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4:揺らぐ信頼、試される絆 ~拒絶の仮面~

木村とその一味が逃げ去った後、保育園の前はしばし呆然とした沈黙に包まれた。やがて保護者たちは動揺を隠せない様子で子供たちの手を引き足早に家路につき、園長や他の保育士たちも、みさきと田中を心配そうに見つめながら園舎の中へと戻っていった。


残されたのは田中とみさき、そして田中が迎えに来た健太だけだった。健太は先ほどの騒動に少し怯えた様子だったが、田中が木村たちを「へんなこと言って」追い払った(ように見えた)ことに、どこか尊敬の眼差しを向けている。


「田中さん……」

みさきがか細い声で田中を見上げた。その瞳には感謝と安堵、そして何よりも深い恐怖と絶望の色が浮かんでいた。

「……ごめんなさい……私のせいで、また、あんな目に……」


「いいえ、謝らないでください」田中は静かに首を振る。「それより、お怪我はありませんでしたか?」

「……はい、大丈夫です。あなたが、助けてくれたから……」

みさきの瞳から再び涙が溢れそうになる。田中の、あの理解不能な言葉。それがまたしても自分を守ってくれた。同時に、あの言葉の異様さ、木村たちが田中の力に気づき始めているという事実に、彼女は言いようのない恐怖を感じていた。


(このままでは、本当に田中さんを危険な目に遭わせてしまう…!)


木村は絶対に諦めないだろう。父親の借金、そして田中の「天然ダサ力」。その両方を手に入れようと、さらに卑劣な手段で近づいてくるに違いない。「業界」の他の連中も動き出すかもしれない。自分一人が犠牲になるならまだしも、田中を、この優しくて少し変わっていて、でも自分の唯一の光になりつつある人を、そんな闇の世界に引きずり込むわけにはいかない。


(…離れなければ…田中さんから……)


そう決意した瞬間、彼女の心は張り裂けそうになった。ようやく見つけた温かい場所を手放さなければならない。彼に冷たい言葉を投げかけなければならない。それは自分自身を傷つける行為でもある。


「…田中さん」みさきは涙をぐっと堪え、意を決して顔を上げた。その表情からは先ほどまでの弱々しさは消え、氷のような仮面が被せられていた。

「…今日のことは、忘れてください」

「え…?」

「そしてもう、私には関わらないでください」


冷たく突き放すような声。田中は一瞬、何を言われたのか理解できなかった。

「鈴木先生…? どういう…?」


「分かりませんか?」みさきは嘲るような笑みさえ浮かべてみせた。「あなたは、ただの厄介者なんです。あなたのその、変な『力』…? あれが周りをどれだけ混乱させているか、分かってるんですか? 私も、もう、うんざりなんです!」


心にもない言葉。言えば言うほど自分の心が傷ついていく。だが、やめるわけにはいかない。


「あなたは私の世界にいるべき人間じゃない。あなたの居場所はここにはないんです。だからもう二度と、私やこの保育園に近づかないでください!」


それはあまりにも残酷な拒絶だった。田中の顔から表情が消える。彼の瞳に深い戸惑いと、傷ついたような色が浮かんだ。


「…………本気で、言っているんですか?」

「ええ、本気です。さようなら、田中さん」


みさきは踵を返し、逃げるように園舎の中へと駆け込んでいった。扉が閉まる直前、彼女の瞳から一筋の涙がこぼれ落ちたのを、田中は見逃さなかったかもしれない。


後に残された田中は、ただ呆然と閉ざされた扉を見つめていた。

(……うんざり……? 厄介者……? 居場所がない……?)

彼女の言葉が冷たい刃のように彼の胸に突き刺さる。プラネタリウムで感じた確かな繋がり。それは全て幻想だったのだろうか? 彼女は結局、自分のことを理解不能な「バケモノ」として拒絶したかったのだろうか?


怜花からの忠告が重く響く。「あの子を、振り回さないで」と。自分はやはり、彼女を振り回し傷つけていただけだったのかもしれない。


ヘンテコリンの言葉も蘇る。「君の力は、諸刃の剣だ」。自分の力は人を救うどころか、最も大切にしたいと思った人を遠ざけてしまったのではないか?


健太が心配そうに田中のズボンの裾を引く。

「おじちゃん…? みさきせんせい、怒ってた…?」

「…………いや、大丈夫だ、健太。先生も、疲れているんだよ」

田中は力なく笑い、健太の手を取った。だが、彼の心は深い混乱と喪失感に沈んでいた。


(俺は、これからどうすればいいんだ…? 俺の『昇華』とは、一体何だったんだ…?)


みさきとの関係に亀裂が入り、自らの力の意味も見失いかけた田中。試される絆。それは彼が「昇華」の道を歩む上で避けては通れない試練なのかもしれない。しかし、その先に光はあるのだろうか? 拒絶の仮面の下にある、みさきの本当の想いに、彼は気づくことができるのだろうか?

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