たちは、行けてもせいぜい20メートルくらいまでのものだぜ」


「その通りだ。いま手元にはない。だが、あるところにはある。そして、俺たちは20しか行っていないが、それは、そこに栄進丸があったからだ」

「栄進丸、か」

「忘れたわけじゃないよな? 俺たちの懐かしいねぐら・・・だ。あの周辺に、適切な訓練用の沈船は、あれしかなかった。だから俺たちは毎回20までしか潜らなかった。だが、他の部隊じゃ、密かにもっと下に行ける装備が開発されていたんだよ」


「そんな話は、聞いたことがない」

「俺もそうだ。だが、終戦になってから知った。俺は、だからここに来たんだ」


「ここに? まさか」

「その、まさかだよ。大咲島の海軍基地には、小規模だが伏龍の試験隊もあったんだ。装備は横須賀とここで同時に試作、改良されていた。すぐ近くにいた俺たちにも知らされていなかったが、ここではすでに、100は潜れる耐圧潜水服が開発され、試作されていたんだ」


「100だって?」

 僕は驚いた。そんな深さにまで生身の人間が到達できるなんて。

「いや。それは通常の潜水服じゃない。硬い鎧兜をいくつも組み合わせた殻のようなものだ。実は諸外国ではかなり前から使われていてね。殻の中は圧力を受けないから行動は自由なんだが、水が漏れないようにする技術が難しい。あと、吸排気の仕組みだ」


「まさか、それは……」

「そうだ。前にも言ったとおり、戦争のためなんかじゃない。あの深淵に潜り、底を浚って希少金属などを地上へ持ち帰るためのものだ。海軍の欲だよ」


「俺が昨夜見た、海から上がってきた人影はまさか、それだったのか?」

「可能性は大いにあるな」


「しかしその装備を、いったいどうやって手に入れるんだ? もしそんなことに使われているんだとしたら、きっと警戒も厳重だろう」


 すると野崎は、またニヤリと笑った。

「俺は、そのありかを知ってる。だからここに来たんだ」



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