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第11話 無力になれなかった少女

部屋の中央に傘を握りしめた少女が一人、静かに立っていた。稲城が写真で見た顔と変わりはないはずなのに、そこにいた少女は、まるで別人のような雰囲気だった。

「さっきはどうも、よくも車を壊してくれたな。女子高校生さん?」

煙草をくわえたまま、黒沼が鋭い視線を投げる。だが、少女はまったく動かない。

「こんなとこで油売ってていいのか?折角捕まえてた男はもう保護されちまったぞ」

黒沼が、一歩一歩、静かに近づいていく。黒沼が間合いに入った瞬間、少女が傘を向けた。

「それからオトモダチはどうした?逃げたか?それともお前だけ置いて、優雅にかくれんぼってか。隠れるの、上手だったもんな」

黒沼は、よく犯人を煽る。稲城は黒沼と組んでから、そのやり方を何度も見てきた。最初は、なぜわざわざ相手を怒らせるのか理解できなかった。だが今は分かる。怒りは本当の姿を引き出す。

「まあ、回復中の一般人に負けるほど、うちの捜査員はヤワじゃない。もう、とっくに捕まってるかもな」

ピクリ、と少女の肩が揺れた。扉の方を見ようとしていた視線を瞬きして隠す。賢い子だ。

「二年前の事件、話は聞いた。……だが、なんでだ?」

少女の瞳が揺れる。仄暗い光を帯びながら、奥で感情がかすかにきしんだ。

「最初の被害者は高校生と大学生。高校生の方は、二年前に傘を盗んで被害者の女子を困らせた張本人だった。それだけだ。なぜ殺した?」

少女の手にある傘が、かすかに震える。黒沼は煙草を口から外し、目を逸らさずに続けた。

「大学生は、古本屋の常連だったってだけだろ? 事件にどう関係してる?」

煙をゆっくりと吐き出す黒沼。魔法に関してこの少女にブラフは通用しないだろう。現に少女の目は、煙草の動きを静かに追っていた。これで今の今まで一般人だったとか、笑えてくる。

「それと、ここにいた男と先に保護されてた元教師。教師はな、ただ用事を押しつけただけじゃない。立場を利用して、あの子を何度も傷つけてた。……殺すなら、高校生より先に、そっちだろ。なのになんで最初に狙わなかった。それから、あの男はなんでここに連れてこられた?大学生と同じ立場だったはずなのに、大学生は殺してなんで男は生かしてたんだ?」

なんで、なんでと問いを重ねる黒沼。しかしそれが本気の疑問でないことは、この場にいる全員が分かっていた。

これは少女の口から真実を聞くための前座に過ぎない。そうでなければ、黒沼の推理はただの空想だ。

「…大学生はね…撮ってたの…」

少女の口から、ようやくその言葉が漏れた。

「姉さんが、あの爺にされてたことを。」

その声は震えていて、少女は胸元を掴み目を閉じ、感情を抑えようとしているようだったが、それも長くは続かない。

「あの男、ちー姉さんが入学した大学にいて…ちー姉さんと姉さんが友達だったことを知ってたから…。その動画をネタにちー姉さんを脅したの…。それで2年前の事件のこと、…誰が犯人で、あの日何が起こってたのか…知ったの…。」

その言葉の裏には、深い苦しみと怒りが詰まっていた。

「もしあいつを生かしていたら、姉さんの動画がいつ外に出されるか、わからない。そんなのはだめ。絶対にだめ!だから…殺した。」

少女は静かに、息を吐き目を開く。だが、その顔を上げた時、彼女の目からは涙が溢れていた。

「あの爺、男の動画を元に、私たちが証拠突きつけたら、ペラペラ喋ったの! あの日、"孫が逸れたから一緒に探してくれ"って言って姉さんを古本屋から連れ出したって!姉さん、優しかったから騙されて…!」

その声は、次第に激しくなり、傘の先が床に打ちつけられる音が響いた。

「簡単に殺してなんてやらない。孫、家族に嫌われて、世間からひどい目に合って…あの最低な教師も生き残ったことで、家族にも友人たちにもバレてるだろうし…。二人とも孤独に苦しんで、野垂れ死ねばいい!」

