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第17話

 それからタクマは、ルオンに二階を案内した。ルオンのとなりの部屋、つまり昔はセイザとミハイルの祖母が使っていた主寝室は、セイザの部屋。階段を挟んで反対側の客間がタクマの部屋。セイザの部屋にも、タクマの部屋にも、それぞれ木札が付けられている。

「部屋は別々だが、さみしかったり用事があったりしたら、いつでも来ていいんだぞ」

 タクマはそう言ったが、ルオンはあまりよく分かっていない顔で首をかしげた。


 二階の探索が済んでルオンの部屋に戻ると、中年の女性が部屋にやって来た。薄茶色の髪をきちんとまとめた、小柄な女性だ。その顔を見たセイザが目を丸くする。

「ソフィアじゃないか……」

「あらあら、セイザ様。ずいぶんご立派になられて」

 楽しそうに笑うソフィア。彼女は昔、ミハイルの乳母をしていた者だ。セイザも幼い頃、ミハイルと一緒に遊ぶときに面倒を見てもらったり、ミハイルと共に悪さをして、二人そろって叱られたりしたものだ。

「ミハイル様に言われ、こちらに来ることになりました」

 ルオンがセイザの脚にしがみつく。セイザはその背中をそっとなでた。

「彼女はソフィア、これからルオンの世話をしてくれる人だ。大丈夫、優しくて信頼できる人だから」

 それからセイザはソフィアに向かって言う。

「聞いていると思うが、この子がルオンだ。よくしてやってくれ」

 ええ、ええ、とうなずきソフィアはその場に膝をついた。そしてルオンの顔をのぞきこむ。

「ルオン様ですね。今日からルオン様をお世話させていただくソフィアです。よろしくお願いいたします」

 ルオンは応えず、セイザの服を握る手にぎゅっと力を込めた。そんなルオンの態度に、ソフィアは、ただ静かにほほえむ。

「ゆっくりと仲良くなりましょう」

 そうしてその日は、セイザかタクマのどちらかがルオンとソフィアに付き添いながら一日を過ごした。




 セイザが急に「新しい住まいに移る」と言った。連れて行かれた場所は、今までいたセイザの部屋よりも、ずっと静かな場所だった。今までいた場所は、壁の向こうにいつも色んな人の気配があった。けれどもここは違う。壁の向こうに何人かはいる音はするけれど、人数も少ないし、人の動き自体もおだやかだ。

 新しい建物、新しい部屋。

 今まではセイザの部屋からは出ないように言われていたが、ここでは建物の中ならば、どこへ行ってもいいらしい。

「ただ、慣れないうちは私かセイザ様、タクマ様と行きましょうね」

 と、ソフィアという女の人が言った。

 ソフィアもとても優しかった。どうしても最初は怖くて、思わずセイザにしがみついてしまったけれど、ソフィアは何度もおだやかにルオンに話しかけ、色々なことを手助けしてくれた。食事に風呂に着替え。タクマも子どもの世話になれていたけれど、ソフィアはもっと上手で、ソフィアといると何をやるのも、ほとんど困ることはなかった。

 それにここでは、部屋の家具の配置や、食器の形、色んなものが、なぜかルオンに分かりやすい。静かさもそうだったが、そういうわかりやすさもまた、またルオンをほっとさせた。

 今までに一度も感じたことのない、快適さと安心感。その状態を「居心地がいい」と表現するのだとルオンが知るのは、もう少し後のことだった。



 夜、ルオンが眠りにつくと、セイザは新しい自室にタクマとソフィアをよんだ。

「この準備は全部君が?」

 セイザがたずねると、タクマは首を振る。

「ほとんど、ソフィア殿の力だ」

 セイザに視線を向けられてソフィアはうなずいた。

「リタース殿下にお仕えしていた侍女の記録が残っておりましたので」

 その言葉にセイザは自分の記憶を辿る。

「リタース殿下。……おじいさまの弟君か」

 現王の叔父にあたるリタースは、生まれたときから身体があまり丈夫ではなかった。さらに五歳のとき、病気によって失明した。末の皇子だったこともあり、政治の表舞台に出ることはなかったが、とても聡明な人物だったそうだ。付き人に口述筆記をさせたという書物は、今も王宮の図書館で保管されている。そのリタースに仕えていた侍女が、リタースの世話で工夫していた点などを記録として残していたのだという。廊下に装飾品を置かないことや、彫刻をほどこした木札を部屋の目印にすること、スプーンやフォークなどのカトラリーは、種類ごとに持ち手のデザインを変えて、触れただけで分かるようにすることなどは、その記録を参考にしたのだと、ソフィアは語った。

「まだ全てを準備できたわけではございません。さらにルオン様はお言葉も発されませんから、そのための工夫が必要な部分もございます。少しずつ整えて参ります」

 毎日きちんと食事がもらえることが分かったからか、熱が下がったころから、食べ物をあわてて食べる癖だけは、収まった。とはいえまだまだ痩せすぎているし、食事のマナーも教えられる状態ではない。何よりもルオンは、ソフィアをはじめ、セイザやタクマ以外の人間を信頼できるようになる必要がある。

「大丈夫、今一番必要なのはあせらない気持ちです。セイザ様がのんびり構えておられれば、ルオン様もじきに落ち着かれますよ」

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