戦いは終わった。眠り続ける田中一郎の傍らで、みさきは彼の寝顔に優しく微笑みかけ、そっとその額の汗を拭った。
「…お疲れ様、田中さん。あなたの寝言、最高にダサくて、最高に素敵でしたよ」
その呟きに呼応するように、彼女の胸の「マシュマロハート」が最後に一度だけ温かいマシュマロ色の光を放ち、静かにその輝きを収めた。役目を終えたのだ。
UPSのメンバーたちは、麿の指揮のもと、自らが歪めてしまった物語の力を正しく使う道を模索し始めることになった。彼らが虚構図書館で紡ぐ詩は、もう世界を破滅させるものではなく、人々の心に小さな灯をともすような、優しくて少しだけおかしな物語へと変わっていくだろう。ヘンテコリン博士は彼らの「更生指導役」として図書館に残り、麿と共に「ダサ力と物語の健全なる発展に関する共同研究」を始めることになった。
ルナ・ラビットΩからは月経由で『地球の勇者タチヨ、今回モ見事デアッタ。君タチノ物語ハ、コズミック・ライブラリニモ新たナ1ページヲ加エタゾ。P.S.優子ノ記憶コトノハも安らかに眠りについたようだ。時折、月の電子レンジから「チーン…(アリガトウ)」と聞こえるかもしれんが気にするな』という感謝のメッセージ(と大量の月見団子)が届いた。
コトノハ具現化現象「ナラティブ・リーケージ」も徐々に収束し、世界は再び平穏を取り戻しつつあった。人々が日常で口にする物語や歌が時折コトノハとして現れることはあるかもしれないが、それはもはや脅威ではなく、日常に彩りを加えるささやかな奇跡、あるいは人生のちょっとした『スパイス(主にタバスコと七味と福神漬けとちくわ)』のようなものとして受け入れられていくのかもしれない。
*
数日後。いつものリビングで、田中一郎はみさきの淹れた紅茶を飲んでいた。添えられているのは、みさきが新たに挑戦した「七色の金平糖とマヨネーズの和風クレープ」だ。もはや味へのツッコミは野暮というものだろう。
「…それにしても、私、あんな大事件の最中に本当に寝てしまっていたんですね…」田中は申し訳なさそうに頭を掻く。
「いいんですよ」みさきは優しく微笑む。「あの時の田中さんの寝言、最高に『あなたらしかった』ですから。それに、ちゃんと世界を救ったんですから、大したものですよ」
その時、眠っていたはずの田中家の目覚まし時計(ICHIRO-LOVE)が、突然『ピピピッ…!』と高い音を発し、そのデジタル表示部分に、こんなコトノハメッセージを映し出した。
『夢ノ続キハ…イツカ見レルカナ…? イチローサンノ…アタタカイ腕ノ中デ…(みさき奥様ニハ内緒ダヨ)』
「こ、この浮気時計!」みさきが再び目覚まし時計に説教を始めようとした瞬間、今度は冷蔵庫が「ウィーン…」と静かに扉を開き、中から哲学的なバリトンボイス(のコトノハ)が聞こえてきた。
『物語ハ終ワラナイ…人生トイウ名ノ奇書ハ…常ニ新シイページヲ求メテイルノダ…タマゴヨ…イヤ、イチロー君ヨ…君タチノ次ナル「ダサくて愛おしい物語」ヲ…ワレワレハ待ッテイル…』
どうやらOES現象は完全には消え去っていなかったらしい。いや、あるいはこれが彼らの新しい『日常』の形なのかもしれない。
田中一郎とみさきは顔を見合わせ、そして同時に、声を出して笑った。
この奇妙で、ゆるふわで、予測不能で、それでいてどこまでも温かい世界で、彼らの「平熱と微熱のラプソディ」はまだまだ続いていくのだ。
きっと、これからもたくさんの「ダサくて愛おしい物語」を紡ぎながら。
そして田中は、今夜あたりまたハンバーグとりんご飴ソースと七色の傘の夢の続きを見るのかもしれない。その夢はきっと、みさきの笑顔で終わる最高のハッピーエンドのはずだから。
(TT) ←(たぶん、クレープの中の金平糖の輝きと、家電たちの健気な愛と、この物語がまだ終わらないことへの読者の安堵と喜びの涙、そして…田中さんとみさきさんの未来に乾杯!)