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第14話

 野崎は続ける。


「杉尾、まさにいまお前の言った通りなんだ。伏龍は、海底特攻で敵の上陸を打ち砕くなんていう、とち狂った夢想の所産だ。俺たちはずっとその訓練をされてた。伏龍の出番が来る前に、幸いにも戦争は終わった。要は無駄な努力だったわけだが、だが全く無駄だったわけじゃない。俺とお前は特級潜兵だ。鼻から息を吸って、口から吐いて。この特殊な呼吸法でずっと過ごすことができる。海底の沈船の中に入り込み、自在に中を泳ぎ回ることができる。手話で意思疎通もできる。いざとなれば水電話だって……こんなことのできる兵隊が、この世界にいったい、何人いるよ?」


「いないだろうな。そんな馬鹿な訓練を、文字通り決死の覚悟でやり続けた兵なんて」

「そうだ。俺たちだけなんだ。それなりの装備を身につければ、海底に数十時間だって潜む特殊技能を持ってる。これは凄いことだよ。そうは思わないか?」


「たしかに俺たちだけだ。僕とお前は、その中でも特に優秀だった」

「まったくもってな。その二人が、わずか60のところに眠っているお宝を前にして、陸地でこんな雑役に就いてる。ばかばかしいだろう?」


「待て、待て。しかしそのお宝は、国の財産か、もし不当に奪ったものだとしたら、もとの持ち主のものだろう? 僕たちのものじゃない」

 僕は、いちおう言った。野崎の表情がみるみるうちに曇り、大きくため息をついて首を振った。


「おいおい、よしてくれよ。戦争だったんだ。敵も味方もとち狂ってた。その夢想を実現するために、我が軍もさんざん非道なことをした。お宝を奪ったのもそれだし、海底特攻を推進したのもそれだ。俺たちはみんな被害者なんだ。優れた技能を持つ被害者が、それを取り返す手立てのない別の被害者の持ち物をちょいと失敬し、有効に使おうという話さ。敵国や第三国に対する補償なんざ、国が勝手にやればいいことだ。俺たちの義務じゃない」


 野崎の言うことは、倫理の上ではもちろん無茶苦茶だったが、僕には深く納得のいくことだった。僕らは無茶苦茶な時代に生まれ、今も無茶苦茶な世界に生きているのだ。そして僕らは、他の誰にも手を触れることができない海底のお宝に、半分手をかけているのも同じなのだ。


 僕も、やる気になった。


「で、このあとどうするんだ? 潜るのはまた後日、と言っていたよな」

 身を乗り出して聞くと、野崎はニヤリと笑い、

「やっとその気になってくれたな、戦友」

そう言って、肩を小突いた。


「まずは、雷鳳の正確な沈没位置を特定することだ。誰も気づかぬうちに潜り、また戻ってこなくちゃいけないから、やるのは夜間だ。明かりをつけて、海の上から潜水位置を求めてぐるぐる探し回る時間はない。この一点、と最初から決めたところで潜り、雷鳳の真上にどんぴしゃで降りなきゃならない」


 僕は黙ってうなずいた。夜間の潜水は、普通の人間なら恐ろしいと思うだろうが、深く潜れば昼だろうが夜だろうが、海底はどうせ真っ暗闇なのだ。僕らはそれに慣れていた。


野崎は続ける。

「実は、雷鳳までなら過去に二度、潜水艇が降りている。調査も試みられたが、開口部が極端に少ない重装甲空母なので、結局、中には入れず仕舞いに終わった」


「かなり堅牢な空母なんだろう? 船体が大丈夫なら、内部構造はそのままじゃないのか?」

「そう願いたいんだがね。雷鳳の同級艦の大鳳は、マリアナ沖で米軍に沈められたんだが、実は被雷はただの一発だけだったそうだ。しかしその衝撃で内部の隔壁に亀裂が生じ、航空機の燃料が気化して艦内に充満、どこかで起こった小さな火花が連鎖して大爆発を引き起こし、あえなく爆沈したんだ」


「内部からやられたのか」

「そうだ。外向けの防護は完璧だっただけ、中のガスも抜けなかった。いや、それをなんとか薄めるため、艦長は通路という通路の換気扇をみな回し、逆に全艦に行き渡らせてしまった。言ってしまえば自爆と同じだよ。艦長は悪くない。緊急時の抗堪性こうたんせいを想定しない、もともとの設計に無理があったんだ」


