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3:乱入者と暴露 ~ねじれた因果の牙~

プラネタリウムの上映が終わり、場内が再び明るくなる。観客たちが、満足げな表情で席を立ち、出口へと向かい始める。田中とみさきも、まだ互いの間に流れる温かい余韻を感じながら、ゆっくりと立ち上がった。


「…綺麗でしたね」みさきが、まだ少し頬を赤らめながら、微笑む。

「ええ、本当に…。誘ってよかったです」田中も、自然な笑顔で返す。


このまま、穏やかに別れて、また次の約束を…そんな、淡い期待を抱きながら出口へと向かった、まさにその時だった。


「よぉ、お二人さん、お楽しみだったかな?」


げっ、と心の中で叫んだのは、田中だけではなかっただろう。出口付近の通路に、腕を組んで仁王立ちしている男。派手な柄シャツ、下卑た笑み。水族館で遭遇した、あの木村だった。彼の隣には、今日もまた、別の、しかし同じようにけばけばしい雰囲気の若い女性が寄り添っている。


みさきの表情が、一瞬にして凍りつく。先ほどまでの柔らかな雰囲気は消え失せ、瞳には強い警戒と嫌悪の色が浮かんだ。彼女は、咄嗟に田中の後ろに隠れるように身を寄せた。


「…………どうして、ここにいるの」

低い、抑揚のない声。

「んー? プラネタリウム、俺も好きなんだよねー。特に、ここの『カップル割引』、狙ってたんだけどさー。残念、今日は相手がいなくてさー」

木村は、ヘラヘラと笑いながら、みさきの隣の田中を、値踏みするように見下ろす。「なあ、そこのオッサン。あんた、この女にいくら貢いでんの? 言っとくけど、この女の家、色々と『いわくつき』だぜ?」


「あなたに、そんなこと言う権利ないでしょ!」

みさきが、震える声で反論する。田中は、彼女を庇うように、一歩前に出た。

「…失礼ですが、彼女が嫌がっています。どこかへ行っていただけませんか」

冷静に、しかし毅然とした口調で言う。


「はーん? オッサン、カッコつけちゃって。でも、あんた、知らねぇんだろ? この女の親父が、どんな奴だったか」

木村の目が、いやらしく光る。

「一世を風靡した(自称)ダサ力芸人、『デンダ・オヤジー』こと鈴木伝助(すずき でんすけ)! 計算ずくのダサいダジャレで世間を騒がせたけど、裏じゃあ、『ダサ力ブローカー』みたいなことして、あちこちから金引っ張って、最後はトンズラこいた、最低のクズ野郎だってことをさ!」


「やめてっ!!」

みさきが、悲鳴に近い声を上げた。顔は真っ青になっている。周囲の客たちが、何事かと遠巻きに見ている。


ダサ力ブローカー? 鈴木伝助? 田中は、初めて聞く名前に戸惑いながらも、みさきの尋常ではない様子に、事態の深刻さを察知していた。怜花の話だけでは分からなかった、より暗い過去。


「みさき、お前だって、親父の借金のカタに、昔、俺に『ダサいダジャレのアイデア提供』させられてたこと、忘れたわけじゃねぇだろ? お前も共犯みたいなもんなんだぜ?」

木村は、容赦なく過去を抉る。


「違う…! あれは、無理やり…!」

「へえー? でも、お前のその『アイデア』、結構使えたんだよなぁ。まあ、所詮は計算された『偽物』だけどな。本物の『天然』には敵わねぇ」

木村は、チラリと田中を見た。

「そう、そこのオッサンみたいな、『本物のバケモノ』にはな」


バケモノ。その言葉に、田中は微かに眉を動かした。


「あんたのダジャレ…いや、言葉か? あの『亀とにんじん』だの『鉛筆の旅立ち』だの…ありゃあ、普通じゃねぇ。まるで、人の脳みそに直接響くような…ある種の『呪い』みてぇなもんだ」

木村は、嘲るように言いながらも、その目には微かな怯えのような色も浮かんでいるように見えた。

「俺みたいな『計算型』は、いくら頑張っても、あんたみたいな『天然モノ』には敵わねぇ。だから、ムカつくんだよ!」


木村は、苛立ちを隠さずに続ける。

「いいか、オッサン! みさきに近づくんじゃねぇ! こいつは、俺たちの『業界』の人間だ。あんたみたいな、何も知らねぇ一般人が関わっていい女じゃねぇんだよ!」


「業界」? 田中は、その言葉に引っかかった。ダサ力芸人やブローカー、アイデア提供…この世界には、我々が知らない「ダサ力」を巡る、もっと暗く、組織化された側面があるのかもしれない。


「…………帰ってください」

田中は、静かに、しかし強い意志を込めて言った。

「彼女は、あなたの言うような人間ではない。そして、私が誰と関わろうと、あなたにとやかく言われる筋合いはない」


その言葉を発した瞬間、田中は、自分の中に、これまで感じたことのない、静かな怒りのような感情が湧き上がってくるのを感じていた。それは、自分自身のためではない。隣で震えている、みさきを守りたい、という純粋な想いから来るものだった。


