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第11話 橘 鏡花

私は運が良いほうだった。

小学生の頃、私の学年に一人だけ男子がいた。

学年で90人以上もいるのに、同じ年に生まれた男子は一人だけだったのだけれど、その男子と私は小学校5年生のときにようやっと同じクラスになれた。

生まれてこの方、男子というものに触れ合ったことのない私は、初めて男子と話せるといった状況に期待を膨らませていた。

5年生になった登校初日に、先生は告げた。


「―――――くんは同年代の女の子が苦手です、お話は必要最低限にして極力話しかけないようにしましょう」


はーいと返事をするクラスの女子に吊られて、私も返事をしていた。

その紹介の後に男子が教室へと入ってきたけど、私の人生初の男子との邂逅は想像していたよりも空虚なものだった。

嫌悪感をまるで隠さない表情、視線は地面に縛り付けられていて誰一人として目を合わせようとしない、誰とも会話しようとせず彼は自分の席へと座り、無言で背負っていたランドセルを降ろした。

男子と一緒ならいつもとは違う学校生活になるものと期待していたけれど、そんなものは微塵もなくて、彼は学年行事などにも一切参加せず、クラスの置き物のような扱いのまま卒業した後に、誰にも別れを告げることも無く遠くへ引越して行ったらしい。


中学に進級すると学区の範囲が広がり、別の小学校から男子が3人も入ってきて女子の数は140人を超えた。

1つのクラスは30人超で、4つのクラスが用意され、私のクラスには男子がまた1人入ってきてくれた。

男子が入らなかったクラスはご愁傷様としか言いようがない。

今度こそ男子と会話ができるのかな?と期待していたけど、その時の男子はものすごく我侭だった。

彼は自身が好むタイプの女性だけで周りを固め、私はタイプじゃなかったようで不用意に挨拶するだけで暴言を吐かれるほどの悪意をぶつけられた。


「気安く話かけんじゃねぇよ」


「必死すぎて気持ち悪い」


「こっち見るなよ、鳥肌が立つだろ」


たかだか挨拶をするだけで、視線が絡みあうだけでそんなことを言われるので、私は感情のこもらない声でアハハと愛想笑いをして、彼の声が届かないように離れていった。


結局ここまで異性との交流なんて何もなかった。


高校、大学も似たようなものだ。

結局は周囲の女を遠ざけるような条件を持っているか、極僅かになるような厳しい基準を設けられていて、私にはそこに入る余地すら存在しなかった。

無理やりに近づこうとしたり、暴走する女子もいるにはいた。だけど全員漏れなく学校側から男性への接触禁止や退学を命じられた。


ただ、異性と交流を持つということすら私達には難しい……。


ある時から、もはやそんなものは諦めて、私は自身を高めることに専念した。

体を鍛えたり、勉強をしたり、そうすることで何かが紛れているような気がしていた。

そして、その甲斐があってか私は医学部を卒業して、実績を積み重ね、今は狭き門である男性専門の医者として病院に勤務することとなった。


男性とは患者として接触できる、私はこれ以上は望まない。


医者として男性と会話できる、私はこれ以上は望めない。


これでも十分すぎるほど運が良くて、恵まれているほうだ。

些細な事務的な会話でも、男性と触れ合うことすらなく人生を終えてしまう女性が多い昨今で、業務とはいえ私は接点を持てている、それだけで十分。



でも、女の男性専門医というのも思いのほか男性には需要が無かったりする。

実情は同じ男性の医者に掛かりたいと考える男性患者がほとんどを占めている。

しかし男性の医者というのは人数が極端に少なく、それでいて人気が高すぎる、通院だけならまだしも、入院となるとあっという間に病床はパンクしてしまう。

そんなパンクしてしまった時や、男性が女の医者を受け入れる場合、もしくは男性に意識がない時は私のような医者の出番となる。

もちろんここでも、悪感情をぶつけられたり、無視されたりなんてのは当たり前のようにあった。

それでも真摯に対応することで信頼を勝ち取り、極稀ごくまれに感謝されたりする時だってある、それだけで私は嬉しかった。


そんな中で、神埼 守という15歳の少年が入院してきた。

意識レベルは限りなくゼロに近く、腹部に深い刺傷があった。

話を聞くと、神埼 守さんは包丁を使い自身で腹部を刺傷して自殺を試みたようだけど、腹部を刺した程度では簡単に人は死なない。

