アンダーグラウンド・ポエトリー・スラム「コトノハ・ボルテックス」での一件――田中一郎の「お腹空きましたね」発言が巻き起こした「炊き立てご飯コトノハ降雪事件」――は、UPS(アンダーグラウンド・ポエッツ・ソサエティ)の幹部、五七五麿に強烈な印象を与え、田中は彼らから正式な(そして非常に怪しげな)「招待状」を受け取ることになった。古い羊皮紙(のような和紙)に毛筆で「月満つる夜、詩歌管弦(しいかかんげん)の調べと共に、虚構図書館(きょこうとしょかん)にてお待ち申す」とだけ記され、差出人の名も場所の明記もない、謎めいたものだった。
「虚構図書館…? まるで物語の中の場所みたいですね…」みさきは不安と好奇心が入り混じった表情で羊皮紙を見つめる。
「罠である可能性は極めて高いじゃろうな」Dr.ヘンテコリンは地下ラボで羊皮紙の匂いを嗅ぎ(墨と何故か乾燥ワカメの匂いがしたらしい)、特殊なライトを当てて分析していた。「だが、敵の懐に飛び込まねば情報は得られん。行くしかあるまい」
月が煌々と輝く満月の夜。ヘンテコリンの解析(と石灯籠のミニチュアからの霊的アドバイス)によって特定された「虚構図書館」の入り口は、意外にも街の中心部、巨大な商業ビルの地下駐車場の一番奥、誰も使わない薄汚れた鉄の扉だった。そこには古びた表札があり、かすれた文字で「詩の家」とだけ書かれている。
「ここが…本当にUPSのアジトなのか…?」佐藤君はゴクリと喉を鳴らす。彼の手には自作のダサ力ポエム集「魂の叫び~ネギとコンニャク、時々、愛~」が握られている。いざという時の武器(精神攻撃用)にするつもりらしい。
田中を先頭に、みさき、怜花、佐藤君、そしてヘンテコリン博士(今回は奇妙なリュック型コトノハ防御フィールド発生装置を背負っている)の一行は、重い鉄の扉を開け、中へと足を踏み入れた。
そこは、言葉を失うほどの光景だった。
無限に続くかと思われるほどの、高い高い書架。そこに収められているのはおびただしい数の本、本、本。だが、それは普通の書籍ではない。表紙も背表紙も真っ白で、タイトルも著者名もない。近づいて手に取ろうとすると、本は淡い光を放ち、まるで実体がないかのようにすり抜けてしまう。これら全てが「コトノハ」で出来た本なのだ。
「こ、これが…虚構図書館…!」
図書館の中央には巨大なクリスタルのようなものが天井から吊り下げられ、周囲に様々な物語の断片――騎士とドラゴン、魔法使いと姫、宇宙船とエイリアン、そしてサラリーマンと課長――のコトノハの幻影を万華鏡のように投影している。これがUPSが集めた「物語のエネルギー」の源泉、「ナラティブ・コア」なのだろう。
「ようこそ、田中一郎殿、そしてご一行様」
声と共に、図書館の奥から五七五麿が姿を現した。今日も狩衣姿で能面を装着しているが、その雰囲気はポエトリー・スラムの時よりもさらに威圧的だ。
「ここは、ありとあらゆる物語、語られなかった言葉、忘れ去られた夢が集う場所。我らが『フィクショナル・エポス』を紡ぎ出すための聖域にございます」
麿は一行を図書館の奥にある、書見台のようなものが置かれた円形の広間へと案内した。そこにはUPSの他のメンバーらしき、奇抜な服装の詩人たちが数人、瞑想するように座り、何事かぶつぶつと詩を詠んでいる。彼らの言葉がコトノハとなり、中央の「ナラティブ・コア」へと吸い込まれていくのが見えた。
「我々は信じておりまする」麿は静かに語り始めた。「この世界は、もっと『詩的』であるべきだと。退屈な現実、陳腐な日常、意味のない言葉の氾濫…。それらを一度リセットし、我々が創造する壮大で美しく、そして少しだけ『ダサくて愛おしい』物語で世界を再構築するのです。それこそが、真の『言葉の救済』だと」
彼の語る理想は一見すると崇高に聞こえなくもないが、それは個人の自由な意思を無視し、世界を自分たちのエゴで染め上げようとする危険な思想でもあった。
