ラファエルの説明を簡単に纏めると。
柊也の近くに悪魔が居る。
柊也は悪魔と接触したことがあり、監視対象。
悪魔を油断させるために、怠惰なヒュプノスを選抜した。
悪魔は普段人に化けており、放っておくと危険な存在。
との事。どれもこれも現実味を帯びないものばかり。心当たりも一切なく、途端に胡散臭くすら感じる。
しかし、ちゃんと翼や光から人が現れるところを見ていては胡散臭いと思うだけで、彼らの言葉に嘘偽りないのを信じざるを得ない。
「さて……私はそろそろ戻らなくてはなりませんが、せっかくです。ヒュプノスを貴方に預けます」
「は?」
「ヒュプノスは成果を挙げるまで私達の元には帰れないのです。それに監視対象が近くにいるのならば、仕事も捗るでしょうからね。それでは私はこれで」
およよと悲しそうにして言葉を吐いたラファエルは、怒りと動揺を露わにする柊也の言葉を待たずに姿を消した。もはや無能な部下を不用品とばかりに押し付ける形で捨てる行為に、放心するしかない。しかし、今は放心している場合ではない。『預ける』ということは、暫くの間この家の中でヒュプノスと一緒に過ごさなければならないということ。
周りには適当にいとこだ、生き別れの妹だと誤魔化せるが、一人暮らしの部屋に空きベッドもなければ生活用品も整っていない。せめて空き部屋があればよかったのだがそれもないただのワンルームに男女二人。もはや同棲状態のそれで、今後の生活が危うく理性を保てるかのかも彼にとっては不安でしかない。
「はあ……やっと寝られる……」
一方事の重大さを感じ取っていないヒュプノスは、膝立ちでゆっくりと柊也のベッドへと歩み寄って就寝準備をしていた。どこでも寝られるとはいえやはりふかふかなベッドに身を沈めたいのは天使も同じなのだろう。
しかし、それを遮るようにラファエルが再び現れると、猫を持ち上げるように彼女を持ち上げて床に座らせたのち、淡々とした声色で一言。
「伝え忘れていました。ヒュプノス。明日から柊也さんが通う学校に行きなさい」
「え、嫌だ」
「命令です。悪魔の手がかりがあるかもしれませんから。連絡はそれだけです。では本当に頼みましたよ」
まるで嵐のように横暴な天使。一方的な指示に拒否を受け入れない。傍から聞いていればまるで昭和のそれだったが、今回も逃げるように消えたため結局悩む羽目となった柊也。さらに今のラファエルの指示により悩みの種が一つ芽生えてしまい、ついに頭を抱えてしまった。
「そう悩むなって、考えるだけ無駄だよ。なるようにしかならないんだから。でもボクは休むけど。学校なんて面倒だし。ところでお菓子ない?」
「ここまで悩むことになったのはお前のせいだろ! あとお菓子はない! はあ……天使だとか悪魔だとか、悪魔が近くにいるだとか、天使が強引に同居するとか……考えることがいっぱいありすぎだ……」
ベッドに寝転がり、呑気にお菓子を要求してくる彼女に怒声を浴びせてしまう。突然すぎる展開に頭の処理が追い付かず、困惑している中で色んなことが起きたのだから苛立ちを覚えるのは仕方がないことだろう。
ただいきなり怒るのは流石にやりすぎたと反省しており、頭を冷やして考えを纏めるために彼は一度外へ出ることにした。当然ヒュプノスは置いて行って。
「あれ、ひー君珍しい。いっつも家に籠ってばかりなのに」
外に出てすぐ、黒く艶やかな腰まで伸びた長い髪をポニーテールにして、小さな淡い茶色のコートだけで防寒対策をしている少女、
鍵を手に持っていることから、彼女も丁度今外出しようとしていたところだろう。だがそれにしても、コートの隙間からうっすらと見える足はどう見ても生足。手は手袋を履いておらずコートを着ているとはいえ寒そうだ。
「ちょっと外の空気を吸いたくなって」
「いいねー。籠ってばかりだと良くないからね。あ、そうだ。どうせだから一緒に散歩でもしようか」
「歩こうと思ってたところだからいいけど、どうせだからで一緒に散歩って。誰かに見られたら誤解されそうだな」
いつも家に籠ってばかりだからたまには身体を動かすのも悪くないと思う柊也。それに身体を動かせば、あの天使のことについて考えを纏められそうで、散歩することは快諾する。
しかし、心は学校では人気者。対して柊也はそこまで目立たない所謂陰キャ勢。そんな2人が一緒に歩いているところを見られたら、確実に誤解を生むことになるだろう。
「んー別にひー君ならいいケド。にひひっ!」
彼の前に立ち、誤解が生まれることを懸念するような言葉を呟いた彼に向けて、無邪気でいたずらな笑みを送る心。2人とも仲睦まじく見えるが、恋人関係ではないし、そういう関係になるつもりも2人にはない。しかし彼女は誤解されたらその時はその時だと思っている。
そして鍵をポケットの中に入れて「ほら、行こう!」と彼の手を握り、2人は歩き始めた。
「それにしても、外の空気吸いたくなったって言ってたけど、何かあったの? 外の空気を吸うって大体考えを纏めるときとかに使う文句でしょ?」
「まあ……何かあったと言えば何かあったな」
「えー! なになに教えて!」
街中を歩きながら二人はなんてことない会話のキャッチボールをする。その話の内容は、外に出てきた本当の理由について。
確かに柊也は、天使だ悪魔だなんだという情報量の嵐に見舞われ苛立ちが積もった。それを解消しつつ思考を整理するため、こうして外に出た。だが、果たして天使のことを教えていいものなのか悩む。
別に秘密にしているという話はなく、彼にしか見えないという話もない。特別伝えてはいけない何かもラファエルとの話では浮上しなかった。ならば教えても何も問題はない。
たった数秒でその思考が纏まり、自身の話に興味を沸かせている心に、先ほどの出来事を伝えた。すると、彼女の顔色が少しだけ暗くなった。まるで何かの罪悪感に潰されているようなばつの悪い顔。
丁度電柱かなにかの影にでもなったかと考えたが、そういう暗さではないことから、伝えた言葉に問題があるのだと理解できる。だがわかったところで何がきっかけとなったか、なぜ暗くなったのかはわからないのだから気にしても無駄だった。
「天使かあ……またファンタスティックだね……」
「信じてくれるのか?」
「うん! そりゃあひー君のこと信用してるからね」
声もどことなく覇気がない。しかしそれを誤魔化すように空元気で会話を続けていたが、思うように会話が続かなくなり、キャッチボールはぴたっと止まり込んだ。ただただ静けさが残るここで耳に残るのは車の走行音と雪を踏みしめる音だけ。
今までどうやって話していたのかすら忘れる気まずい時間。もどかしくて今すぐにでも逃げたい気持ちを抑えていると、心が恐る恐る口火を切った。
「その、さ……買い物終わったら、ひー君が言った天使。見に行ってもいい……かな?」
小さく呟かれたその言葉を拒否することはなぜかできない。ヒュプノスは特別ではあるが、女子、それもクラスメイトの女子を家の中に上げるのは緊張してしまうものなのだが、断るという言葉は柊也の口から一切出てくることはなかった。