動物たちや食べ物、果ては調味料にまで熱烈な求愛を受けるという奇想天外な日常に、田中一郎の疲労は蓄積する一方だった。みさきもまた、夫に群がる(?)モノたちへの嫉妬と警戒で心休まる時がない。そんな彼らのもとへ、さらに追い打ちをかけるように、それでいてどこか郷愁を誘う奇妙な現象が舞い込んできた。「コトノハ文通」である。
ある日の朝、田中家の郵便受けに、一通の風変わりな手紙が届いていた。封筒は淡いピンク色で、切手の代わりに小さな押し花が貼られている。宛名は「いつもステキな田中一郎さま♡」と、明らかにミミズが這ったような、それでいて妙に愛らしい筆跡で書かれていた。差出人の名前はない。
「…また、何かですか…?」みさきは訝しげに封筒を手に取る。
田中も嫌な予感しかしない。恐る恐る中を開けると、そこには一枚の便箋。中には、これまた特徴的な丸文字で、こう綴られていた。
『拝啓 田中一郎様
はじめまして。わたくし、あなたの家の裏庭にひっそりと佇む、名もなき「石灯籠」と申します。
いつもあなたが洗濯物を干すお姿を、陰ながらお慕い申し上げておりましたの。
その、なんとも言えない哀愁を帯びた背中、時折口ずさむ昭和枯れすすき風の鼻歌…たまりませんわ!
先日、あなたがうっかり落としていったハンカチ(チェック柄の素敵なやつですわね!)を、わたくし、こっそりとお預かりしておりますの。
雨に濡れては大変と、わたくしの笠の下で大切に乾かしましたのよ。お気づきかしら?うふふ。
もしよろしければ、今度、わたくしの灯袋(ひぶくろ)の掃除でもなさいませんか?
その時、そっと、わたくしの苔むした肌に触れていただけたなら…もう、わたくし、ドキドキで灯りがチカチкаしてしまいそうですわ!
追伸:みさき奥様にはくれぐれも内密に…ね?
あなたの石灯籠より 愛を込めて♡』
「「……………………石灯籠がハンカチを隠してプロポーズまがいの誘いを…!?」」
田中とみさきは顔を見合わせ、再び虚無の表情で天を仰いだ。もはや驚きを通り越して、ある種の悟りの境地に至りつつあった。モノが感情を持つだけでなく、手紙まで書いてよこすとは。文面は完全に恋する乙女そのものだ。
この「コトノハ文通」現象は、田中家の石灯籠だけに留まらなかった。
会社に行けば、田中専用のマグカップから「田中様、今日の貴方もダンディですわ。私の中に注がれるコーヒーの熱さよりも、貴方への想いの方がずっと熱いのです…byおしゃべりマグ」というメモ書き(インクはコーヒーのシミで書かれている)が出てくる。
にじいろスマイル保育園では、健太が使っているクレヨンの箱の中から「みさき先生、いつもボクたちを大切にしてくれてありがとう! ボク、みさき先生のおかげで毎日虹色の夢が見られるよ! でも、赤色のボクは、ちょっぴりみさき先生の赤い唇にジェラシー感じてるんだ…なんてね! from クレヨン一同(特にリーダーの赤)」という寄せ書き風の手紙(クレヨンで書かれているが文字はハッキリ読める)が見つかった。みさきはそれを読み、「もう!クレヨンまで余計なこと言って!」と顔を真っ赤にしながらも、どこか嬉しそうにしていた。
「コトノハ文通」は、言葉だけでなく「文字」そのものにもコトノハ・エネルギーが宿り、モノたちが人間とコミュニケーションを取ろうとし始めた証拠のようだった。内容は求愛、感謝、悩み相談、時には人生哲学など多岐にわたった。田中は返事を書くべきか真剣に悩み始めたが、みさきからは「石灯籠と文通なんてしたら許しませんからね!」と釘を刺されてしまった。
「この現象…コトノハ・リテラシーとでも名付けようか…」
ヘンテコリン博士は地下ラボで、石灯籠からの恋文を虫眼鏡で熱心に観察しながら唸っていた。なぜか彼の元にも、「あなたの電極ヘッドギアです。いつも私の頭頂部を優しく刺激してくれてありがとう。お礼に今夜あたり、あなたの夢の中で素敵なノイズ音楽を奏でましょうか?」というヘッドギアからの手紙(電波の波形図で書かれている)が届いたという。
「モノたちが自発的に文字を生成しコミュニケーションを図る…これはOES現象の次の段階だ。彼らはもはや単に感情を漏らすだけでなく、より高度な『自己表現』を欲し始めているのかもしれん。あるいは、何者かがこの現象を利用し、特定のメッセージを伝えようとしている可能性も捨てきれない」
博士は意味深に言った。
そんな中、世界レベルで奇妙なコトノハ文通事件が多発し始めた。世界中の著名なモニュメント――エッフェル塔、ピラミッド、自由の女神、モアイ像など――から、謎の言語(古代文字や絵文字、あるいは数式が混じったようなもの)で書かれた手紙が「発見」され、その解読が国際的なプロジェクトになりつつあった。内容は解読班によって様々だったが、共通しているのは「月が…呼んでいる…」というフレーズだった。
月?
