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第16話

 熱がある間、ルオンはやわらかな毛布に包まれ、ベッドの上でうとうとと眠りつづけた。物心ついてからずっと身体にまとわりついていた空腹も、だれかに暴力を振るわれる痛みもここにはない。セイザやタクマはもちろんのこと、医師だという人も、看護師だという人もルオンに優しくしてくれた。以前の寝床だった物置の隅の床とは違って温かいし、どれだけ寝ていても、ゴミだとかごくつぶしだとか言って蹴飛ばしてくる人もいない。飲み込みやすい食事を与えられ、身体を拭かれてさっぱりとして、またもふもふの毛布に包まれる。

 でもこれらが与えられているのは、自分が祝福だからだ。祝福でなくなってしまえば、また元の冷たい暮らしに戻されてしまうのだろう。ルオンはそう思った。この世界を救う者たちを助けろと、その言葉の意味はまだ分からない。むしろ助けられるばかり、与えられるばかりで。何もできない自分なんかに、彼らをちゃんと助けられるのかな……とも思う。けれどもそのたびに、あのとき聞いた声が胸の中によみがえる。案ずるな、全てが糧になると励ますような声。

「いいんだ、まだ寝ていろ」

 声をかけられ、大きな手で頭をなでられて、また眠りに落ちていく。長い間、恐怖にこわばっていた身体から、少しずつ力が抜けていった。



 ルオンの熱が下がったのは三日後だった。

 熱が下がった翌日には、ミハイルの父親、つまり国王がルオンに会いにやって来た。ルオンには相手が国王であることは伝えていない。セイザがルオンを抱いたまま対面しただけだったが、ルオンはいつも以上に緊張した様子を見せた。セイザやタクマは知らないことだったが、ルオンには扉の外で国王とミハイルが話している声が聞こえていたのだ。それでこの男が国王だというのに気づいていたのである。国王はじっとルオンを見つめ、セイザに向かってただ一言「この子を頼む」とだけ告げた。ルオンは国王が自分に話しかけなかったことに、ほっとした。

 そしてさらに二日後。セイザがルオンに言った。

「もう少し生活しやすい場所に移ろうと思うんだが、いっしょに来てくれるか?」

 ルオンがうなずくと、セイザはルオンにぬいぐるみを持たせ、ルオンを抱いて外に出た。行き先はパルウム宮だ。

 パルウム宮ではタクマが待っていた。

「お、来たな」

 使用人たちには、あえて出迎えはさせず、奥に控えているように言ってある。ここにいるのは、セイザとタクマ、そしてルオンだけだ。

 中に入るとセイザはルオンを床に下ろして、ルオンのぬいぐるみを預かった。タクマがルオンの手を引き、手をつないでいない方のルオンの手を入り口の横の壁を触らせる。

「これからしばらく、ここで暮らすことになる。ゆっくりでいいから、ここの構造を覚えていこう」

 そうしてタクマはルオンに壁を触らせながら、ルオンの手を引いてゆっくりと歩き出した。

「ここは入り口のホール。まずは部屋まで案内しよう」

 ホールを奥に進むと、階段がある。タクマは、ルオンの足取りに合わせて数を数えながら一段一段、階段を上った。二階に着くと左に曲がり、一番最初の部屋の前で立ち止まる。

「ここがルオンの部屋だ」

 そうしてタクマはルオンの手を取り、ドアの横、ちょうどルオンの胸の高さくらいのところに取り付けられた木の板に触れさせた。木の板にはルオンの名前を示す最初の文字が彫刻されている。

「これがこの部屋の印だ。まだ印が付けられていない部屋もあるが、部屋ごとに違う印がつけてあるから、それも覚えていこう」

 タクマの説明に少しおどろきながら、セイザは改めて周囲を見回した。タクマが言うとおり、いくつかの部屋の扉の横には、木の板が取り付けられており、それぞれに違った文字が彫刻されている。さらにルオンが壁伝いに移動できるようにだろう、廊下に置かれていた装飾品も全て片付けられていた。

「さて、部屋に入ろうか」

 そう言ってタクマはルオンの手を扉に導く。

「開けてみろ」 

 ルオンの手がゆっくりと扉を開いた。


 小さな部屋。そこは確か、昔、祖母付きの侍女が使っていた部屋だった。だが日当たりはよく、温かい。

 家具も最低限しか置かれておらず、セイザの感覚からすると、とても質素な部屋だった。しかしどの家具も、全て壁に沿って置かれている。さらに余計なかざり、つまり無駄な突起がなく、角がなめらかにしてあった。他の部屋に比べると少し厚手のカーペットも敷かれ、この部屋が、目が見えないルオンが少しでも生活しやすいようにと用意された部屋であることがよく分かる。

「そんなに広い部屋じゃない。俺たちも見ているから、自分で探検してみろ」

 タクマに背中を押されて、ルオンがゆっくりと歩き出した。壁伝いに歩きながら、家具にひとつひとつ触れ、それが何であるかを確かめていく。

 セイザはその様子を、一種の感動と共に見守った。宿屋にいる間も、王宮のセイザの部屋にいる間も、ルオンがうろうろと歩き回る姿を見たことがなかったからだ。これまでもルオンは、短い距離ならば自分の足でも歩いていた。だが、広い部屋にソファやテーブル、装飾品などが点在するセイザの部屋では何かとものにぶつかってしまう。そのためどこかに座って過ごすか、セイザやタクマが抱いて移動させるばかりだったのだ。

 ベッド、肘掛け椅子、テーブル、クローゼット、ドレッサー。小さな部屋だから、探検もすぐに終わってしまう。部屋を一通り歩いてまわると、ルオンはセイザたちの元に戻ってきた。セイザがぬいぐるみを渡してやると、ルオンは自分でそれを肘掛け椅子まで持っていき、椅子に座らせる。そして安心したように、にこりと笑った。


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