「では、内部もやられているかもしれないと」

「終戦間際だったから、調査記録がなにぶん不十分でね。提督も全容は把握していなかった。だがとにかく、中にお宝は残っているはずなんだ。その二回以外、雷鳳まで潜った者はいない」


「きのう、僕が見かけたなんだかわからない奴は、もしかしたらそこまで潜っていたのかもしれないな。なにかを引き摺っているようにも見えたし、痕も残っていた」


「だとすれば、競争相手だ。余計に急がなきゃな。で、だ。今晩さっそく、あの時計台のある建物に忍び込むぞ。あれは司令部棟で、中に提督の私室があるんだ。予備役になったとき、どうせすぐ本土決戦になり現役復帰せにゃならんだろうと見越して、後任者に使わせず、そのままにしてあるんだそうだ」


「恐れいったな。お前、どれだけ提督の懐に入り込んだんだよ」

「けっこうな愛国者だから、敗戦でもう生きる気力もないんだよ。日本の未来のために、とかなんとか適当なことを言って聞き出したのさ。提督は俺たち予科練兵に特攻という名の死を強いたことを恥じていて、俺が伏龍出身だと知ると、一も二もなく信頼してくれたよ」


「でもまさか、鍵までは」

 僕が言い終わる前に、野崎は胸ポケットから鍵を取り出し、指のあいだでかざして見せた。さらに、左手でポケットをまさぐり、もうひとつを取り出した。

「こっちは部屋の鍵。こっちは机の鍵。中の引出しに、当時のまま沈没位置を正確に記した海図があるそうだ。そしてそしてさらに」


「なんだ、次は」

「奥にある三号棟の一〇四号室が保管庫となっており、さっき話した、100は潜れる耐圧潜水服が二着、酸素ボンベや空気清浄缶とともに保管されているそうだ」


「まだ保管されているのか!」

「ああ、アメ公が進駐してきたらどうなるかわからないけどな。それまでは、手をつけないままになっている。別に見つかったところで、特攻隊は戦争犯罪ではないからな」


「では、この作業現場にあった隔離棟はそれで……」

「そうさ。それで大急ぎで爆破されたのさ。捕虜や米国の一般市民を虐待し、実験に使用していた事実を隠蔽するためにな。そんなことがアメ公に知られてみろ、関わってた指揮官は全員、銃殺か縛り首だ」


「じゃ、中にいた連中は当然、口を塞がれたわけか。陸軍が支那でずいぶんとひどいことをしていたという話は聞くが、海軍も相当なものだな」


「まあ、全員じゃなかろうよ。元からいた癩病患者は、本土の施設に移されていると思う。親類縁者の数が多く隠蔽し切れないからね。それになんといっても帝国臣民だし、本来その管理は海軍じゃない、厚生省の責任だ。可哀想なのは、アメ公の仲間たちだよ。たまたま特殊な病気に罹患していたというだけで、奴らにはなんの罪もないのにな」


「でも、僕はそのうちの一人が倉庫の中でもぞもぞ動くのを目撃した。まだ生き残りがいるのかもしれない」

「もしかしたら、だがな。でもそいつらはもう関係ないよ。俺たちは、空母の残骸からお宝を失敬することだけに集中しよう」


「そうだな、わかった」

「まず手始めに、今夜、提督の部屋に忍び込む。海図を手に入れて、いったん広島に戻る。そして作戦を練り、後日ここにやって来て、今度は潜水服を失敬するんだ」


「たしかに。装備は嵩張るからな。持ち帰るのは無理だ」

「ああ。潜水服の着装要領も、その保管庫に置いてあるようだ。慣れてる俺たちなら、そのまま潜ることだって可能だろう」

「できることなら、一気にやってしまったほうがいいだろうな」

「その通りだ。そして、俺たちは海底で一度失った人生を、海底で取り戻す」


「ああ、そうだな。これまで僕は陸地でただふらふらと彷徨うだけだった。心の中で特攻は、戦争は、まだ終わっていなかったんだ。でも今回は……そうだな、これで戦争を本当に終わらせることができるような気がする」


「それでこそ、俺の相棒だ。実は俺も全く同じ気持ちだ。これで終わる。本当に終わるんだ」

 野崎はそう言い、白い歯をみせてニコッと笑った。

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