声は怒りにあふれていたが、もう心が限界なのだろう。

「高校生を殺したのは、最後まで自分は悪くないって言ったから…。悪くないわけないじゃない。彼さえ、傘を盗まなければ、姉さんはあんな目に遭わなかった。あの日、彼があんな事しなきゃ…」

少女は傘を抱きしめ、その場に座り込む。彼女はただの高校生の少女だ。その少女が2人も殺したのだ。今まで立てていただけ、意志の力が強かったのだろう。



「黒沼さん…。」

「不甲斐ない大人のせいで、走るしかなかった子どもを止めてやるのは、大人の仕事だろう…手遅れでもな」

黒沼は少女の前まで歩いていくと、少女を見下ろした。稲城も後から付いていきその姿を見下ろす。小さい。本当に小さい子だ。

「お前は復讐して満足したか?」

黒沼の声は態度に反して、優しかった。しかし、少女は何も答えずただ、傘を抱きしめる。

「それでお前の大好きな姉さんは喜んでるのか?」

黒沼の声は低く、しかし逃げ場のない鋭さを孕んでいた。

少女の頬に手を添え、無理やり顔を向けさせる。少女に拒む力はない。ただ、されるがままだ。

「お前自身、今嬉しいか?」

その目の奥には、迷いと、痛みと、震えるような怒りと哀しみ。少女が一人で抱えるには大きな感情が渦巻いている。

「これでよかったと心の底から思ってるのか?」

黒沼の言葉は、責めるというより、問いかけだった。それでも、少女はすぐに答えない。

唇をかみしめ、目を強く強くつむる。

その震えた唇が、ようやくわずかに動いた。

「私が……私がよかったって言わなきゃ。姉さんが、ちー姉さんが……」

その言葉には、自分を説得しようとするような、あるいは逃げ道を塞ぐような、切実な苦しさがにじんでいた。

稲城が無意識に息を呑む。黒沼は、しかし表情を変えずに続ける。

「で、結局お前はどうなんだ。」

問いが重く落ちる。誰かのためという言い訳を剥ぎ取ったその先にある、少女自身の感情を問う言葉。

少女の身体が小さく震えた。だが、口を開く前に、黒沼がさらに一歩、核心を突く。

「お前、亡くなった姉さんの遺体、見つけてたんだろ。」

少女の顔が引きり、目を逸らそうとしたが、黒沼はそれすら許さない。

「……」

「……」

引き戻され、大人である黒沼に覗き込まれている現実に、ようやく気づいたのか少女の目が大きく揺れる。

「“自分の魔法は役に立たない”。“物を浮かせられても、物を投げられても人を助けることなんてできない”。そう母親に言ったそうだな。」

言葉を重ねるたびに、少女の行きが荒くなり傘を抱きしめる腕の力が強まる。追い詰めるわけじゃない。ただ事実を突きつける。そして、それを受け止めさせる。これは大人の仕事。

「お母さん……」

ようやく漏れた言葉は、どこか懐かしさと後悔を含んでいた。

「姉さん、体、綺麗にしてあげられなかった。顔も洋服もボロボロで。姉さん、きっと人に見られたくなんてなかったと思ったのに隠してあげられなかった。誰の目にもつかないように、全部無かったことにもできなかった。ちー姉さんの魔法なら、お母さんの魔法ならできたかな…。私にはこんな魔法しかなかった…。結局私はみんなを悲しませて…姉さんに何もしてあげられなかった。」

少女の言葉はもはや、自分に向けられた懺悔だった。その姿を見つめる稲城の胸にも、何か鋭く沈んでいくものがあった。

「魔法は万能じゃない。そして、正しく理解し、訓練しなければ使えない。」

黒沼の声には、淡々とした事実がこもっていた。

「お前は無力でよかったんだよ。ただの無力な少女でよかったんだ。」

魔法を無力に感じて、魔法を忘れて静かに日々を生きてくれていればよかった。だが、彼女は自分の魔法を使いこなしてしまった。最悪な形で。

抱きしめられていた傘が床に転がる。部屋の中で少女の泣き声だけが響いていた。

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