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第15話 箱庭の外へ

それからすぐに菊池さんが屋上に現れ、神埼少年の家族が来たと知らせに来てくれた。

俺の準備は既に終えているので、バッグを持って立ち上がり、菊池さんと一緒にエレベーターに乗り込む。

娯楽もなんもない屋上の箱庭だったけど、いざ離れるとなると少しだけ寂しい気持ちが湧いてくる。


寂しい、か。


そういえば、俺が定年退職してから誰かとこれだけ会話した事ってあっただろうか……。

いや、違う。

もっとずっと前からだ。

俺が会社で働いていた時から考えても、業務上の会話はいくらでもあったけど、誰かとプレイべートな話をしたり、雑談で笑っていたのも思い出せないくらい昔の話だ。

時間が出来ればスマホを弄り、電子書籍を読んだりゲームしたりしていた。

でもそれは俺に限った話じゃなくて、周りの社員も似たようなものだ。

喫煙所や休憩部屋だって、俺だけじゃなくて誰かが喋っていることすら珍しかった。

何も無い箱庭だと思っていた場所でも、俺は色んな人と様々な会話をして、すごく密な時間を過ごしていたんだと、ようやっと実感が持てた。

これは前の体で換算したら何ヶ月分のコミュニケーション量なのだろうか。

いや、もしかしたら年単位かもしれない。

それぐらい楽しくて濃厚な時間を誰かと過ごせたからこそ、今こうして寂しいと感じてしまうのかもしれないな。


「どうしました? 神埼さん」


エレベーターはもう1階に到着していた、でも歩き出す1歩が少し重い。

このエレベーターを降りたら、この病院から出たら、仲良くなれたナースのみんなとまた会話をしたりすることも出来なくなるんだろうな……。

俺ってこんなに寂しがり屋だったっけか?


「いえ、なんでもありませんよ」


俺は後ろ髪引かれる思いを断ち切り、エレベーターから降りる。

そのまま廊下を歩いた先の部屋で菊池さんが立ち止まって扉をノックした。


「失礼します。神埼 守さんをお連れしました」


「通してください」


扉の奥から橘さんの声が聞こえる。

失礼しますと断ってから菊池さんが扉を開くと、奥には神埼少年の家族と橘さんか向かい合うような形で座っていた。


「守!」


「お兄ちゃん!」


2人は少し泣きそうな表情でこちらを見ている。

なんと言えばいいのか分からない。

どう言えば正しいのか分からない。

だから、事前に決めた通り、俺は俺として返事をすることにした。


「心配をおかけしました」


軽く頭を下げると、母親の詩織さんは口に手を当てて涙を流して、妹のヒナタは驚いているようだった。

そんな中で橘さんは説明していく。


「事前にお話させて頂きました通り、記憶障害は未だに残り続けていますが、お二人のご協力もあり多少は改善されました。ですが、これ以上の改善は見込みが薄く、経過観察で体調面の異常は見られませんので、本日を以て退院して頂いても大丈夫です、いかが致しましょうか?」


実はある程度、橘さんと口裏を合わせている。

橘さんはあの遺言状から、俺をまったくの赤の他人の人格というのは理解している。

だから、今の俺のままでも問題がないように、親に話してくれていたようだ。これは本当に助かる。


「守……私のことは分かる?」


「……お母さんなのは分かりますけど、今までどんな事をしてたとか、そういう記憶はないんです」


「お兄ちゃん! 私は!?」


「ごめん、ヒナタ。ヒナタとの記憶も全然無いんだ」


名前は教えられたから知っているけどね。

でも家族の思い出とか、こればかりはどうしようもない。

下手に覚えている設定にして、実は忘れているって発覚する方が精神的なダメージは大きいだろうから、ここは誤魔化さずに真実を告げた方いいというのが橘さんの判断だし、俺もそれに賛同した。

悲しませたくは無いけど、2人の知ってる神埼 守はもう死んでいる。

彼の生きた証なんて俺には分からないけど、それでも俺がこの体を使ってる以上は、神埼少年を心配してくれている神埼家を大事にしよう。


「……守は今日、家に連れて帰ります」


詩織さんの涙は止まっていた。それでいて力強く言いきった。


「分かりました、ですが何かありましたらすぐに当院へ起こし下さい。守さんなら予約が無くとも即時対応いたします」


「何から何まで、ありがとうございます」


「いえ、これもアフターケアとして当然です。別の病院ですと、色々調べる所からの再開となり、対応が遅れる懸念がありますので、必ず当院を利用してください」


橘さん? なんか力がこもってませんかね?

