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概念物質化現象(略してCM現象)

1:角砂糖のメタモルフォーゼ、または「可愛い」という概念の暴走

鈴木伝助との虚無の決戦、乃木坂冗のグランド・サイレンス計画阻止、時空を超えたおでんと冷蔵庫の珍道中。それら全てが長大で奇妙な夢であったかのように、田中一郎(53)と妻・みさき(デレ過多につきツン成分絶滅危惧)の日常は、秋の木漏れ日のごとく穏やかで温かいものとなっていた。スマイルフーズ経理部では変わらず電卓の音が響き、にじいろスマイル保育園からは子供たちの無邪気な歌声がこだまする。世界は「ダジャレがダサいほどモテる」という根本法則を頑なに守り続け、たまにその法則のバグ(五十嵐園長の言霊布団叩きなど)が顔を出す程度で、概ね平和を保っていた。


田中家のリビングでは、かつて田中に熱烈なラブコールを送った家電たちが、今や行儀の良い同居人のように振る舞う。目覚まし時計(ICHIRO-LOVE)は毎朝「イチローサン、朝デスヨ。今日モ一日、素敵ナ『無意味』ヲ…」と、まるで彼の本質を理解したかのような囁きで彼を起こす。冷蔵庫は時折「人生トハ、冷エ過ギタビールト、温メ直シタ昨晩ノカレーノ間ニアル、束ノ間ノ幸せデアロウカ…タマゴヨ…」と、あたかも悟りの境地に達したかのような問いかけを(主に卵に対して)発するのみ。電子レンジからは、月からの優子のコトノハ・エコーが「今日ノ月ハ、ミカンゼリー色…キレイヨ…」と天気予報まがいの通信を送ってくるが、それも日常にアクセントを添えていた。


みさきの作る手料理は相変わらず前衛的だ。ある日の夕食は「秋鮭とキノコのロマンティック・ソテー ~サツマイモの夢と、何故か大量のガリを添えて~」。その味は…まあ、夫婦の愛が全てを包み込むため問題ない。


「コトノハ現象」自体は、あの壮絶な戦いの後、潮が引くようにその猛威を潜めていた。世界は、言葉が際限なく物質化するあの奇祭のような日々を、懐かしむでも恐れるでもなく、ただ「ああ、そんなこともあったねぇ」と遠い目で語るようになっていた。誰かが感情的に「もう、頭から湯気が出そう!」と言えば、本当にその人の頭から一瞬だけポワッと湯気のコトノハが出る程度の、平和な残響を残して。


しかし、平和とは退屈の別名であり、物語とは常に新たな波乱を求めるもの。その「波乱」の最初の兆候は、ある秋晴れの穏やかな日曜日の午後、田中家のティータイムに、極めてゆるふわな形で訪れたのだった。



「田中さん、今日の新作パンケーキ、お口に合いますか? 名付けて『モンブランの頂(いただき)に咲く一輪の紅生姜~そして私はマヨネーズの海で溺れる~』です!」

みさきが自信満々に差し出したパンケーキは、うず高く盛られたモンブランクリームの山頂に鮮やかな紅生姜が一輪の花のように添えられ、周囲にはマヨネーズ(何故かハート型に絞り出されている)の池が広がっている。見た目のインパクトは月面着陸級であった。


田中はこの手の奇襲にすっかり慣れていた。むしろその斬新さに一種の敬意すら抱いている。フォークを手に取り、おそるおそる一口。「…うーん、この、栗の甘さとマヨネーズの酸味、紅生姜のアクセントが、まるで人生の縮図のようですね…甘くて、酸っぱくて、時々ピリッとして…美味しいです!」

最大限の賛辞を(彼なりに)贈ると、みさきは「もう、田中さんったら、大げさなんですから!」と顔を真っ赤にしてはにかんだ。その瞬間である。


みさきの頭上に、ふわふわとピンク色の綿あめのようなコトノハが出現した。それはみるみるうちに形を変え、彼女の「照れ笑い」そのものをデフォルメしたような、大きなハート型の目をした愛らしいキャラクター(どことなくみさきに似ている)になったのだ! そのキャラクターは田中に向かってウィンクし、小さな投げキッス(コトノハ)を飛ばすと、ポンッと弾けて消えた。