手術は無事に完了して、時間が過ぎて傷は完治したのに、彼は意識を取り戻すことは無かった。

1ヶ月ほど原因不明の意識不明状態が続いたのだけど、不意に彼のベッドに備え付けられている振動感知器が発報はっぽうした。

警報が鳴った個室へと真っ先に担当看護師の朝倉が走って向かい、私達も簡易的な準備を整えて即座に移動した。

もしかしたら進入してきた部外者の可能性があると踏んで、テーザー銃さえ懐に忍ばせて、多数の看護師と共に赴いた。

しかし、私の心配は杞憂に終わる。


彼の意識が戻っていた。


医者として、これほど嬉しいことはない。

それだけで私は社会貢献ができていると実感できる。

自身の役目を果たせたと満足できる。

目覚めたのなら今まで出来なかった検査も出来るようになる、だからまずは色々と彼に話をしてみたのだけど、違和感を感じた。


彼は私だけでは無い、触れられていたはずの初対面の看護師にも嫌悪感を示さなかった。


普通であれば例え検査のためでも、異性に肌を晒すように言われれば、私が医者であろうとも男性は警戒するし、検査の為に肌に触れることは軽くでも嫌がる人もいる。

でも彼はまったくそういった精神的な壁のようなものを持ち合わせていない。

こういうのは長い入院生活の中でコツコツと信頼を培って、ようやっと立てるような領域のはずなのに。


私は32年の人生で、初めて男性とまともな交流が持てている気がした。


そして発覚したのは彼の記憶障害と謎の倫理観の発露。

彼の母親の話では神埼 守という男性も、女性に忌避感を持っている事は聞いていたのに、彼はその片鱗すら覗かせない。

むしろ初対面の私に全幅の信頼を寄せてくれていると態度で理解できる。

医者と名乗っただけでこれほどまでに信用されるのも、私とこれだけ会話できるのも、私の人生で初の出来事。


だから少しばかり関係ない話や、異性に関する踏み込んだ話を振ってしまったりもした、これは完全に悪手だと私も理解している。

これで少しはそのトンチンカンな話を引っこめて、嫌悪感を出してくるだろうと予想もしていた。

なのにそれでも彼は眉ひとつ動かさずに、まるで古くからの同性の友人かのように接してくれた。


私の何かにヒビが入る。


気がつけば屋上の病室を押さえており、彼はそこに入ることとなった。

これは紛うことなき職権乱用で、発覚したとしても問題は無いけど、その分の追加料金は私負担なのは間違いない。


誰の目にも触れずに彼と話したかった。


許されるのなら触れ合ってみたい。


ここまで私に嫌悪感を、忌避感を出さない男性は、きっと世界中を探したところで見つからないだろう。


32歳の女の価値なんて、そんなものだ。


なのに、そんな私を彼は魅力的だと、交配しても構わないと断言してくれた。


私の中でヒビ割れた何かが、壊れた音がした。


ここまで積み上げた社会的な地位、医者としての責任感、異性に対する配慮、そういった物がどんどん壊れて、ぐずぐずに溶かされていく………。


生まれて初めて、男性から肌を触れて貰えた。


それだけでビリビリと私の神経が研ぎ澄まされていく。


今まで一度も味わったことの無い甘い感覚が、これまでの私をあっさりと塗りつぶしていく。


痛くないかと問う彼を見て、どちらが医者なのか分かったものでは無いと内心では自虐してしまった。

自覚しないようにしていた私の心の傷を、彼は一瞬で癒してくれた。


でも、足りない、全然足りない、どれだけされてもまるで足りない。

心の傷が癒えると、今度は強烈な飢餓感が私に襲いかかってきた。

私の感情は貪欲に次を求めていく。

もっともっと私の奥まで触れて欲しい。


「挿れますよ」


彼の声が耳に届いてくる。

男性のソレを私の中に初めて迎え入れたけど一切痛みは無い。それもそうだ、異性との経験は無くとも、慰める際に自分で中心を貫いたのだから、そんな不要なものはとっくの昔に捨てている。


だが、その時と比べて、今はどうだ?


私がリードしないといけないのに。


私の女らしさを見せつけたいのに。


大人としての余裕を発揮したいのに。


そんな矜持は無意味だと言わんばかりのドロドロな快楽の波に、私は溺れることしか出来ない。


私の飢えが満たされていく……。


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