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3:迷走する思考回路 ~「ダサさ」の作り方、という矛盾~

発表会への参加を承諾してしまった田中一郎の、苦悩に満ちた特訓(?)の日々が始まった。開催日は一週間後。残された時間は少ない。


まず、彼が直面したのは、「何を言えばいいのか全くわからない」という根本的な問題だった。彼が時折、無意識に口走る「神がかり的なダサさ」は、あくまで意図しない産物だ。いざ、「ダサいダジャレを作ろう」と意識した途端、彼の脳は完全にフリーズしてしまう。


リビングのテーブルにノートとペンを広げ、うんうんと唸ってみる。


(ダサいダジャレ…ダささとは、なんだ…?)


そもそも、「ダサい」の定義が分からない。この世界では、「脈絡がない」「意味不明」「語感が悪い」「聞く者を混乱させる」といった要素が「ダサい」とされ、称賛される。だが、それを意図的に作り出す方法が、彼には見当もつかないのだ。


試しに、世間で「古典的」とされるダジャレを思い出してみる。


「布団が吹っ飛んだ…」

「アルミ缶の上にあるみかん…」

「トイレに行っといれ…」


口に出してみるが、自分でも白々しさが募るばかりだ。(…これじゃない。こんな、分かりやすいものはダメなんだ…)この世界の基準では、これらは「分かりやすすぎる」「捻りがない」とされ、評価は低い。もはや、一周回って「面白い」とすら思われかねない。それは、この発表会においては最悪の評価なのだ。


次に、彼は恐る恐る、インターネットで「ダサいダジャレ 作り方」「ダサ力 向上 秘訣」といったキーワードで検索をかけてみた。すると、出るわ出るわ、怪しげな情報サイトや高額セミナーの広告が画面を埋め尽くす。


『驚異のダサ力アップ! 3つの法則!』

1.連想の鎖を断ち切れ! 関係ない単語を無理やり繋げ!

(例:冷蔵庫 → キリン → 靴下)

2.音の響きだけを拾え! 意味は完全に無視!

(例:「タンスにゴン」→「算数でドーン!」…理由は不明!)

3.言い訳と自己否定を加えろ! 自信のなさがダサさを加速させる!

(例:「…って、言ってみたけど、全然面白くないですね、はい、すみません…」)


田中は、その「法則」なるものを読んで、ますます混乱した。(冷蔵庫とキリンと靴下…? 算数でドーン…? こんなものを、意識して作れと…?)彼にとって、それはあまりにも不自然で、作為的な行為に思えた。彼の「ダサさ」は、あくまで内なる思考の混乱が、フィルターを通さずに表出してしまう結果なのだ。狙ってできるものではない。


(だめだ、こんな方法では、俺には無理だ…)


ノートには、何も書けないまま時間だけが過ぎていく。焦りとプレッシャーで、胃がきりきりと痛み始めた。


そんな彼の様子を見かねたのか、会社で佐藤君が声をかけてきた。彼は、田中が発表会に出ることをどこからか聞きつけ、例のライバル心と、余計なお世話精神を発揮してきたのだ。


「課長代理! 聞きましたよ、保育園の発表会に出るんですって? いやー、チャレンジャーですね!」

佐藤君は、ニヤニヤしながら続ける。

「でも、課長代理のあの『天然』な感じじゃ、本番で力を発揮できるか分かりませんよ? やはり『ダサさ』にも、理論と実践が必要なんです!」

「いや、私は別に、力を発揮したいわけでは…」

「まあまあ、そう言わずに! このダサ力エース佐藤が、直々にコーチして差し上げますよ!」


そう言って、佐藤君は得意げに「ダサさの極意」なるものを語り始めた。それは、ネットで見たようなテクニック論に、彼独自の(そして微妙に勘違いした)解釈を加えたものだった。


「いいですか? まず、突拍子もない動物と家電を結びつける! 例えば…『洗濯機の中から、急にカピバラが出てきて、お寿司食べたいって言ったんだ! …特に理由は無いけどね!』どうです? この理不尽さ!」

「……はあ」

「次に、全く関係ない擬音を連発する! 『パソコンがね、ピーヒョロロって鳴って、ドッカーン!って爆発したと思ったら、ニャーンって猫が出てきた!』意味不明でしょ?」

「…………」

「そして、決め台詞はコレ! 『…っていう夢を見たんだ! キャハ☆』これで、どんなに酷い内容でも、ダサ可愛い感じにまとまるんですよ!」


佐藤君は、自信満々に語るが、田中には、その「狙いすぎたダサさ」が、どうにも受け入れ難かった。それは、計算され尽くした、ある意味「上手い」ダサさであり、自分が無意識に口走ってしまう、あのどうしようもない「下手な」ダサさとは、質が全く違うように感じられたのだ。


(…佐藤君の言うことは、分からないでもないが…これを俺がやっても、ただの寒い人になるだけだ…)


「いや、佐藤君、ありがとう。でも、私は私なりに考えてみるよ」


田中は、やんわりとコーチを断った。佐藤君は、「そうですか? もったいないなぁ」と残念そうだったが、どこか「まあ、俺には敵わないだろうけどね」という優越感も漂わせていた。


一人になると、田中は再び深い溜息をついた。一体、どうすればいいのか。


ふと、彼の脳裏に、今は亡き妻の言葉が蘇った。結婚して間もない頃、彼が何か気の利いたことを言おうとして、盛大にスベって落ち込んでいた時のことだ。


『あなた、いつも面白いこと言おうとして、かえってつまらなくなっちゃうんだから。無理しなくていいのよ。あなたは、そのままでいるのが一番なんだから』


優しい笑顔で、そう言ってくれた妻。彼女が生きていたら、この奇妙な世界の状況を、どう思うだろうか。きっと、「またあなた、変なことに巻き込まれて」と笑いながら、でも最後は「頑張って」と背中を押してくれたかもしれない。


妻との穏やかな日々。そこには、「ダサ力」なんていう奇妙な価値観は存在しなかった。ただ、ありのままの自分でいることが許される、温かい場所があった。


それに比べて、今はどうだ。「ダサくなければならない」というプレッシャー。他人の評価を気にして、自分でも理解できない「何か」を演じなければならない状況。


(俺は、一体、何をやっているんだろう…)


田中は、ノートの上で、意味もなくペンを走らせた。「亀…にんじん…請求書…鳩…金魚…盆栽…」それは、彼がこれまでに無意識に口走ってきた、意味不明な単語の羅列。それらを眺めていると、自分の頭の中が、いかに脈絡なく、支離滅裂であるかを改めて思い知らされるようで、軽い絶望感を覚えた。


発表会当日が、刻一刻と近づいてくる。田中の混乱と苦悩は、深まるばかりだった。

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