段々と言葉が強くなってる気がするんだけど。

……まぁいいか。


それから俺は家族と一緒に、ロータリーに駐車されてる神埼家の車へと向かう。

先に後部座席に妹が乗り込んだけど、俺はどうしても一言感謝したくて振り返った。

そこには俺の治療や看護をしてくれた皆が、病院の外まで見送りに来てくれていた。


「お世話になりました」


皆に軽く一礼する。


「はいこれ、私達一同から退院祝いよ」


そう言われて橘さんから花束と、その花束で隠すように小包のような物を受け取った。


「これは?」


「以前話していた2人分のお礼よ。カモフラージュしてあるけど……ちゃんと家に帰ってから一人で開けてね」


そう耳打ちされて、すぐに意味がわかった。

え? まさかこれ現金か!?

受け取れないと咄嗟に言いかけたけど。


「お兄ちゃん、早く乗って!」


車の中から妹に催促されてしまったので、とりあえず今は受け取ることにした。

今後、何かしらでちゃんと返していこう。


車に乗り込むとナースさん全員が手を振って見送ってくれた。

なんか、どこかの高級旅館のような対応だな、患者が俺しかいなかったって話だし、こういう事もあるのかなと思いつつ、俺も窓から手を振って返した。


ロータリーを抜けて少し進むと、屋上から見えてた厳かな門の前に着き、ピピっと機械音がしたら扉が自動で左右に開かれた。

見た目からして大きな扉は観音開きだと思ってたけど、これ横にスライドするタイプだったんだな。

門を抜けると扉が閉まる、病院を囲う外壁は4メートル程の高さがあり、予想通り外からじゃ中がまったく見れない作りになっていた。


「お兄ちゃん、病院は大丈夫だった? 変なことされなかった?」


変な事というか、色々したけどそれは言うつもりはない。


「全然。むしろみんな良い人で、凄く良くしてもらったよ」


不謹慎だけどまた入院してもいいかな?って思うくらいには楽しい思い出だ。


「えっ……」


「ん?」


「なんかお兄ちゃん、前と全然違うね」


それにどう答えたものかと考えると、詩織さんが運転しながら答えてくれた。


「守は記憶障害で性格の変化も起きてるって言われたじゃない、覚えてないの?」


「覚えてるけどさー、なんか凄い違うんだもん」


そんなに言いたくなるほど違うのか?


「もしかして、今の俺ってそんなに変かな?」


神埼少年ならどうするか?というのを聞くよりも、ここは『ありのままの姿作戦』でいく。かの有名なD社だってそう言ってた!


「んーん、そんな事ない。今のお兄ちゃんのほうがずっと良いよ!」


嬉しいこと言ってくれるじゃないか。


「ありがとう、そう言ってくれると俺も助かるよ」


そう言って、ヒナタの頭をポンポンと撫でた。

昔、まだ仲が良かった頃の幼い愚妹はこうされるのが好きだった。

それを思い出して同じことをしたら、サッと頭を離された。


「え!? ちょっと、お兄ちゃん、にゃにを!?」


「あっと、ごめん。嫌だったか?」


子供扱いしすぎてしまっただろうか?

まだ距離感が掴みきれてないな。

神埼少年とヒナタちゃんはどのぐらいの距離が適切なのか、これからちゃんと見定めていくか。


「別にっ! 嫌とかそんなんじゃ無いけど……お兄ちゃんって私に触るのも、私に触られるのも嫌がってたじゃん?」


おいィ!神埼少年!

こんな可愛い妹になんて事してんだ!?


「今の俺は嫌じゃないけどな」


「そうなのっ!?」


「もちろん。だけどヒナタが嫌なら、それはそれでいいんだぞ? 俺もちゃんと控えるから」


「そんな事ないよ! むしろして欲しいっ!」


そう言って今度はもっと撫でてと言わんばかりに俺に頭を差し出してきた。

俺の妹がすごい可愛いんだけど!?


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