声をかけられ、抱きよせられて、その光が若い男の人だったのだと分かった。落ち着かせるように背中をなでてくれる大きな手に、彼は泣きそうになる。どうかもう離さないでほしい。そう思いながら震えているうちに、追いかけてきた男が、彼を連れていきたいのならば金を払えと言い出した。
彼はその言葉を聞いて、はっとした。男が言った値段は、他の子どもが売られていくよりも高い値段だった。目が見えない子どもをそんな値段で売るのは、どう考えてもボッタクリである。だから彼は自分は目が見えないのだと光の持ち主に伝えようとした。
それでも光の持ち主は、彼を買った。
彼は光と引き離されなかったことに安心すると同時に、激しく不安になった。なぜ自分は買われたのか。高い値段で買わされたことに怒らないのか。買われていった先で何をさせられるというのか。
けれども光の持ち主は、そんな彼の頭をやさしくなで、温かい風呂に入れてくれた。香ばしいパンを与えてくれた。
一緒にいた男の人も、抱き上げてくれた人よりは口数は少ないけれど、彼の世話をする手つきはとてもやさしかった。鞭で叩かれヒリヒリと痛んでいた背中に、ていねいに薬を塗ってくれた。
やわらかな毛布に包まれ、頭をなでられて、涙が出そうになる。
こんなことははじめてだった。
彼の周りにあるのは、いつも冷たいものばかりだったから。
抗いがたい眠気にさそわれ、うとうとと目を閉じる。ゆめうつつの意識の中、二つの記憶が交差した。
この身体の持ち主の記憶と、魂の記憶。
この身体の持ち主も、元から目が見えなかったわけではない。幼い頃には目も見えるふつうの幼児で、両親と二人の兄と共に、小さな村で暮らしていた。とはいえ両親からみれば彼は予定外の子どもだったらしい。両親は兄たちは可愛がっていたが、彼のことはおまけ、あるいはごくつぶし扱いすることが多かった。
しかしあるとき、村を流行病が襲った。彼と彼の兄たちが、それにかかってしまった。そうして病は、彼の二人の兄と彼の目をうばっていった。
二人の子ども、しかも愛していた方の子どもをいっぺんに失うという事態に、彼の両親、とりわけ母親は心を病んでしまった。父もまた、彼の目が見えなくなり、労働力にならなくなったことに憤った。家庭は一気に崩壊し、彼はその歪みを一身に受けることになった。殴られ、蹴られ、家から締め出され。それでも目が見えぬ彼はどこにも行くことができない。村の者たちも、すっかり荒れてしまった彼の家族を恐れ、彼を助けるものはいなかった。そうこうするうちに、彼は声も失ってしまった。彼に対する扱いは、さらに悪くなった。
そうしてある日、彼の父は彼を人買いに売った。目が見えぬ子だというのを黙って。
彼は耳がよかった、そのため、短い時間であれば彼の目が見えないのには気づきにくい。だから人買いは彼をふつうの子どもと同じ値段で買った。人買いが、彼の目が見えていないのに気づいたのは、彼の両親が行方をくらました後のことだった。
だまされ、損をさせられた人買いの怒りは当然ながら彼に向かった。そうして拳や鞭で殴られるうち、ふと意識が遠くなって、あの声を聞いたのだった。
もう一つの記憶。それはこの身体に生まれる前の記憶だった。あの声を聞く瞬間まで忘れていた、魂の記憶。
彼が生きていたのは、今よりもだいぶ前の世界だった。彼は特別な子どもだった。神聖力とよばれる力を有して生まれてきたからだ。だから彼は生まれてすぐに両親と引き離され、神殿に預けられた。
神殿での暮らしは厳しかった。朝も早いうちから神に祈りを捧げ、質素な食事を済ませたあとは修練や勉学にはげむ。神聖力をもつ特別な子どもだからと、他の子どものように遊ぶことは禁じられた。感情を乱せば神聖力も乱れるからと、笑ったり泣いたりすることも禁じられた。言いつけに背けば、礼拝室の石の床にひざまずかされ、何時間も祈りを捧げさせられる。暴力こそ振るわれなかったが、細く冷たい氷の鎖で何重にも縛り付けられるように、自由や意志をうばわれ続けた。まるで人形のように、そこにあることを強要される日々。
そんな折、戦争が起こった。神聖力をもつ彼は、他人の傷を癒したり毒を消したりすることができる。そのため戦場へと駆り出され、怪我人の治療をさせられた。戦場は、まだ子どもの彼が生きるにはあまりにも過酷な場所だった。くたびれ果て、気を失うまで神聖力を使って治療をさせられた。連れて来られた負傷兵がもう手遅れだったときに、なぜ救えないのかと責められることも多かった。多少は感謝もされたが、日々送られてくる負傷兵は、彼一人の力でどうにかできる数ではなかった。結果として、恨みをぶつけられることばかり増えた。
力を使い過ぎたせいだろう、いつしか彼の目は見えにくくなり、声も出せなくなっていた。けれども、そんな彼のそんな状態に構う者はなかった。激しい戦闘の中で、誰もが余裕を失っていたのだ。
そうして彼の運命を決定づける出来事が起こる。
この国の皇太子が彼の元に運ばれてきたのだ。まだ息はあるが、生命の炎はほとんど消えかけている。そしてそれまでに多数の負傷兵を治療していた彼には、皇太子の傷を癒やせる力はもう残っていなかった。
結局彼は、皇太子殺しの大罪人として首を跳ねられた。
十二の誕生日がすぐそこに迫っていたときのことだった。
愛されたかった。
大切にされたかった。
子どもらしく生きたかった。
身体と魂、二人の彼の悲鳴が重なった。