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第6話 病室移動

俺は橘さんとナース2人組を見送った後、特に何かをするでもなくベッドで横になっていた。

あれから1時間……いや、2時間は経ったか。

どうしてこんな事になってるのか……。

さっき自分の上半身を見た時に確信したけど、この体は以前の俺のものではないのは間違いない。

シワだらけだった手も、皮が余っていた腹も、どこもかしこもハリがあり、体力と気力が漲っている。

最初は若返っていると考えたが、どうにもこの体は別の人のもののようだ。

神埼 守さん、か。

未来ある若者の人生を俺なんかが奪う訳にもいかないけど、体の返し方なんて皆目見当もつかない。

そんな事を考えていたら、部屋の扉がノックされた。


「神埼さーん、入りますよー」


さっきの朝倉と呼ばれたナースさんの声だ。


「どうぞ」


「入りますねー」


あまりにも丁寧な感じでナースさんは中に入ってくる。

今度は飛びかかられる様なことはなさそうだ。


「部屋移動しますから、荷物をまとめさせてもらいますね!」


満面の笑みで彼女は言う。

え? なんで部屋移動?


「この病院って、入院してる人って俺一人なんですよね?」


「はい、そうですね」


「ならなぜ部屋の移動を?」


「えーっと、それはですねぇ……」


朝倉さんはうんうんと頭を悩ませているようだ。

なんか答えにくいことでも聞いてしまったのか?


「あれです! これからの治療といいますか、必要な物が揃ってる場所に移動するんですよ!」


「治療? 怪我は治ってますよね?」


「‎神埼さんの場合、記憶の混乱が既に見られてますので、その改善と再教育と言いますか、常識をお教えしようかと。その為に最適な場所があるんですよ!」


え? 俺ってそんなに常識知らずだったのか?


「そんなお恥ずかしい事をしてもらう訳には……常識という事でしたら自分で勉強し直しますので」


「そうですねぇ、その反応が既に私たちの常識から逸脱しているものだと言う事です。あとでそれも説明しますので、今は付いてきてください」


淡々と説明しながらも、朝倉さんは俺の少ない荷物をさっと荷物入れに纏めて、そのままそれを担いだ。


「俺の荷物くらいは自分で持ちますよ」


「あっははー、神崎さんに持たせたら私が大変なことになりますので、いまはこのままで!」


さすがナースさんとでも言うべきか。

大きな荷物入れの中に俺の服だけじゃなくて、水の入ったペットボトルなんかも一緒に入れて軽々と背負った。

重量にしたら結構な重さだと思うんだけどな……。

そのまま部屋を出て真っ直ぐにエレベーターへと向かうと説明を受けた、その道中に他の患者とすれ違うことも、他の部屋に患者らしき姿は一切無かった。

途中でナースセンターの前を通り過ぎる、中には別に3人のナースさんがいて、特に仕事をする訳ではなくコチラを見ていた。

休憩中なのかな? いや、患者がいないから暇なのかもな。こんなんでこの病院は大丈夫なんだろうか?

それからエレベーターに乗り込み、向かった先は屋上、エレベーターから下りると4畳半程度の部屋に出て、そこには扉がある。

その扉には鍵が3つも取り付けられていて、かなり厳重なのが見て取れる。


「えっと、たしか…これと、これと……」


荷物を背負ったまま朝倉さんは鍵束を取り出し、鍵穴に鍵を差し込んで回していく。

3つ目の鍵が開きその扉が開くと、真っ先に飛び込んできたのは庭園と言えそうなレベルの花壇だった。

色とりどりの花が咲いているけど、あいにく俺はこういう草花はよく分からない。

屋上に出て見回すと、やはりというか、外周は転落防止用のフェンスで囲われており、フェンスの先は背の高い木で覆われている。その木でできた壁の先はよく分からない、もしかしたらここは山の中なのかも。

花壇の先には白い外壁の四角い部屋があった。

扉はひとつ、窓は無いので中は見えない、その扉にも鍵が3つもついているという厳重さだ。

先程と同様に朝倉さんは鍵を開けて部屋の中へと入っていく。

完全な密閉空間で中は暗かったが、朝倉さんがすぐに明かりを付けてくれた。

室内はオシャレな感じで、いますぐにでもここで暮らせるレベルでものが揃っている。

マンションのモデルルームを思い出すな。


「ここはお風呂もトイレもありますよ。冷蔵庫の中身もさっき佐藤さんが買ってきてくれたものだけ入ってるので、好きなものを食べてください。あとは特別変わったことはありませんが、お約束として、屋上に出るとオートロックが機能しますので部屋から外に出るときは扉を閉めないで下さい、あとここに来た時に使ったエレベーターは絶対に一人で乗らないで下さいね」


つまり、行動範囲が制限されたってことか。

にしても、気になることがある。


「ちょっといいですか?」


「はい、なんでしょう?」


「この部屋はなんですか? ここって病室じゃないですよね?」


「あー……やっぱ分かっちゃいますよねー」


バツが悪そうな感じで朝倉さんは俺の荷物をおろして、扉越しに外を見る。


「ここは普通の病室とは違って、入院の必要がない人も入れる部屋なんです」


「入院の必要がないのに、入院を?」


「いわゆる官僚って呼ばれる人たちの入院場所だったり、人目につきたくない人向けだったり、特殊な事情を抱えてる人がこの部屋を利用しますねー」


「いや、ちょっと待ってください。別に俺は人目につきたくないなんて言ってませんよ」


「神埼さんの場合は特殊な事情のケースですね、ちょっと……いや、だいぶ危ないのでこの部屋で治療を受けてもらいます」


「危ないって、それほど?」


「そうですね、割と真面目に。万が一が起きた時は私たちのクビが全部飛ぶ可能性もありますので、その安全措置と言いますか……」


なんか腑に落ちないけど、危ないと言われちゃ仕方ないのか?

素人の俺じゃ分からないような事もあるのかもしれない。


「神埼さんは目が覚める前の記憶はどの程度残ってるんですか?」


どの程度残ってると言われても、正直言ってこの体になる前の記憶なら鮮明に残ってはいるけど、この体の持ち主の記憶なんか微塵もない。


「何も思い出せません」


まぁ、そりゃそうだとしか俺としては言いようがない。

他人の記憶なんか持ってる方がおかしい。

………いや、他人の体を乗っ取ってる方が遥かにおかしいな。


「ふぅん。では少しお話ししましょうか! それで少しは気が紛れるかもしれませんし、何かを思い出すかも!」


そう言って楽しそうに朝倉さんはテーブルにお茶を用意して俺を椅子に座らせた。

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