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第46話 グローブと招き猫

 翌朝、私は雑木林にいた。


「……十五分遅刻」


 先に到着していた宮松みやまつくんが、腕時計に目をやりながら相変わらずの不機嫌声で呟いた。


「ごめん、なさい」


 いつもなら文句の一つでも言っているところだけれど、今日は事情が違う。

 なにせ、ここに辿り着くまでが超大変だったのだ。


 私が出勤場所に指定されたのは、伏木ふしぎ分室……ではなく、そこからさらに数十分。

 急な坂道を登った先にある伏木台という場所だった。


 伏木台のてっぺんには高校がある。

 伏木分室が伏木台にあったら、毎日の通勤が拷問だよねと仲のいい先輩のかなちゃんと話していたのが二ヶ月とちょっと前。

 ついにその悪夢が現実に……――。

 なんてことはなくて、宮松くんの言う「修行」を行う場所に選ばれたのがここだった。


「大変だったんですよ。バスは使っちゃダメだって言うし、学生たちに見られても良くないって言うから……」


 伏木台に上がる道は一本だけ。

 おかげでバスに乗らず、人目にもつかないように進むのは至難の業だった。

 道中、何度学生の気配を感じて藪の中に飛び込んで身を隠したことか。


「アンタ、馬鹿だろ」


 宮松くんが冷たく言い放った。

 なんだと!?!?

 ケンカか??


「俺はそいつ・・・を見られたらまずいから目立たないようにしてくれと言っ――」

「レイ、助ケテ! 食ワレチャウヨ!」


 宮松くんの言葉を遮る悲痛な声が聞こえてきて、ふとそちらに目を向ける。

 そこでは獲物を見つけて目を輝かせるみぃちゃんと、巨木の前に追い込まれてプルプル震えている式神の無月むつきの姿があった。


「うるさい。いっぺん食われとけ」


 宮松くんの無慈悲な声が響く。


「みぃちゃん、ダメだよ。後でもっと美味しいものあげるから、ね?」

「ミンナ、ヒドイ……」


 私がみぃちゃんを抱き上げると、無月は涙目になりながら宮松くんの頭の上へ飛んで行った。


「宮松くんの言いたいことはわかったけど、目立ったらまずいのはその子だって同じだよね?」


 白地にピンクの水玉模様の猫も一つ目のカラスも、SNS命の高校生たちからすればバズること間違いなしのアイテムに違いはない。

 そう思っていた私の目の前で、宮松くんは無月を紙切れにしてしまった。


「こいつは式神だ。呪符を使えば好きな時に呼び出せるし、いつでもこうして呪符に戻せる」

「……へっ? へぇ??」


 それは知らなかった。


「車内で猫の鳴き声がしたら騒ぎになるからバスに乗るなと言っただけで、藪の中を歩いて来いとは俺は一言も言ってないからな」


 なんて文句を言いながら、髪に引っかかっていた枝を取ってくれる。

 ってことは私は無駄な苦労をしたわけだ。


「それで、修行って何をするの?」


 恥ずかしさで逃げ帰りたい気分を吹き飛ばすには体を動かすしかない。

 修行とやらで優秀なところを見せて汚名を返上しなければ。

 意気込む私の顔を、宮松くんはまじまじと見つめてきた。


「先生から預かってるものがあるだろ。出して身につけろ」

「あっ」


 宮松くんの先生、瀬田せださん。

 あの人からもらったメガネは……――。


「失くしました」

「は?」

「その、前に怪異と戦った時に、池でバタフライをして。私は夢中で気付かなかったんだけど、飛んで行っちゃったみたいで。失くしました」


 出鼻をくじかれるというのは、こういう状態のことだろう。

 申し訳ないやら恥ずかしいやらでうつむいた瞬間だった。


「だーっはっは、ぎゃは、ひぃ」


 宮松くんから聞いたことがない声が聞こえた。

 まさか悪霊に憑りつかれた!?

 慌てて顔を上げると、彼はお腹を抱えて笑い転げていた。


「池で……ぶはっ、バタフラっぶはははは! アンタ、本物だよ。ぎゃは、ひぃぃ」


 降参、降参と繰り返す宮松くんの目には涙がにじんでいた。


「なんか意外だな、宮松くんってゲラなんだ」

「悪かったな。先生には笑い方が悪人過ぎるからあんまり笑うなって止められてるんだよ」


 あー、だから普段は不機嫌そうに仏頂面してるんだ。

 そう考えたらちょっと可愛らしく思えてきたぞ。


「ところで、学校の七不思議って覚えてるか?」

「懐かしい〜!

 ええと、トイレの花子さん、ベートーヴェンの目が光る、二宮金次郎の像が走る、四時四十四分に四次元ババアが現れる、動く人体模型、階段の踊り場の鏡に死後の姿が映る、朝校門前にいるオハヨウおじさん、夜のプールで泳ぐと足を引っ張られる……あれ? 七個を越えました」


 指折り数えていたはずが、七不思議では足りなくなっていた。

 というか、七不思議って全部知ったら死ぬんじゃなかったっけ?


「オハヨウおじさんは教頭とか学校関係者だろ。まあ、そんな感じで学校の怪談ってのは挙げていけばキリがない。つまり、修行にはもってこいの場所ってわけだ」

「でも、侵入したらオハヨウおじさんみたいに捕まっちゃいません?」

「部外者だったのかよ、オハヨウおじさん」


 オハヨウおじさんの件は話すと長くなるから省略するとして、できればそういう危険なことはしたくないんだよなぁ。

 そう思っていると、宮松くんはみぃちゃんに目を向けた。


「こいつを使えばいい」

「使う? どうやって?」

「招き猫にするんだよ」


 宮松くん曰く、みぃちゃんくらいの力があれば福招きならぬあやかし招きができるらしい。

 みぃちゃんはみぃみぃと鳴きながら招き猫のように手を動かし始めた。

 これ、結城ちゃんが見たら可愛さで卒倒しそう。


「で、怪異が来たらこれを使え」


 宮松くんに手渡されたのはレザーの手袋と失くしたはずのメガネだった。


「これっ!」

「メガネだけ先生のとこに帰ってきたって聞いたから何事かと思えば……ぎゃはは」


 また思い出し笑いしてる。

 そんな宮松くんは放っておいて、久々にメガネをかけてみた。


「うわっ、招かなくてもウヨウヨいるじゃん」

「そんな雑魚相手じゃ修行にならないから。ほら、招いたのが来たぞ。グローブを使えば奴らにも触れられるようになるから……――」

「了解!」


 さっそく手袋をはめて右ストレートを打ち込む。

 間髪入れずに左でボディを連打。

 相手も負けじと私の髪や服を乱暴に引っ張ってくる。


 くそっ。

 こんな奴に負けてたまるか!

 私の闘志に火がついた。


 一体倒せばみぃちゃんが招いた次の怪異がやってくる。

 その日の伏木台高校裏の雑木林では、日が暮れるまで私と怪異の凄惨な戦いが続き、宮松くんの引き笑いがBGMのように響いた。

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