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5:交錯する思惑、加速する赤面スパイラル

怜花からの忠告を受け、田中は改めて鈴木みさきとの接し方を考え直さざるを得なくなっていた。彼女の過去を知ってしまった以上、これまでのように無自覚に「ダサ力」を振りまき、彼女を翻弄(?)し続けるわけにはいかない。できるだけ、彼女を刺激しないように、普通の、当たり障りのない会話を心がけよう。そう、心に決めた。


だが、運命とは皮肉なものだ。田中が「普通」であろうとすればするほど、彼の内に眠る「天然ダサ力」は、かえって予期せぬ形で暴発し、事態をさらにややこしくしていくのだった。


きっかけは、保育園で行われた「秋の味覚を楽しむ会」での出来事だった。園児たちが掘ってきたサツマイモを使って、焼き芋を作るという、微笑ましいイベントだ。保護者も自由参加可能で、田中も健太にせがまれ、参加することになった。


園庭には、焚き火が用意され、アルミホイルに包まれたサツマイモがくべられている。香ばしい匂いが漂い、子供たちは歓声を上げている。五十嵐園長は、「見てください、このお芋さんの美しい焼き色! まるで夕焼け空のよう! …あ、いや、『夕焼け芋焼け、また明日!』…なんて、古いですかね? オホホ」と、相変わらずの園長節を披露している。


田中は、他の保護者たちと当たり障りのない会話を交わしながら、できるだけ目立たないようにしていた。みさきも、エプロン姿で子供たちの世話を焼いているが、田中とは意識的に距離を置いているように見える。表情も、いつものように硬い。


(よし、今日はこのまま、何事もなく終わらせよう…)田中は、そう自分に言い聞かせる。


ところが、そんな彼の決意を打ち砕く事態が発生した。焼き芋が焼き上がり、園児たちが熱々の芋を頬張っている時、一人の男の子が、誤って熱い芋を地面に落としてしまったのだ。


「あちちっ! うわーん、お芋さんがー!」


男の子は、火傷はしなかったものの、大事な焼き芋を失い、大声で泣き出してしまった。他の子供たちも、つられて不安そうな顔をしている。


みさきが、すぐに駆け寄り、男の子を慰めようとする。

「大丈夫よ、ほら、まだたくさんあるから。ね?」

それでも、男の子の涙は止まらない。「僕のお芋さんがいいー!」


他の保育士も困惑し、場の空気が少し重くなりかけた、その時だった。


田中は、泣いている男の子を見て、不憫に思い、何か、気の利いた言葉で励ましてやれないか、と考えた。そうだ、「失敗しても大丈夫だよ」というような、優しい言葉を…。


そう意識した途端、彼の思考は明後日の方向へと飛び始めた。「失敗」→「転ぶ」→「起き上がる」→「だるま?」→「赤い」→「ポスト?」→「手紙?」→「書くものがない」…


そして、口をついて出た言葉は。


「………あ、あのね、ボク。大丈夫だよ。お芋さんが、落ちちゃったのは残念だけど……。でもね、ほら、あれだよ。なんだか、あれに似てるじゃないか……ええと……」


周囲の注目が、田中に集まる。みさきも、不安そうな、それでいて、どこか「来るか…?」と身構えるような表情で田中を見ている。


「……………字を書こうと思ったのに、急に、鉛筆が、全部、どこかへ旅に出ちゃった時みたいな……そんな感じ? …………いや、ちょっと違うか…ごめん、忘れて……」


鉛筆の旅立ち。


再び、園庭に、奇妙な沈黙が訪れた。焚き火の、パチパチと爆ぜる音だけが聞こえる。泣いていた男の子も、あまりのことに、きょとんとして涙が引っ込んだ。


田中は、「しまった! まただ! 子供相手に何を言ってるんだ、俺は!」と、顔面蒼白になる。もう、穴があったら埋まりたい。


次の瞬間、彼の隣にいた鈴木みさきが、ぶるぶると震え始めた。顔は、みるみるうちに真っ赤に染まっていく。だが、それは、もはや単純な赤面ではなかった。彼女は、両手で顔を覆い、うずくまりながらも、くぐもった、押し殺したような笑い声を、必死で堪えているようだった。


「…………ふ……ふふ……くく…………っ…………!!」


肩が、小刻みに激しく揺れている。顔を覆った指の間から見える目は、涙で潤み、完全に笑ってしまっている。それは、これまでの彼女からは想像もできない反応だった。


「…………え、えんぴつ…………たびだち…………ふふ…………も、もう…………やめて…………ください…………田中さ…………ふふふっ…………!!」


腹を抱えて笑い転げんばかりの勢いだ。おまけに、それは羞恥や混乱ではなく、純粋な「ツボに入ってしまった」というような、抗いがたい笑いの発作のように見えた。


周囲の保護者や他の保育士たちは、唖然としてその光景を見ている。「え? 鈴木先生、どうしたの?」「田中さんの言葉、そんなに面白かった?」「いや、面白くはないけど…なんか、変なエネルギーが…」「笑いの沸点、低すぎない? いや、高すぎるのか?」


田中自身も、目の前の状況が理解できない。彼女は、怒っているのではない? 困惑しているのでもない? ただただ、自分の意味不明な言葉が、ツボに入って笑いが止まらなくなっている…?


笑い続けているみさきは、涙を拭いながら、田中を睨み上げた(ように見えたが、目は笑っている)。


「………………だから…………無理しないでって、言ったのに…………!」

「い、いや、これは、励まそうとして、その…!」

「…………普通に、してれば、いいって…………言ってるじゃないですか…………ふふっ…………!」


彼女の「普通に」は、「あなたのそのままでいて」という意味を含んでいるのだ、ということを、田中はようやく理解し始めたのかもしれない。そして、彼女は、自分が「普通」であろうと意識することで、かえって暴発してしまう彼の「ダサ力」に、どうしようもなく惹かれ、そして、笑わずにはいられないのだ、と。


それは、田中にとって、新たな発見だった。彼の力は、必ずしも人を不快にさせたり、混乱させたりするだけではない。時として、こんな風に、誰かの心を解き放ち、笑顔(たとえそれが引き攣った笑いだとしても)を引き出すことさえあるのかもしれない。


赤面しながら笑い転げるみさきの姿を見て、田中は、困惑しながらも、胸の奥に、これまでにない温かい、そして少しだけ誇らしいような気持ちが芽生えるのを感じていた。「昇華」とは、こういうことなのだろうか?


この「鉛筆の旅立ち」事件は、二人の関係に、またしても新たな局面をもたらした。田中は、「普通であろうとしない」方が良いのかもしれない、と思い始め、みさきは、田中のダサ力に対する自身の反応が、もはや制御不能であり、むしろ楽しんで(?)しまっている自分を、認めざるを得なくなっていた。


加速する赤面スパイラルは、もはや二人だけの問題ではなく、周囲を巻き込みながら、奇妙で、滑稽で、そしてどこか愛おしい日常の風景を形作り始めていた。

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