目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第3話

 セイザは少年を抱いたまま、足早にその場を去った。騒ぎで人だかりができはじめていたし、何よりも腹が立っていて、これ以上男の顔を見ていたくなかったからだ。

 追いかけてくるタクマにも何も言わずに歩き、滞在していた宿の部屋に入る。

「セイザ!」

 ドアを閉めると、タクマが言った。

「その子を助けるのはいいが、あんなヤツに金を払って……」

 セイザはふうと息を吐き出しながら自分の黒い髪をグシャグシャとかき混ぜた。腕の中で相変わらず震えている少年を見下ろす。

「後で話す。まずはこの子を落ち着かせるほうが先だ」

 その言葉にタクマが黙った。ため息をついているのは、気持ちを落ち着かせているのだろう。セイザは少年を肘掛け椅子の上にそっと下ろした。大人用の椅子の中にぽつんと座る小さな身体。少年は周りを見回すでもなく、膝を抱えてそこに縮こまっている。

「おどろかせてすまない。ここは私たちが泊まっている宿屋だ」

 セイザは少年の前に膝をつき、少年の手を取りながら言う。

「私の名前はセイザ」

 それからセイザはタクマを手招きして、少年にタクマの手を握らせた。

「こちらにいるのがタクマ。私たちは王宮に仕える騎士だ。騎士の精神として、ああいう非道を見過ごすわけにはいかなかった。君のことは私たちが守るから、安心するといい」



 セイザとタクマは、少年を風呂に入れ、夕食を食べさせた。

 少年は怯えた様子で縮こまり、食事にもなかなか手をつけなかった。セイザが困っていると、タクマが立ち上がり、少年の手にパンを手に持たせてやる。すると少年は急にガツガツと食べ始めた。

 腹が満ちるとようやく震えもおさまり、少年は今、ベッドの中で寝息を立てている。

 洗ったことで本来の色を取り戻した、淡い金色の髪を撫で、セイザは息を吐いた。

「……セイザ、その子をどうするつもりなんだ」

 タクマがたずねる。

「……」

 セイザは、濃紺の瞳を伏せて、しばし考えるような顔をした。思い浮かべるのは先ほどまでの少年の様子である。


 名を名乗り終えると、セイザは少年に確認した。

「君は……目が見えていないのか?」

 少年は震えながらうなずいた。予想通りだった。

「名前は何というんだ?」

 セイザは少年にたずねたが、少年は答えない。

「君はこの街の子なのか?」

 今度は、少年は首を振った。

「あの男に、ここに連れて来られたのか?」

 こくん。少年がうなずく。

「どうして君は、あの男のところにいたんだ?」

 沈黙。

 何か予感するものがあったのだろう。タクマが横からたずねた。

「何歳だ?」

 少年は答えない。

「6歳か?」

 ふるふる。少年は首を振る。

「7歳?」

 少年が小さくうなずく。

 セイザにも分かった。

「もしかして、声が出ないのか?」

 セイザが聞くと、少年は唇をかみしめながらうなずいた。目が見えないのかと聞いたときよりも、さらに小さく縮こまり、怯えた表情を見せる少年。

「大丈夫だ、何もしない」

 それからセイザとタクマは、質問を重ねて状況を整理した。とはいえ、少年から得られた情報は少ない。わけも分からぬままこの街に連れて来られたこと、あの男の元には他の子どももいること。この街のどこかで、男が子どもを売っていることくらいしか分からなかった。

 話を聞き終えたセイザたちは少年を風呂に入れることにした。薄汚れ、ひどい見た目だったからだ。タクマが少年の服を脱がせてみたら、彼の身体には、殴られたような痕や、鞭で叩かれたような痕がいくつもあった。何をされても、イヤだと言うことも、助けてと言うこともできずに生きてきたのだろう。まだ小さい少年の苦労を思うと、セイザもタクマも胸が詰まる思いがした。


「神殿が管理する孤児院に預けるのがふつうだとは思う……」

 セイザはそう言ったが、その顔には迷いと悩みがありありと浮かんでいた。その様子にタクマはため息をついて首を振る。昼間は高めの位置で結んでいた髪は、今は首の後ろで結ばれ、タクマの動きに合わせてゆらゆらとゆれた。タクマはどこか遠くを見るように、赤みがかった茶色い瞳を細める。

「神殿の孤児院は別に悪いとこじゃない。……とはいえお前が心配してるとおり、目も見えねえ、しゃべれもしない子だと、ちょっと苦労する気はするな」

 孤児院は集団生活だ。子どもも多く、大人が一人一人の子どもにじっくりと向かい合うのは難しい場面も多い。どうしたって声が大きい活発な子が幅を利かせる。そんな中では、彼のような子どもは、他の子よりも苦労する可能性は高いだろう。

 タクマの言葉にうなずき、セイザは言った。

「どこかの家に養子にしてもらうか……」

 騎士の知り合いや貴族の中には、優れた人格をもち慈悲深い者もそれなりにいる。労働力にもならず、手のかかる子どもならば、そういう家に預けるのが最善なのかもしれない。

 だが。

「……」

 セイザは、眠る少年の頭をそっと撫でた。はじめて会ったはずなのに、なぜかこの子どもにずっと会いたかったような気がする。離れがたくて手放したくない、そんな気持ちになっていた。

「この子のことは、帰ってから考えるとして。……まずは、あの男だ」

 気持ちを切り替えるようにセイザが言うと、タクマもまた顔を引き締めた。

「他の子どもも、助けなければいけないしな」

 タクマの言葉にセイザはうなずく。

「この街の警備隊に言って、一網打尽にしておいたほうがいいだろう」


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?