あれから一週間が経った。
「ルリエ。今からバイトに行ってくるが、一人で大丈夫か?」
「うん、大丈夫」
すっかりマカロンを気に入ったルリエは、毎日のようにマカロンを頬張っている。
その姿はまるで小動物のようで、俺は不覚にも可愛いと思った。
「龍幻こそ、私のためにごめんね.......」
申し訳無さそうな顔しつつ、俺の手を握るルリエ。
「人間界に来たばかりのお前をいきなり働かせるわけにはいかない。それに、俺がお前のために好きでバイトしてるだけだから気にするな」
シフトを増やしたせいで以前より疲れたりするが、それは仕方ない。
ルリエのために働くということは俺のバイトのやる気に繋がると、ここ最近改めて実感した。
「もし、私が負担になっているなら私も働.......」
ルリエが最後まで言い終わる前に「それは駄目だ!」と言葉を遮る。
咄嗟に出たとはいえ、ルリエを少し驚かせてしまったようだ。
「あ、いや.......違うんだ、ルリエ、そういう意味じゃなくてな」
誤解される前にちゃんと伝えないと。
「お前がバイト無理とかそういうのじゃないんだ。俺はただ、本当にお前が心配で.......ほら、ルリエって小さくて可愛いから夜道を一人で歩くのは危険っていうか、だから、その.......」
「かわ、いい? 龍幻、私って可愛いの?」
「え?」
何故そこだけに反応したんだ? と思いつつ、嬉しそうに聞き返してくるルリエ。
「あぁ、可愛いぞ」
「えへへ、龍幻に可愛いって言われた」
「?」
両頬に手を当てて、ルリエは照れている。
俺にはわからないが、やっぱり女の子は可愛いと言われて喜ぶ生き物なのか?
女心は難しい。いっそのこと、これ一冊で女の子の全てがわかる! みたいなマニュアル本でも売ってくれたら、ルリエを傷つけることはないんだが.......。
仮にそんな都合のいい代物があっても、その通りにいくとは限らないよな。
「俺が帰って来るまで、一人で留守番出来るか?」
「平気だよ。龍幻こそ気をつけてね。.......行ってらっしゃい」
ルリエは背伸びするとすぐさま俺の頬にキスをする。リップ音と、ルリエの声がやたら耳に残る。
「行ってくる」
俺はガチャリと鍵を閉め、バイト先に向かった。
☆ ☆ ☆
「店長。もう一度、言ってくれませんか?」
「新しいバイトの子が入ってきたんだ。だから、白銀君が新人に色々教えてやれないかと思ってね。面接したときに凄く熱意が伝わってきてね? 今すぐにでも働きたいです! と言われたから、即座に採用しちゃったよ。
なんたって、もうすぐクリスマスで忙しくなるし、ちょうど人手不足だったから」
「……それはさっき聞きました」
「じゃあ、白銀君は一体なにを聞きたいんだい?」
「新人バイトの名前です」
きっと、聞き間違いだったんだ。
そうに違いない。
「たしか……
でも、今どきの若者は珍しい名前が多いしね。白銀君の名前もサラッと読めないし、って、白銀君?」
「……あか、つき」
俺が聞いたから店長は二度も同じことを説明してくれた。
暁月羽音華。そんな変わった名前の人物が二人もいるはずもない。
「あれっ? もしかして、白銀センパイですか?」
「っ……、あ、あぁ」
「暁月ちゃん、もしかして白銀君と知り合いだったりするのかい?」
「はい、そうなんです。大学が同じで、って言っても私は白銀センパイの一つ下ですけど」
「ああ! だから先輩って言ってるのか。いやぁ~、可愛くていい後輩じゃないか」
さっそく店長が暁月の毒牙に……。
可愛くて、いい後輩という言葉を俺は否定しようとしたが、暁月本人がいる前でそれは無理だ。あとで何をされるか、想像するだけでも恐ろしい。
見た目が可愛いのは認めるが、中身がなにせヤンデレな上、ストーカーというオプション付き。
俺のことをいつも見ているとは言っていたが、普通バイト先にまで来るか? 普通の、一般的な考えを持つ人間なら来ない。
だが、暁月は違う。俺はヤンデレの生体について知らなすぎるのかもしれない。
「それにしても……偶然ですね、センパイ」
「そ、そうだな」
ここは暁月に合わせるのが吉と見た。
本来なら、偶然? そんなわけあるかとツッコミを入れたいところだが、ここはグッと我慢だ。
「僕はそろそろ仕事に戻るから後はよろしく頼んだよ、白銀君。それと暁月ちゃんも何かわからないことがあれば白銀君になんでも聞くんだよ。
どんなことでも、まずは気になったら聞く。そうしないと知らないことが知らないままで終わってしまうからね。それじゃあ、頑張って」
「……ここの店長さんって、いい人ですね」
暁月はポツリと呟いた。
しかし、視線の先は店長ではなく俺。
蛇に睨まれた蛙状態で動けない。
これも暁月の正体を知っているせいだ。
「店長は間違いなくいい人だぞ。……仕事のことだけどな、暁月」
「どうして他人行儀なんですか? もっと仲良くしてくださいよ、センパイ」
暁月は俺の発言に対して不服だったのか、頬を膨らませながら、腕に胸を押し当ててきた。
ルリエよりは多少あるものの、正直意識しないとわからないレベル。でも、ちゃんと柔らか……って、俺はストーカーに何を考えてるんだ!