彼のその態度が、木村の癪に障ったのだろう。

「…へぇ、言うじゃねぇか、オッサン。そんなにその女がいいか。じゃあ、見せてやるよ。俺様の、最新にして最高の『計算され尽くしたダサ力』ってやつをな!」


木村は、芝居がかった仕草で、マイクを持つようなポーズを取った。

「いくぜ! 皆さん、よーくお聞き! この前さ、流れ星に願い事をしようと思って、『パン!』って手を叩いたら、間違って隣にいたハトの頭を叩いちゃってさ! そしたらハトが、『クルックー! ポッポー! オマエノネガイカナエテヤル…ワケナイダロー! バーカ!』って人語で罵倒してきた上に、その場で巨大な七面鳥に変身して、空にファイヤーボール放ちながら逃げてったんだ! ……ね? この、ストーリーの破綻っぷりと、唐突なSF展開! まさに、計算された不条理! ダサ力指数120は固いだろ! どうだ、参ったか!」


木村は、ドヤ顔で叫ぶ。隣の女性も、「ギャー! ハトが七面鳥に! しかもファイヤーボール! ダッサすぎて死ぬー! キム様最高ー!」と狂ったように囃し立てる。


田中は、そのダジャレ(?)を聞いて、眉をひそめた。(…要素を詰め込みすぎだ…明らかに、無理やり奇を衒っている…これでは、ただの悪ふざけだ…)


そして、隣のみさきは、といえば。

彼女は、もはや木村のダジャレなど聞いていなかった。父親のこと、過去のトラウマ、借金のカタ…それらを白日の下に晒された衝撃と絶望で、顔面蒼白のまま、ただ呆然と立ち尽くしていた。赤面する余裕すらない。


その、魂が抜けたようなみさきの姿を見て、田中の中で、何かが、ぷつり、と切れた。


静かな怒りが、彼の内に眠る「何か」を、予期せぬ形で呼び覚ましたのかもしれない。


彼の口から、ふいに、全く別の、静かな言葉が漏れた。それは、木村に向けられたものでも、みさきに向けられたものでもない。まるで、独り言のようでありながら、しかし、その場にいる全員の耳に、奇妙なほどクリアに響いた。


「…………………………なんだか………………スーパーマーケットの、あの……カゴを……思い出すな………………………」


カゴ? スーパーマーケットのカゴ?


木村も、連れの女性も、周囲の野次馬たちも、一瞬、何を言われたのか理解できず、きょとんとした。


「………………たくさん、物を、詰め込もうとして…………でも、持ち手のところが…………なんだか、こう…………指に食い込んで、痛い、みたいな……………そんな……………」


言葉は、淡々と続いた。感情はない。しかし、その声には、奇妙な重みと、聞く者の意識を捉えて離さない、不可解な引力が宿っていた。


「………………結局…………無理に詰め込んでも…………持ちきれなくて…………いくつか、落としてしまう……………………そういうこと、って…………あるよね………………」


その瞬間、木村の顔から、ドヤ顔と下卑た笑みが、すっと消えた。彼の大きな瞳が、信じられないものを見たかのように、見開かれる。そして、次の瞬間、彼の顔面が、みるみるうちに、尋常ではない赤色に染め上がっていったのだ!


それは、みさきが見せるような、羞恥や興奮の赤面とは違う。もっと、根源的な、存在を揺さぶられるような衝撃を受けた者の、生理的な反応に近い。


「…………な……なんだ…………今のは………………カゴ……? 指が…痛い…? 落とす…?」


木村は、混乱したように呟き、わなわなと震え始めた。それは、田中の「ダサ力」が、彼の計算された防御壁をいとも簡単に貫通し、その精神の根幹を直接揺さぶった証拠だった。


「…………や、やめろ…………! なんだ、その……意味不明な…………!」


彼は、耳を塞ぐようにして、後ずさりを始めた。隣の女性も、田中の言葉の「異質さ」に気づいたのか、悲鳴を上げて木村の後ろに隠れる。


田中一郎は、ただ静かに、木村を見つめていた。彼自身、なぜあんな言葉が出たのか、全く分かっていなかった。ただ、みさきを守りたい、という想いが、彼の無意識を突き動かしたのかもしれない。それは、怒りでも攻撃でもない、もっと別の、彼自身の存在そのものから発せられるような、静かな「力」の発現だった。


木村は、完全に戦意を喪失し、何か得体の知れないものから逃れるように、捨て台詞を残して足早にその場を立ち去っていった。

「…………お、覚えてろよ、オッサン! みさき! ……また、すぐに連絡するからな!」


嵐のように現れ、嵐のように去っていった乱入者。残されたのは、呆然とする野次馬たちと、まだ蒼白な顔で震えるみさき、そして、自らの内に発現した未知の力の感覚に戸惑う田中だった。


プラネタリウムの美しい星屑は、一転して、ねじれた因果の闇へと二人を引きずり込もうとしていた。

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