「そのためには、あなたの『虚無ダサネス』が必要なのです、田中殿」麿は田中に向き直る。「あなたのその、全ての意味を無に還す力は、既存の物語を『初期化』し、我々の新たな物語を紡ぐための『白紙のページ』を作り出すことができる。いわば、あなたは我らが叙事詩の『語り部』であり、同時に『破壊神』でもあるのですじゃ」
「私は、そんなことのために自分の力を使いたくありません」田中は毅然と答えた。
「おやおや、つれないことを。ですが、あなたにもいずれお分かりになる。この世界の『物語』は、もう飽和状態なのです。新しい『詩』を生み出すには、一度全てを壊すしかないと」
麿は不気味な笑みを浮かべると、書見台に置かれていた一冊の、特に古びた羊皮紙の書物を手に取った。その書物は禍々しい紫色のオーラを放ち、ページからは囁くようなコトノハが漏れ出ている。
「これは『禁断の詩篇』。かつてコズミック・ライブラリから失われたとされる、世界を破滅させうるほどの『負の物語』が記されているという…。我々はこの力を利用し、世界の『物語のOS』を強制アップデートしようとしているのです。あなたの力と共にね」
その「禁断の詩篇」を見た瞬間、田中は強烈な頭痛と既視感に襲われた。脳裏に、遠い昔…いや、前世のような記憶がフラッシュバックする。
(…これは…まずい…! この詩篇に触れてはいけない…! 何か、とてつもなく悪いことが…!)
「さあ、田中殿。この詩篇に、あなたの『虚無』の息吹を吹き込みなされ。さすれば、新たな世界の『創世記』が始まる…!」
麿は詩篇を田中に差し出そうとする。詩人たちも一斉に立ち上がり、田中を取り囲むように不気味な詩を詠み始めた! それは一種の呪文のようで、空間が歪み、コトノハでできた触手が田中を捕らえようと伸びてくる!
「田中さん!」みさきが叫び、「マシュマロハート」のブローチから愛情コトノハ・バリアを展開するが、UPSの詩人たちの呪詛コトノハは強力で、バリアが徐々に押し返されていく!
ヘンテコリン博士の防御フィールドも限界に近い! 佐藤君は「僕のダサ力ネギコンニャクシールド!」と叫びながら田中の前に立ちはだかるが、一瞬で吹き飛ばされた(そして壁に激突し気絶)。
絶体絶命のピンチ。田中は『禁断の詩篇』から発せられる強烈な負のエネルギーと、それを制御しようとする自分の『虚無ダサネス』のせめぎ合いで、意識が朦朧とし始めた。
(ダメだ…このままでは、飲み込まれる…! 世界が…物語が…!)
その時だった。
彼が月面から持ち帰った(というより、気づいたらポケットに入っていた)あのルナ・ラビットΩからもらった、ただの「月面の石ころ」だと思っていた小さな石が、彼のポケットの中で熱く輝き始めたのだ!
その石は、まるで田中の「物語を愛する心」や「みさきへの愛情」に呼応するように、優しくも力強いコトノハ・エネルギーを放ち始める。それは『禁断の詩篇』の負のエネルギーを中和し、同時に田中自身の内に眠っていた新たな『力』の覚醒を促すような、不思議な波動だった。
田中の脳裏に新たな言葉が、そして新たな「物語」が、まるで啓示のように湧き上がってきた。それは「虚無」でも「ダサさ」でもない。もっと根源的で、温かく、少しだけおかしみのある「言葉の力」。
彼はおもむろに顔を上げ、自分を捕らえようとする呪詛コトノハの触手と、それを操る麿や詩人たちを見据え、静かに、しかしはっきりと、その「新しい言葉」を紡ぎ始めた。
それは、世界を救う英雄の言葉でも、深遠な哲学者の言葉でもなかった。
ごく普通の、しがない中年サラリーマンの、とぼけた、それでいてどこまでも優しい「寝言」のような言葉だった…。
虚構図書館の迷宮で、田中一郎の「物語調律能力(ナラティブ・チューニング)」がついに覚醒するのか? そして、彼が紡ぎ出す「新しい物語」とは? 世界の運命は、彼の「寝言」に託された!
物語のラプソディは、最終楽章に向けて予測不能な超絶展開へと雪崩れ込んでいく!
(TT) ←(たぶん、気絶した佐藤君の涙と、麿の能面の下の驚愕と、月のかけらの温かさと、田中の寝言待ちのドキドキ感)