「キャァァァァァァァァ!!」
いつも通り平和だったはずの
声の発生源は廊下の方だ。
私と
「わ、わぁ……」
呆然とする結城ちゃんと、廊下で腰を抜かしている
その目の前には、巨大な生き物が待ち構えていた。
「ヨナグニサン!?」
「へぇ~。知ってるんだ」
ニヤニヤしながらそうのたまったのは、顔なじみの少年だった。
「
「なに? ゲームみたいにひょいって捕まえてみてよ」
彼は挑発するように壁に止まった巨大な虫を指さして言う。
ゲームで出てきたから名前を知ってるのは確かなんだけど……――。
自分の手のひらより大きい虫なんて怖くて触れないよ!
「作り物っスよね」
「えっ? もうバレたの?」
「そりゃそうっス。いくらキッカイ町とはいえ、天然記念物はスポーンしないっス!」
自信満々で言いながら、ヨナグニサンのおもちゃをくるくる回して様々な角度から観察している。
「めちゃくちゃリアルっスね~。今にも動き出しそ……どわっ!?」
大声を出したかと思うと、真藤くんはヨナグニサンを放り投げた。
空中に投げ出されたおもちゃは、おもちゃとは思えない滑らかさで羽を動かして、元々止まっていた壁に戻っていく。
そして、大きな羽を私たちに見せつけるように広げたまま静止した。
「い、生きてるんですか?」
いつの間にか遠い位置に退避していた結城ちゃんが、警戒心剥き出しで物陰から様子を窺っている。
「香塚さん、
「小津骨さん!?」
普段なら先頭に立って私たちを守ってくれるのに、今日は暴君になってる!?
今までだって過酷な状況は何度もあったけど、業務命令なんて言われたのは今回が初めてだ。
おもちゃだとわかっていても、いつ動き出すかわからないから手を伸ばす勇気が出ない。
どうにか許してもらえないかな……と救いを求めて視線を送ってみると、小津骨さんは改めて「業務命令よ」と静かに告げた。
「ダメっス、ダメっス! こーづかさんに触らせたら勢い余って殺しちゃうっス! 天然記念物を殺したら死刑になるっス!」
言ってることはよくわかんないけど、真藤くんが助け舟を出してくれたようだ。
私はなんでもかんでも壊す破壊魔じゃないんだけどな。
憮然としながらも、「業務命令だか」「仕事だから」と自分に言い聞かせて恐る恐るヨナグニサンに手を伸ばした。
「あ、ストップ!」
それまでニヤニヤしながら私たちのやり取りを見ていた慧くんが、慌てた様子で私の前に割り込んできた。
「これ壊したらパパに怒られるから」
言い訳をしながら、そそくさと標本箱のようなケースにヨナグニサンを片付けてしまった。
「……ちょっと、慧くんまで私のことそんな風に扱うの!?」
「そんなことより何がどうなってるか教えて欲しいっス!」
「
私の文句は誰にも聞き届けられることなく、小津骨さんは真藤くんの首根っこを掴んで引きずるように事務所へ連れて行く。
その後ろに結城ちゃんと慧くんが続き、一人取り残されそうになった私も後を追いかけた。
「それにしても、最近動く模型が多いですね。ジンタくんといい、このヨナグニサンといい……」
収納ケースが充電器になっていて、スマホのアプリを使って羽の開閉をするんだと自慢気に説明している慧くんを横目に、結城ちゃんが呟く。
「あ、そうだ。ジンタくん!」
首を斬り落とされてしまったジンタくんはあれからどうなったんだろう?
私が問い掛けると、慧くんは苦い顔をした。
「あれ、れーたくんたちが壊したの? 先生に見つかる前に僕が気付いて片付けたから大丈夫だったけど、バレたら全校集会になって色々大変なことになるとこだったんだよ」
「俺たちは何もしてないっス!」
「ふーん?」
慧くんの目がこちらを向いている。
こういうのって強く否定すればするほど怪しくなるから困るんだよね。
「今回バラバラになったせいもあるのかもしれないけど、首を支えてたパーツが寿命で壊れたらしくってさ。ジンタくん、近いうちに捨てるんだって」
「そうなんすか!?」
「うん。うちのパパがそれを買い取ろうとしてママとケンカしてるの聞いたから」
「えっと……慧くんのお父さんって何者?」
初めてここに来た時は転勤族って聞いてたけど、人体模型を買う転勤族って何をしてる人なんだろう。
「あー……んーと、なんでも屋? 外国の変な雑貨とか、蔵から出てきた古い道具とか、よくわかんない絵とか巻物とかいろんなものを集めてきてネットで売ってるんだよね」
この精巧にできたヨナグニサンもその収集品のひとつらしい。
「髪が伸びる人形とか、使用済み藁人形とか、そういうのもオカルトマニアには結構人気らしいんだよね。キッカイ町は変なモノが多いってその界隈では有名らしくってさ。それでここに引っ越してきたんだ。
……あ、これ他の子にバレたら馬鹿にされるから秘密ね」
「へぇ~! 慧くんのおうち、楽しそうですね!」
弊分室のオカルトマニア、結城ちゃんも釣れたようだ。
かくいう私も、ちょっと興味を引かれてるんだけどね。
「ジンタくんが届いたらみんなで遊びに行くっス!」
「行きましょう!」
ワイワイと盛り上がっている真藤くんと結城ちゃんを制止するように、終業時間を告げるチャイムが鳴った。
「さ、帰りましょう」
「帰るっス~! ……あっ」
カバンを取ろうと伸ばした真藤くんの腕が、ヨナグニサンの入っている標本箱にぶつかった。
床に叩きつけられた標本箱は派手な音を立て、蓋が外れる。
その瞬間。
ヨナグニサンは大きな羽をはばたかせて宙へ舞い上がった。
そして、そのまま開けっ放しになっていた窓から外へ出て行ってしまう。
「ヤバイ、逃げたっス!」
「慧くん! アプリのコントローラーで止めて!」
「なんで!? 全然操作が利かない」
阿鼻叫喚の地獄絵図とはまさにこのことかもしれない。
「結城ちゃん、ごめん。私の荷物任せるね」
私はスマホだけをズボンのポケットに押し込んで、伏木分室の外へ飛び出した。
空を見上げると、大きなシルエットはすぐに見つかった。
よかった。まだ近くにいる!
「怜太、あなたが逃がしたんだからあなたも追いかけなさい!」
小津骨さんに叱責されて、慌てて真藤くんも飛び出してくる。
「真藤くんは右から回り込んで! 私は左から行く!」
指示を出しながら私は考えた。
遥か頭上を飛ぶ虫を素手で捕まえるのにはどうしたらいいんだろう、と。
【怪奇レポート014.標本箱の蝶がはばたく
概要:伏木分室に持ち込まれた大型の蝶を模した玩具が落下した衝撃で誤作動を起こし、操作不能のまま飛び立った。
その後、当課職員が追跡を行ったが、最大充電時の継続可能な飛行時間である一時間を越えても飛行し続けた。
対応:粘り強い追跡により、誤作動を起こしてから約三時間後、高度が下がったところを無事に確保した。
製品ケースである標本箱に戻した後はどれだけ時間をかけても再充電されず、動くことはなくなった。
同様に模型の操作に使用されるスマートフォン用アプリケーションも原因不明のエラーで起動できなくなった。
製造元不明の製品であり、分解方法も不明のため原因の特定はできなかったが、現物は資料として保管する。】