俺も男だし、これは生理現象みたいなもので……。今の脳内を暁月に悟られまいと平然を装う。
「あのな暁月。……今の俺とお前の関係を言ってみろ」
「大学の先輩と後輩でしょ?」
「違う」
「え?」
「バイト仲間。でもって、お前は今日入った新人。俺はお前の先輩、わかるな?」
暁月の身体をグッと押し離そうとするも、前のように離れない。
以前も思ったが、どうなってるんだ?
サキュバスってのは、身体能力まで自由に操れたりするものなのか?
「だからセンパイで合ってますよ?」
「とりあえず挨拶を教えるから聞いておけ」
「はい。センパイの言うことならなんでも聞きます!」
俺はバイトの一連の流れを説明した。
なんでも、と言うわりにはストーカー行為はやめないのか。
「……というか、なんで俺のバイト先を知ってるんだ?」
「前に言いませんでしたっけ? センパイのこと、いつでも見てますよって」
「あー、なんか似たようなことを言ってたような気がする」
「センパイにはわかりませんか? 好きな人と同じバイト先に勤めたいと思う女の子の気持ち」
「残念だが、俺は男だ」
「でも、センパイだって恋くらいするでしょ? それとおんなじです」
童貞の俺を見ての発言とは思えないな。まぁ、恋をするのに年齢や種族は関係ないか。
俺はルリエに対して、本当はどう思っているんだろうか。
それはルリエが俺に対しても同じなわけで……懐かれてるのは、なんとなくわかるんだが。
「ルリエちゃんのこと、気になるんですか?」
「バッ……! なんで、それを」
「フッ……。だって、センパイは考えてることが全部、顔に出ますし。って、バカじゃないですよ。私、魔界学校ではこれでも成績が優秀で……」
「俺って、そんなにわかりやすいか?」
「と、いうよりは私がセンパイのことを好きだからかもしれませんね。好きな人のことはどんな小さなことでも知りたい。それに、よく見てるって言いましたよね」
なんて綺麗な顔をするんだろう。これが恋をするということなのだろうか。
「暁月、俺は……」
「わかってます」
「え?」
「私のこと、怖がってるのも。でも、いつか好きになるかもしれないでしょう? センパイが振り向いてくれる可能性だってある。センパイ、知ってました? 恋は盲目なんですよ」
「……」
どう返せば正解なのかがわからない。
恋する女の子にこんなことを言わせる俺は本当に情けない奴だ。
「なぁ、暁月。お前はルリエのことを知ってるような口ぶりだった。教えてくれないか? ルリエについて知ってることがあるなら」
「私が暗い顔をしてたから気を遣ってくれたんですね、ありがとうございます」
「そういうわけじゃないんだが。たんに俺がどう返せばいいか迷っただけで。でも、沈黙のままっていうのも……」
「センパイって、本当に優しいんですね。……ルリエちゃんのこと、そんなに知りたいのに何も思わないんですか?」
何も思わないってどういう意味だ? と首を傾げる俺。
暁月は「センパイって、鈍感さんなんですね。そういうところも含めて好きなんですけど」と言いながらクスクス笑っていた。
「教えるのは一向に構いませんよ」
「本当か?」
「でも、タダでは嫌です。やっぱり私にも多少のメリットがないと」
「なにか俺にしてほしいことでもあるのか?」
「デート……」
「へ?」
「私と一日デートしてください。そしたら、ルリエちゃんについて知ってることを話します」
そう来たか……。
これは受けるべきか非常に悩む。
「俺は、あくまでもルリエの情報を得るためにお前の交渉に乗る。だから変な勘違いはするなよ」
「なんですか、そのテンプレみたいなツンデレは」
「テンプレって言うな! って、そうじゃなくてだな……さっきの聞いてたか?」
「聞いてましたよ。わかりました、交渉成立ってことでいいですね? じゃあ、今週の休日にデートしましょう。もちろん、二人きりで」
「……あ、あぁ」
顔が引きずって、若干作り笑顔になってしまう。
異性とデートというのに素直に喜べないのは何故だ。ルリエのときはそんなことなかったのに。
俺はルリエの情報を少しでも知るために、暁月と休日デートをすることとなった。