橘さんに言われてやっと気が付いた。遅いと言われればその通りとしか言いようがない。
前の世界で彼女を作る事を避けるようになってからは、我慢できなかったら夜の店で発散すればいいやと思ってたし、欲求が無くなってからは気にもしなくなった。
でもこの世界で関係を持った橘さん、朝倉さん、リナリーは純粋に子供が欲しいという思想を持って行為に及んでいた。由美さんは出来たら嬉しいな、くらいだったけど。
それでも、できるからした、したいからする程度の俺とは感覚が全然違う。
俺のはお腹が減ったから食べて、眠くなったら寝ると同じだ。俺は散々彼女達に妊娠するかも、子供ができるかもと問いかけてきたけど、それをするべきは自分自身だったんだ。
俺は彼女達との子供を望んでるのか?
仮に望んでいなくても、ビジネス的な関係に落とし込んでしまえば感情的な定義が薄れていくし、対価が払えないなら諦める人もちゃんと出てくる。
それが防波堤のような役割になって、結果として俺を守ってくれる。
もしそれが無くなれば、潰れるのは俺だけじゃなくて、世の男たちもだろうな。
そういう意味では、由美さんやリナリーの性的な価値観を俺が破壊したことになるのかもしれない。
もし壊れてしまったら、修復する大変さを俺は知ってたはずなのに……。
……反省だ。
それから俺は詩織さんと合流して、また皆に見送られながら病院から出ていくことになったけど、朝倉さんと菊地さんの姿は見えなかった。
「守、今回の定期検診は大丈夫だったの?」
「ええ、特に問題は無いですよ」
一応、今回の診断書と例の紙束は、俺の手元の大きめな封筒の中に収められてる。
「いつも疲弊して辛そうにしてたから、今回は元気そうで安心したわ」
詩織さんは俺がこんなになってもいつも優しく接してくれる、母親として俺の話も聞いてくれている。
「詩織さんこそ、最近疲れて倒れてるのをよく見かけますけど、大丈夫なんですか?」
「……子供がそんなに心配しないの。この程度なんてことないわ」
そう言って笑いかけてくれるけど、やはりどこか疲れてるようにも見える。
「実は俺も働こうと思うんですけど、いいですか?」
「働くったって、働き先なんてどこにも無いでしょ」
これは言わなければならない。
この体は俺が譲り受けたものだとしても、詩織さんの息子である事は変わりないんだから。
「それが、働き先を紹介してもらえそうなんです」
「紹介って、なんの仕事?」
「その前に言わなければならない事があって、俺は記憶を失ってから体質が変わったみたいなんです」
「どんな風に変わったの?」
「本来あるはずの痛みを感じなくなったんです」
だいぶ中身を意図的に伏せてるけど、今日の定期検診の流れもあって、俺の言葉の意味が分かったらしい。
「痛覚が無くなった訳じゃないので、怪我をすれば普通に痛いんですけどね」
「仕事の紹介って、もしかして……」
「この体質を利用して対価を貰って女性の相手はどうか?というので、もし反対なら精子バンクへ精子の売却ですかね」
それくらいしかまともな仕事がないんだから仕方ない。
俺にはまだ、ちゃんとしたこの世界に合致した倫理観を持ててるとは思えない。
俺が正しいと思う事は、この世界では異質な事で。
俺が間違ってると思う事は、この世界では普通の事でもあった。
身売りをやろうと思えば出来るけど、俺の価値観からすれば普通じゃない。
だから、詩織さんに隠さず話した。
丸投げという形になるけど、大人である詩織さんの判断であれば大きく間違えることもないはずだ。
もしこれが詩織さんに反対されれば、それをやるつもりは無いし、別の手段を探さないとな。
「本当に痛みは無いの? あれだけ女性を怖がってたのに、知らない人でもそれはもう平気なの?」
「ええ、今の俺にはそういうのはありませんよ」
真剣な詩織さんの声に、俺も真面目に返す。
「だから俺も働いて家計の足しにしてくれればと思って、ヒナタのこれからだって大変でしょう?」
「生意気を言わないの。それはお母さんが考える事であって、子供のあなたが心配する事じゃないわ」
「俺は詩織さんの余計な心労を無くしたいだけなんです。それはダメな事ですか?」
「………」
「俺も家族の一員として協力したいし、助けたいんです」
「………はぁ、分かったわ。
「はい、ありがとうございます!」
「それと、
社会貢献に仕事か、やっぱ大人でもそういう認識なんだな。
詩織さんと話してみて感じたのが、俺が常識的にありえない事をしようとしているという非難ではなくて、単純に15歳の子供が仕事に従事できるのか?という不安と、俺自身への体調の配慮ばかりだった。
なおさら無償でしてしまった事が社会的にも悪いことなんだなって思ってしまう。
俺の認識で例えるなら、市場荒らしもいい所だ。
他の人が頑張って販売してる横で、俺が同じものを無償で配ってたわけだから、たまらないよな。
でも、逆を言えばそれだけだ。
手を出した、出されたというのには全然頓着していない。
ようは、あっさり無償で言われるがまま渡したことに怒られたのであって、配った事はむしろ男の仕事であり社会貢献ということだ。
女性ばかりの社会だし、子供関係は色々とあるんだろうなぁ……。
俺は詩織さんからの同意を得られたので、少しばかり心が軽くなった気がする。
その夜に、俺は橘さんから渡された例の紙束を詩織さんにも見せることにした。
一応、ヒナタには見られないように詩織さんの部屋でやり取りすることになった。
ヒナタも仲間ハズレにしないでと抵抗してきたけど、仕事の話だから入らないようにと言ってある。
「はぁ〜〜、随分と良いところの女性を紹介して貰えるのね……」
俺もちゃんと目を通してるけど、どこぞの大企業会長のご令嬢とか、女性の社長ご本人とか、大地主の女主人とか、なんか凄い人ばかりだ……。
「病院の橘さんからの紹介で、厳選してくれてるみたいです」
「良かったじゃない、これならどの人とでも問題なさそうね」
俺が言うのもなんだけど、やっぱ俺の常識から少し外れてるからか詩織さんの言葉がなんとも引っかかる。
でも、他意がないのは嬉しそうな表情や声を聞けば分かる。
「あとは守だけど、本当に大丈夫なの? 痛くないと聞いても、やっぱり不安だわ」
「この中から俺も選ぶことになりますし、厳しいと思う人は選びませんよ」
「ならいいけど……」
ペラペラと紙を何枚がめくったところで、手が止まった。
それに詩織さんが気がついたのか、俺の方を覗き込んできた。
「その人にするの?」
「いや、その……まだ決めかねてます」
なんで、この人がこの中にいるんだ……?
橘さんは俺の個人情報は隠してたって言ったよな?
俺はその紹介の紙を紙束から抜き取り、丁寧に折りたたんでからポケットにしまった。