目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

7:平熱と微熱のフーガ、そして未来へ(再び)

「グランド・サイレンス」事件から数ヶ月。世界は「コトノハ具現化現象」の混乱から徐々に立ち直り、以前の(やはり奇妙な)日常を取り戻していた。テレビでは相変わらず「ダジャレ・キングダム」が放送され、人々はダサいダジャレに一喜一憂している。だが、あの事件を経て人々の「言葉」への意識はほんの少しだけ変わったのかもしれない。言葉が持つ力、意味、そして無意味さの奥深さ。


田中一郎は相変わらずスマイルフーズ経理部で数字を追い続ける日々だ。その日常には確かな彩りが加わっている。彼の隣にはいつも鈴木みさきの笑顔があった。


二人はあの後、ごく自然な流れで結婚した。

結婚式はにじいろスマイル保育園の園庭で、手作り感満載のアットホームなものだった。五十嵐園長の「本日はお日柄も良く、まさに『寿(ことぶき)スワンダフル!』な門出ですな!」という微妙なダジャレの祝辞に、招待客(主に会社の同僚や保育園関係者)が顔を赤らめながらも温かい拍手を送った。


新郎田中一郎の謝辞は伝説として語り継がれることになる。

「えー…本日は…皆様…お忙しい中…誠に…ありがとうございます…。わ、私のような…ものが…こ、このような…素晴らしい…奥さんをもらっていいものか……まるで…冷蔵庫を開けたら、中身が全部…古本になっていて…しかも、その古本が…一斉に『万歳!』と叫んでいるような……そんな、場違いな…心境でございますが……これからは…この、福神漬け入りパンケーキのような…甘くてしょっぱい、不思議な人生を…二人で…歩んでいきたいと……ええと、何が言いたいかというと……その……カステラの角で、頭を打たないように…気をつけます……ご清聴、ありがとうございました…?」

会場は爆笑と感動(?)の渦に包まれ、測定不能の「祝福ダサ力」が溢れたという。


新居は田中のあのアパートを少し広くリフォームしたもの。そこではみさきが作る愛情たっぷり(時に珍妙な食材入り)の手料理と、田中が時折発する超絶ダサい愛情表現(「君の笑顔は、まるで…満月を見上げて吠える、野良犬の遠吠えのように…僕の心の奥底に響くんだ…」など)が、ゆるふわなハーモニーを奏でている。


Dr.ヘンテコリンは乃木坂元チャンピオン(今や彼の熱心な助手)と共に「ポジティブ・コトノハ・エネルギー」の研究に没頭し、時折二人の新居に「量子もつれ式・夫婦円満促進ティーバッグ(飲用注意)」などという怪しげな発明品を送ってくる。


藤堂怜花は相変わらずクールな親友として二人を見守り、佐藤君はついに「ダサ力と愛の詩集~マシュマロ色の溜息~」を自費出版し一部の熱狂的ファン(主に合コンで知り合った女性)に配っている。


平熱だった男、田中一郎。彼の人生は一人のツンデレ保育士との出会い、そして自らの内に眠る不可解な「力」との向き合いによって大きく動き、そして昇華した。それは大団円であり、同時に新たな日常の始まり。


彼の心には今も心地よい微熱が灯っている。それは愛する人と共にいる温もり、そしてこの奇妙で愛おしい世界で生きていくことの喜び。


そんなある日のティータイム。みさきが淹れた紅茶(今日はカニカマは入っていない)を飲みながら、田中がふと窓の外の電柱を見て呟いた。

「……あの電柱……なんだか、さっきからこっちを見て……僕に……ウインクしているような気が……しませんか…? ……しかも、結構しつこく……」


みさきは顔を真っ赤にして、しかし満面の笑みで答えた。

「ふふっ…そうですね。もしかしたら、田中さんに恋しちゃったのかも」

「えっ、電柱が…ですか?」


平熱と微熱が織りなす、ゆるふわで奇妙で、それでいてどこまでも温かいフーガ。その旋律はきっとこれからも、この世界の片隅で優しく奏でられ続けるのだろう。

そして彼らのティータイムには時折、目に見えないけれど確かな「何か」――例えば紅茶の湯気と共に立ち上るマシュマロの幻影や、窓の外で本当にウインクしているように見える(気がする)電柱のコトノハ――が、そっと寄り添っているのかもしれない。


(TT) ←たぶん、ティータイムってこういうこと、的な笑顔

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?