「「……………………へ?」」


二人してパンケーキを口に含んだまま固まる。

「い、今の…私の『照れ』が…キャラクターに…?」みさきは自分の頬に手を当てる。

「そ、そのようですね…以前のコトノハ現象とは明らかに違います…言葉ではなく、感情そのものが…具現化…?」


これが、世界を再び揺るがすことになる新たなコトノハ現象、「コンセプト・マテリアライゼーション(概念物質化現象)」、略してCM現象の最初の兆候だった。

この現象は、人々の強い「感情」や「抽象的な概念」が、あたかもゆるキャラのように、あるいは何かの象徴的なアイコンのように、目に見えるコトノハとして現実世界に具現化してしまうというものであった。OES現象がモノに感情を宿らせ、ナラティブ・リーケージが物語を漏洩させたのに対し、CM現象はより直接的に「心の中」を可視化してしまうのだ。


試しに田中がみさきを見て「本当に可愛い人だなあ」と心の中で強く思うと、みさきの周りに小さなハートマークのコトノハが無数に舞い散り、彼女の髪にはいつの間にかウサギの耳(コトノハ製、ふわふわ)が生えていた。

「ひゃっ!? なんですかこれ!?」みさきは自分の頭を触ってパニック。

「あ、いや、すみません、私が今、みさきさんのこと可愛いなと…」

「か、かかか、可愛いなんて! そ、そんなこと思ってても言わないでください!やややや、恥ずかしいですぅ!」

みさきが顔を真っ赤にして慌てふためくと、彼女の体からは大量の湯気(コトノハ)が噴き出し、部屋中がサウナ状態になった。


これはまずい、と田中は直感した。人の感情や概念が際限なく物質化し始めたら、世界はどうなってしまうのだろうか?


翌日、会社では早くもCM現象の兆候が見え始めていた。

営業部のエースが大型契約をまとめて意気揚々と「いやー、俺ってマジで『デキる男』だわ!」と胸を張れば、彼の背後から後光(コトノハ、ただし電源は単三電池二本と書かれている)が差し、頭上には「デキる!」と書かれた金のトロフィー(コトノハ、プラスチック製)が回転し始めた。

経理部の女性社員が失恋して「もう私の心は『ズタボロ』よ…」と泣き崩れれば、彼女の足元に本当に古新聞を細かく裂いたような『ズタボロ』(のコトノハ)が散らばり、そこから小さな哀愁漂うバイオリンの音色(のコトノハ)が聞こえてくる。


街に出ればさらにカオスであった。

政治家が演説で「我が党の政策こそが日本の『希望の光』です!」と訴えれば、その政治家の頭が電球(コトノハ、100W)に変わりピカーッと光る。

人気のアイドルが「みんなの『愛』をちょーだい!」とステージで求めれば、客席から無数のハート型クッキー(コトノハ、味は普通)がステージに向かって飛んでいく。


そして問題は、「ネガティブな感情」や「悪意ある概念」もまた具現化してしまうことだった。

誰かが「あの野郎、ムカつくなあ、『ぶん殴ってやりたい』」と強く思えば、その対象の頭上にピコピコハンマー(コトノハ、叩かれると微妙に痛痒い)が振り下ろされる。

SNSで誹謗中傷が書き込まれれば、その言葉の悪意が黒い泥(コトノハ、触るとベタベタする)となって現実空間に染み出し、街を汚染し始めた。


「こ、これは…! 世界の感情のタガが外れてしまったというのか…!」

ヘンテコリン博士は地下ラボで、新たに開発した「感情スペクトラム分析ゴーグル(見た目はパーティーグッズの変なメガネ)」を装着し、街に溢れる様々な「概念コトノハ」を観測しながら戦慄していた。

「ポジティブな概念だけならまだしも、ネガティブな感情、悪意、偏見、それらが際限なく具現化すれば…世界は憎悪と混乱に満ちた『感情汚染地獄』と化してしまうぞ!」


このCM現象の背後には一体何があるのか?単なるコトノハ現象のバグなのか、それともまた新たな敵の仕業なのか?

田中一郎とみさきは、紅生姜とマヨネーズのパンケーキが運命を告げたように、再び世界の危機を救う(かもしれない)ゆるふわで奇想天外な冒険に巻き込まれていくのだった。その第一歩は、まず田中からポロポロと落ちる「ロマンチックのかけら(コトノハ砂糖菓子)」をみさきが集めてどうするか、という極めて家庭的な問題から始まるのかもしれない。


(TT) ←(たぶん、紅生姜パンケーキの衝撃と、ハートのウサ耳をつけたみさきの可愛さと、世界が感情で汚染されていく恐怖)

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