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4:缶コーヒーの温もりと、不器用な告白

数分間、みさきはそのままの状態で震え続けていたが、やがてゆっくりと、しかし未だ顔を真っ赤にしたまま、体を起こした。その瞳は、激しい感情の嵐が過ぎ去った後のように、わずかに潤んで見えた。


彼女は、深呼吸を一つすると、努めて平静を装おうとしているのか、わずかに咳払いをした。それでも、その声はまだ上ずっている。


「……………失礼しました。少々、取り乱しました」

「い、いえ…こちらこそ、変なことを言ってしまって…」


田中は、依然として戸惑いながらも、少しだけ安堵していた。最悪の事態は避けられたようだ。


「………………………」


再び、沈黙が訪れる。けれど、先ほどまでの張り詰めた空気とは、質が変わっていた。爆発の後の静けさ、とでも言うのだろうか。何か、決定的な一線を超えてしまったような、不思議な感覚が漂っていた。


すると、みさきが、おもむろに持っていたバッグの中から何かを取り出した。それは、二本の缶コーヒーだった。


「…………あの、これ。もし、よろしければ」


彼女は、そう言って、一本を田中に差し出した。顔はまだ赤いまま、視線は缶コーヒーに向けられている。


「え…あ、ありがとうございます」


田中は、戸惑いながらもそれを受け取った。ほんのりと温かい、微糖タイプの缶コーヒー。


「い、いえ…た、たまたま、多く買ってしまって…! それだけですから!」


彼女は、慌てて付け加えた。そのテンプレのようなツンデレ台詞に、田中は思わず、口元が微かに緩むのを感じた。この期に及んで、まだそんなことを言うのか、と。


二人は、しばらく無言で缶コーヒーを飲んだ。その温かさが、少しだけ、凍てついた場の空気を溶かしてくれるような気がした。


やがて、みさきが、意を決したように口を開いた。声は、まだ少し震えている。


「……あの、田中さん」

「は、はい」

「……その…今日、お誘いした、本当の理由なんですけど……」


田中は、ごくりと喉を鳴らした。いよいよ、核心に触れる時が来たのかもしれない。


「……子どもたちが聞きたがってた、というのは…その……嘘、ではないんです。一部の子は、確かに、あの…金魚のお話(?)を面白がって…というか、不思議がって…いたので」


(一部の子、か…やはり…)


「…でも……一番、その……田中さんの、お話を…というか、言葉を…また、聞きたい、と…思っていたのは……………わ、私、なんです」


彼女は、言い切った。顔を真っ赤にして、俯きながら。その声は、消え入りそうに小さい。だが、それは紛れもなく、彼女自身の、正直な告白だった。


田中は、言葉を失った。予想していたことではあったが、こうして本人の口からはっきりと聞かされると、その衝撃は大きい。


「…………どうして、ですか?」


田中は、恐る恐る尋ねた。


みさきは、指先でスカートの裾を弄びながら、訥々と語り始めた。


「…うまく、説明できないんです。田中さんの言葉は…その…論理とか、脈絡とか、そういうものが…全くなくて…普通なら、意味不明で、不快に感じるはず、なんです。実際、最初に聞いた時は、そう感じましたし…今でも、頭では、そう思おうとするんですけれど……」


彼女は、一度言葉を切り、顔を少しだけ上げた。潤んだ瞳が、不安げに田中を見つめている。


「……でも……なぜか……聞いていると……頭が、クラクラして……心臓が、ドキドキして……顔が、熱くなって……その……なんというか…………抗えない、というか……。ダメだって分かってるのに……もっと、聞きたくなってしまうんです……! その…! 理解不能なダサさに……!」


彼女の言葉は、徐々に熱を帯びていく。まるで、自分自身に言い聞かせるように。


「……この世界の、ダサいダジャレがモテるっていう風潮、私、ずっと馬鹿にしてたんです。くだらないって。テレビの『ダジャレ・キングダム』なんて、一度も見たことありませんでしたし…。ダサ力診断とか、セミナーとか、全部、他人事でした」


「なのに………田中さんの、あの…作為のない、純粋な、天然の、破壊的なまでの『ダサさ』に触れてしまってから……私…………おかしいんです……!」


彼女は、両手で再び顔を覆った。「恥ずかしい……!」と、くぐもった声が漏れる。


田中は、ただ黙って彼女の話を聞いていた。彼の心の中には、驚きと共に、何か別の感情が芽生え始めていた。憐憫でも、優越感でもない。目の前で、自身の不可解な感情に苦悩し、それでも正直に打ち明けようとしている一人の女性に対する、純粋な「興味」と、ほんの少しばかりの「共感」めいたものだったのかもしれない。自分もまた、この世界の価値観に戸惑い、理解できないでいるのだから。


「……だから……すみません、変なこと言って。でも、これが…今日、お誘いした、本当の理由、です……」


みさきは、顔を上げた。その表情には、羞恥と同時に、告白したことによる、ある種の吹っ切れのようなものも見て取れた。


田中は、温かい缶コーヒーを握りしめたまま、しばらくの間、言葉を探していた。何と答えるべきか。どう反応するのが正しいのか。


彼の五十二年間の人生経験の中には、この状況に対応するための適切なデータベースが存在しなかった。

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