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6:平熱と微熱のフーガ、そして未来へ

乃木坂冗の「グランド・サイレンス」計画の中枢、ジョーク・パレス地下ドーム。鈴木みさきの胸の「マシュマロハート」から放たれた温かく強大な虹色の「愛情コトノハ・バリア」は、乃木坂の計算され尽くした「虚無」による精神攻撃と現実歪曲を、まるで春の陽光が雪を溶かすように優しく無力化していった。


「…ば、馬鹿な…! ありえない…! 私の完璧な『サイレント・アーキテクチャ』が…こんな、陳腐な…『愛情』などという曖昧な感情エネルギーに…!?」

乃木坂は玉座から立ち上がり、信じられないという表情でわななき震えている。彼の周囲を渦巻いていた悪意のコトノハや歪んだ空間はマシュマロ色の光に触れると、まるでシャボン玉のように弾けて消えていく。


田中一郎はみさきの隣に立ち彼女の手を強く握っていた。彼自身は何もしていない。ただ彼女への絶対的な信頼と愛情を心に抱き、彼女の力の源泉となっているだけだ。彼の「虚無」は今、みさきの「愛情」と量子もつれを起こし悪意を打ち消すだけでなく、歪んだ心を癒すようなポジティブな「意味の再構築」の力へと昇華しているのかもしれない。


「乃木坂さん」田中は静かに語りかけた。「あなたが求めていたのは本当に世界の『無音化』だったのですか? それともただ、あなたの言葉が誰にも届かなかった…その孤独と絶望から逃げたかっただけなのではありませんか?」


「…だ、黙れ…! 私の理想をお前のような凡人に理解できるはずがない!」乃木坂は叫ぶが、その声にはもはや以前のような威圧感はない。


「あなたのダジャレ…ミスター・ノージョークとしてのあなたは、確かに多くの人を笑わせ楽しませていたはずです」みさきもまた穏やかな声で続ける。「でもいつからか、あなたは『ウケる』ことよりも『意味を支配する』ことに囚われてしまった…それはとても悲しいことです」


みさきの言葉とマシュマロ色の光は乃木坂の心の奥深くに凍り付いていた「誰かと繋がりたい」という純粋な願いに静かに触れたのかもしれない。彼の目から一筋の涙がこぼれ落ちた。それは長年抱えてきた孤独と歪んだプライドが溶け落ちる音のようでもあった。


「……私は……ただ……最高の『ジョーク』を…誰も傷つけない、それでいて宇宙の真理を突くような…そんな究極の『言葉』を、見つけたかっただけなのかもしれない……」

力なく呟く乃木坂。その瞬間、彼を繋ぎとめていた巨大なコトノハ・アンプリファイアのケーブルがショートし機能を停止した。「グランド・サイレンス」計画は完全に阻止されたのだ。


Dr.ヘンテコリンの叫び声が通信機から響く。「やったぞ! 市内のコトノハ・ブースターも全て沈黙した! コトノハ具現化現象は徐々に収束に向かうだろう!」


戦いは終わった。乃木坂冗はその卓越した頭脳を建設的な方向に使うことを誓い(ヘンテコリン博士の強引な弟子入りという形で)自らの罪を償う道を歩み始めることになる。彼が作り上げたコトノハ技術は後に「言葉の力をポジティブに活用する研究」へと応用され、この世界のコミュニケーションに新たな可能性をもたらす…かもしれない。


藤堂怜花は冷静に事の顛末を記録し、佐藤君は「愛と虚無、そしてマシュマロ! この三位一体こそがネオ・ダサ力の境地!」と新たなポエムの構想に目を輝かせていた。


田中一郎と鈴木みさき。二人は全てが終わったドームの中で静かに互いを見つめ合っていた。

「…終わったんですね」

「…ええ」


みさきははにかみながら、しかし真っ直ぐな瞳で田中を見つめた。「田中さん…あの…さっきの…『愛情』が『意味』があった、とか…その…」

「あ、あれは、その…! つい、口が滑ったというか…!」田中は慌てて弁解しようとする。彼の顔はみさきに負けず劣らず真っ赤になっていた。五十三歳にして人生最大の赤面かもしれない。


「ふふっ」みさきは愛おしそうに笑った。「もう、素直じゃないんですから」

彼女はそっと背伸びをし、田中の頬に優しくキスを落とした。マシュマロのように柔らかく甘い感触。


田中の脳内回路はこの瞬間、完全にショートした。全ての言葉、全ての思考が消え去り、ただ温かく心地よい「無」と「幸」だけが胸を満たしていく。それは彼が到達した本当の意味での「昇華」の瞬間だったのかもしれない。

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