彼が名乗った瞬間、きょとんと口を開けては吃驚するヒュプノス。探し人が目の前にいた事に頭の処理が追いついていない。パソコンがフリーズした時に現れるロードの円が似合うくらいには固まっていた。
「……こんな偶然もあるんだ……めんどー……ここら辺とは言われたけど、人っていっぱいいるし、せっかく人探しを体にサボれると思ったのに……言わなきゃ良かった」
「サボるて……」
漸く思考回路が繋がり、すんっと表情筋に与えられた力を極限まで落とした真顔で自身の発言に後悔を示すヒュプノス。どことなく意気消沈しまっさらな灰になりかけているようにも見える。
彼女の話からすると、与えられた指令を逆手に取り怠けていたのだろう。それが偶然にも張本人の家の中に転がり込むという、ヒュプノスからしたら
「結局のところなんで俺を探してたんだ」
「えー……その話、今しなきゃ……ダメ?」
「気になって夜も寝られないくらいには。そもそも実物を見たから納得してるけど、天使ってのが現実味なくてな……」
「じゃあ……明日話す」
「人の話聞いてた? そして寝ようとするな」
なんで自分を探していたのかを知りたくとも、隙あらば寝ようとする飛んだマイペース天使に手を焼く柊也。
再び寝返りを打ち寝に入った彼女の腕を引き上げ、半ば強制的に身体を起こす。先程は焦りのあまりしっかりと感じることはなかったが、冷静になった今、改めて触れた柔らかく華奢な腕は、やはり少しでも力を入れれば儚く崩れそうに細い。しかしその先入観とは裏腹にしっかりとしていた。
「うぇ……そんなに気になる……? はぁ……」
トイレに大切なものが落ちた時のような、渋くしかして残念な表情が、彼女がどれだけ面倒臭がりなのかを物語っていた。恐らく見逃してくれるような人物の前ならば、適当な言い訳をつけて眠りに入っていただろう。だが彼は違った。と言うよりも自身に関係することであるがために、見逃すことも黙らせることもできないだけだが。
「君の監視役……だったかな。最近変なもの見てたり……しない?」
「変なものなら目の前に」
「ボクのことじゃないよぉ……というか冗談はやめてね……ボクはサボりたいんだから……仕事したくないんだから……」
「いや本当にいるし、なんなら今の言葉で血行を変えたぞ」
目を細めながら、柊也に最近異変がなかったかを尋ねると、じっとヒュプノスの方を見て返事をされる。最初は自分のことだと思い、悲しそうに否定した。しかし二回も同じことを言われれば確認せざるを得なかったのだが、同時に放たれた柊也の言葉で彼女はピタリと動きを止める。だらだらと冷や汗が溢れ始め、ようやく振り向けば、青筋を立てたまま笑顔を作っている男性がいた。
柊也の目には、光の玉が彼女の後ろに現れ、突然人の姿になったように見えている。故に彼は『変なもの』として言葉にしていた。
「うげ……熾天使……ラファエル」
「うげ……熾天使……ラファエルとは何事ですか、ヒュプノス。はぁ……念の為と思って来て正解でした。それに自動運搬も上手くいってたようですね。あなたはすぐにサボろうとしますから」
「ラファエルの仕業だったのか……解せぬ……ボクを乱暴に扱うなんて」
突然現れたその人の背中には翼は見えない。だが、話の内容しら推察すると、いつの間にかあらわれたその人も天使であることは間違いなさそうだった。
「おや、君、私の事を天使か疑ってますね。無理もありません。今はこんな格好ですし……でもまぁ天使であることを知られた以上仕方ありませんか」
まるで心を読んだかのように、そう言って熾天使は隠していた羽根を大きく広げる。ヒュプノスの翼とは違い無垢な純白で、ふわりと爽やかな風が部屋の中を踊る。
初冬でも心地よいと感じるその風から、無意識にも触ると気持ちいいのだろうと想像してしまう柊也。実の所、彼はもふもふが大好物。ゆえか自然と手が前に伸びていた。
またしても彼の心を、否、煩悩を感じ取ったのか、すっと翼を折りたたみ存在諸共消し去る。
「触りたそうにしてますが、本来私たち天使の羽は信頼している人にしか触らせません。と言ってもヒュプノスは特別です。触りたければ彼女のを触ってください」
「え゛っ」
「サボろうとした罰ですよ」
悪い顔を浮かべて柊也の注意をヒュプノスへと向けさせる。しかし本題の続きが気になるのと、彼女の羽は先程触っていたこともあり、伸ばした手は引くことにした。
「おや、いいのですか? 天使の翼なんて滅多に触れませんよ?」
「ああ、いや……そ、それよりもなんで天使がここに来たのかちゃんと教えてくれないか」
天使の翼は誰もが触れない。そう言っていたが、彼はつい先程無駄で触っていた。それは流石に言わない方が身のためだと感じ、適当に誤魔化して話を戻す。
「そうですね。ヒュプノスがちゃんと話すことはないでしょうし、私が説明を……ここ最近この地に悪魔が潜んでいることがわかりました。特に柊也さんの近くにいる人からその気配があり、我々天使は隠れて調査をしていたのです。ただ、見事にバレてしまいましたが」
「バレたのはラファエルのせい……」
「ヒュプノスが寝ているからでしょう? 起きていれば回避なんて簡単だったはずです。まぁ、私も私でまさか本人が部屋の中にいるとは想定してませんでしたが」
ラファエルが事細かく今回の経緯を話したが、それでも疑問点が浮かび上がる。それは調査としてなぜ、全く適任とは思えないヒュプノスを選抜したのかだ。
凡そ人手不足で適任者が居ないという理由あたりが妥当な返答であることは、薄々感じてはいる。けれど現在進行形で既に寝ようとしているヒュプノスが選ばれるなんてことは、考えられない。
現高校生の柊也でも、バイトという形で社会に入り込んでいることもあり、彼女のように真面目に仕事に取り組もうとしない人材は切られる事くらいは理解できる。特に不況続きの現代社会は乏しい成績しかない人材を平然と切り捨てる世の中だ。そのため尚更不思議でしかない。
そしてもう一つの疑問。悪魔の存在。天使が目の前にいる今何が来ても驚かない自信しかないが、それでも悪魔の存在というのは流石に信じられない。
「ふむ……ヒュプノスが選抜された理由と悪魔のことですか」
「……さっきから割と気にはしてたけど、心読んだみたいに俺が疑問に持ってるの当ててないか!?」
「ラファエルは心を読めるんだよ……」
「なるほど……道理で……って納得できるか! いや既にやられてるから信じるしかないのか……」
浮かんだ疑問を言う前に、またもラファエルが発言した。ここまで来れば確実に心を読んでいると言っても過言では無い。
そうでなくても偶然にしては出来すぎだ。確認のため聴いてみれば、彼の代わりにヒュプノスが気だるそうに答えた。彼が恐ろしい人物であることに確信を持った瞬間である。
これは確かにヒュプノスが嫌な顔をするわけだ。なんて思った際には、ただにこっと笑みを浮かべるだけ。何も知らなければ単なる笑みだったのに、情報1つで笑顔がここまで怖くなるとは柊也は思ってもみなかっただろう。
「まぁ、よく思われていないのは知っていますが、仕事は仕事です。私は仕事に私情を持ち込みたくありませんし、気にしてませんよ。さて、とりあえず話を続けさせていただきますね」
取り繕ったような笑みを下げて、柊也が抱いた疑問に一つずつ答え始める。ただ以降の疑問は全て答えていたら時間がもったいないと、先程のヒュプノスの件と悪魔のことについてのみ説明が行われた。