とはいえ瘴気の中だ。セイザとタクマは、ルオンから手を離して少しすると、具合が悪くなってくる。そのため隙を見てはルオンのところに戻らなければならない。バイナも風の魔法を継続的に使っているせいで、いつものようには攻撃に魔法を乗せられない。ルオンはヴェルがしっかりと守っていたが、あまり楽な戦いとはいえなかった。
「……」
セイザが何度目かにルオンのところに戻ってきたときだ。ルオンがまるで引き止めるようにセイザの手を引いた。
「どうした?」
たずねるセイザ。ルオンが古びた剣を指す。
「先にあれを壊したほうがいいということか?」
ルオンはうなずいた。だがついさっき、ルオンの手は弾かれた。考えるセイザに対し、ルオンがセイザの剣を指さす。セイザがルオンの意図をはかりかねていると、ヴェルが向かってきた魔物を爪で切り裂きながら言った。
「ああなるほど。セイザ、ルオンと手をつなぐ、あるいはルオンを抱いたままでアレを斬れるか?」
「……」
ルオンがニコリと笑ってうなずく。セイザは少し考えた。古びているとはいえ、剣を斬るとなるとそれなりに力がいる。セイザは古びた剣の前に、両足を広げてしっかりと立った。
「ルオン、私の腰のあたりにしがみつけるか?」
うなずいたルオンが、後ろからセイザの腰に手を回す。
その瞬間、セイザはその場に風が吹いたのかと思った。以前に遺跡でルオンと手をつないだときに感じたのと同じような風。セイザが剣を振りかぶるのに合わせて、風が移動していく。セイザの腕から剣が風に包み込まれたとき、セイザはハッキリと自覚した。そこに、目に見えぬ力がある。以前にバイナが言っていた、オーラとかエテルなどと表現される力の流れ。それがここにある。
ルオンから流れ込んでくる力が、セイザが剣を扱う力を後押しする。
斬れる。
それは確信だった。
剣術を習い始めて、一番最初に藁束を切ったときのような。
剣術の試合で、相手の姿勢が乱れて、好機を悟ったときのような。
ここだという、揺るぎない直感。
大きく息を吸い込み、セイザは鋭い呼気と共に、両手で握った剣を振り下ろした。
ルオンの手を弾いたような、反発する力と、セイザの剣の力がぶつかり合う。
力を込めるセイザ。そこにルオンの力が乗る。
大きなガラスが粉々に砕け散るときのような、激しい音がした。
そうして、そこにあった古びた剣は、真っ二つに折れた。
立ち上っていた瘴気が止まる。魔物たちが、戦局の変化を悟ってわずかに後退する。セイザが改めて魔物に向かって剣を構える中、バイナが言った。
「ルオンちゃん。ちょっと試してみたいことがあるもんで、ええ?」
ルオンの手を取るバイナ。何かを感じたのだろう、ルオンがバイナに向かってはっきりとうなずく。そうしてバイナは、その場に風の魔法を展開した。ルオンの力をまとった、風の魔法。バイナを中心に、セイザたちの周りの瘴気が少し晴れる。
「おお、大成功。ルオンちゃんありがとね」
広い範囲ではないが、少なくともこの中ならば、セイザたちも瘴気をほとんど気にせずに戦える。
「……そんな方法あるなら、最初からやってほしかったぜ」
ぼやくタクマ。
「悪いね。セイザのさっきの一撃を見て思いついたもんで」
首をすくめるバイナ。無理もない。何よりも彼らにとっては、ルオンが意識的に力を使ったのを見たのは、つい昨日のことなのだ。仲裁するようにセイザが言う。
「戦いやすくはなったんだ。早く片付けよう」
決着は、ほどなくして着いた。最後に残った魔物の首をタクマが剣で切り落とし、周囲に静寂が戻ってくる。
「残りの瘴気は、そのうち薄くなっていくだろう」
ヴェルが言う。セイザたちは念のため、折れた古い剣を持って山を下りたのだが、そこで小さな問題が起きた。
村に戻ったセイザたちを、村人たちが盛大に迎えたのである。
◆
「戻っていらしたぞ!」
村人の誰かが声を上げる。それと同時に、わっと歓声が上がり、村人たちがセイザたちの元に集まってくる。
「村をお助けくださり、ありがとうございます!」
「『夢を紡ぎし風』よ、お目覚め、おめでとうございます!」
「さすが勇者様!」
最近のルオンは、だいぶ人に慣れてはいたが、さすがにこの騒ぎには驚いてしまった。何しろ目が見えないため、大勢から口々に何かを言われると、人の位置や数などが分からず、混乱してしまうのである。声の質は全くちがうが、魂の記憶で皇太子殺しの罪人として糾弾されたときを思い出してしまい、ルオンは思わずタクマの手にしがみついた。その様子を横目で見たセイザが言う。
「ありがとう。……ただ、すまない。今は少し休ませてもらえるだろうか? 山の中でも戦闘になって、少し疲れている仲間がいるんだ」
セイザの貴族らしい、しかしキッパリとした物言いに、村人たちが落ち着きを取り戻した。そんな彼らに向かい、セイザは礼儀正しいほほ笑みを浮かべてみせる。
「明日にでも改めて、時間を設けさせてくれ」
その言葉をきっかけに、村人たちは退いていった。タクマがルオンの顔をのぞきこむ。
「ルオン、大丈夫か?」
ヴェルもまたルオンを気遣うようにルオンの頰に己の頰をすり寄せた。毛並みの感触に甘えるように、ルオンが目を細める。
「……」
ルオンは自分の胸を指先でトントンと二回叩いた。大丈夫だと伝える仕草。
ヴェルが言う。
「ルオンの言葉なら、我が伝えてもいいのだぞ?」
しかしルオンは首を振った。
「そうか……自分で伝えたいものもあるか」
ミハイルは、野営地に戻ってきたセイザたちから話を聞くと「すまなかった」と言った。セイザたちが山に行っている頃、ミハイルはちょうど伝令を出すために動いており、村人の動きに気づいていなかったのだ。
「勇者としての働きが話題になるのは悪いことではないが……思ったよりも騒ぎになってしまったようだな」
どうやら昨晩の戦いを、広場に面した家の者たちが、家の中から見ていたらしい。そこに村長の話や、この村でまつられてきたヴェルの伝承などが重なり、話題を呼んでしまったようだった。さらにいえば、他の獣とは見るからに異なる、堂々としたたずまいのヴェルの姿も、正直なところ非常に目立つ。それがまだ幼いルオンにピッタリと寄りそっている様子は、嫌でも人々の興味をひいた。
とはいえ、騒ぎになったのは悪いことばかりではなかった。野営地の代わりとして、村の集会所を使わせてもらえることになったのである。食事や風呂なども近隣住民の協力を得られ、その日の夜はゆっくりと身体を休めることができた。
翌日には村長の家で、感謝の宴と称したかんたんな食事会も設けられた。セイザとミハイルが「大げさにしたくない」と頼んでくれたおかげで、小規模な会食になったため、ルオンも落ち着いて過ごすことができた。そうして、セイザたちはもう一日を村で過ごし、首都への帰路に着いた。