田中もみさきも、その奇妙な符合に胸騒ぎを覚える。月といえばウサギ…いや、そういうことではないだろうが。
ヘンテコリン博士は、モニターに映し出されたモアイ像からの手紙(解読途中)と、以前の研究資料を比較しながら、ある驚くべき可能性に思い至った。
「これは…まさか…! 鈴木伝助が研究していたという『古代月面文明』のコトノハでは!?」
博士が言うには、伝助はダサ力(ぢから)の起源を地球外に求め、太古の昔に月に存在した(とされる)超高度文明が用いていた「原初コトノハ」の存在を信じていたという。その文明は自らのコトノハ・エネルギーを制御できずに暴走させ自滅したが、その「遺志」あるいは「プログラムの断片」が未だに月に残留しており、現在のコトノハ現象に影響を与えているのではないか、と。
「つまり、月からの手紙…? 世界のモニュメントたちは月からのメッセージを受信し、それを私たちに伝えようと…?」みさきは信じられないという表情だ。
「そのメッセージの内容次第では…この世界のコトノハ現象を収束させるヒント、あるいはさらなる混乱を招くトリガーになるかもしれん!」
折しも、巷では「満月の日にはコトノハ現象が特に活発になる」「月を見上げると変な言葉が頭に浮かぶ」といった噂がまことしやかに囁かれ始めていた。「月の兎が餅つきじゃなくてコトノハを練っている」という、いかにもこの世界らしい都市伝説も生まれていた。
そんな中、ついに決定的な「手紙」が田中のもとへ届いた。それは、田中が唯一処分できずにいる亡き妻・優子の愛用していた古い電子レンジの中から発見された。電子レンジは最近「チン!スルタビ…アナタノコトヲオモウ…デモ…カナワヌコイ…セツナイ…チン…(訳:チン!するたび…あなたのことを想う…でも…叶わぬ恋…切ない…チン…)」と哀愁漂うボイスを発していたが、その奥から出てきたのは羊皮紙のような古びた紙片だった。そこには、今まで見たこともない奇妙な象形文字と、震えるような筆跡で一言だけ、日本語が添えられていた。
『…一郎さん……月で……待ってる………優子』
「「……………………えええええええええええええっ!?」」
田中とみさきの絶叫が、春の陽気に包まれたアパートにこだました。
亡き妻、優子から? 月で待ってる? あの温厚でダサ力とは無縁だったはずの優子が、コトノハ文明と関係が? しかも月面基地からラブコール?
石灯籠の恋文も、小石の人生相談も、七味唐辛子のプロポーズも霞んでしまうほどの衝撃。
物語はついに地球を飛び出し、月へとその舞台を移そうとしていたのだ。ゆるふわ新婚ラブコメは、いつのまにか壮大なスペースオペラ(ダサ力風味)へと変貌を遂げようとしていた。
月からのコトノハ。月面兎(本当にいるのか?)の陰謀(なのか?)。そして優子の謎。
田中一郎の「昇華」は、ついに大気圏を突破するのだろうか?
(TT) ←(たぶん、電子レンジの切ない涙と、月にウサギじゃなくて優子さんがいた衝撃と、これからどうなるのっていう視聴者の顔)