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第43話 お淑やか ≠ 消極的

「ち、違いますから! 私はっ! こんなっ!」


「落ち着いて、今ので分かったから」


それから少し気まずい沈黙があったけど、何となくこれが誰の仕業か俺も理解出来てきた。


「……神埼様、私から質問があります」


相変わらず顔が赤いままだけど、すみれさんは落ち着いたようだ。これで普通に話ができるな。


「私はこんなものを知りませんでした。これはどこかのコミュニティに属していれば見られる資料か何かなのでしょうか?」


なんか怒ってる?

そりゃそうか、自分の知らないところで勝手に相手探しされてると思ったら、たまったもんじゃないよな。


「いや、それは俺個人へ向けられたものだよ」


「神埼様……個人の?」


「そう。訳あって働き始めようと思ってるんだけど、それでこんな俺に相手を紹介をしてくれる優しい人がいて、その中の一人にすみれさんがいたんだよ」


「良かったです。もしそんなコミュニティがあるなら根から潰さないといけないところでした」


この子はさらっと怖いこと言うな。

コミュニティを潰すってどうやるんだろう……。


「ところで、その訳というのをお聞かせ願えないでしょうか?」


「なんというか……俺も稼いで家に入れようと思っててね」


「それほど神埼様の御家の事情は苦しいのですか?」


「いや、苦しいってほどでもないけど、裕福でもないってくらい。俺も親を安心させたいというか、心労を減らしたいんだよ」


それで詩織さんの休める日を増やせるなら、俺としては十分に働く価値がある。


「神埼様が……お仕事……学生なのに……?」


「あの? すみれさん?」


「それなら手を……いや、それより…………うん、そうですね」


なにが?


「神埼様、そのお仕事についてなのですが……その……もしかして、私を相手にと?」


「いや、そういう訳じゃないよ。一応確認と思ってさ。まだその相手ってのは決めかねてる所だよ」


「そうですか……。大変不躾なお願いなのですが、働き始めるのを少々お待ち頂く事は出来ますでしょうか?」


「えっと……」


「もしお急ぎなのでしたら、私が動かせる分で融通致しますので! どうか私の願いを聞き届けては頂けませんか?」


「いや、いらないよ! どちらにしろそんな急ぎって事じゃないから、すぐには決めないよ」


「それを聞いて安心しました」


さっきの慌てぶりはどこへやら、今はちゃんとお嬢様然とした落ち着きを見せている。

何に安心したのかは分からないけど、それを聞こうとしたら学校のチャイムが鳴った。

1時間目が終わったみたいだ。


「私の謝罪のはずが、思わぬ話を聞けました。では、急ぎでやる事が出来ましたので、これで失礼します」


「あ、あぁ、気をつけて戻ってね」


やっぱちゃんとしてると学生でもオーラがあるというか、雰囲気が全然違うな。

そういや、さっきの紙を彼女に持っていかれたけど、まぁいいか。

元より彼女を相手にするつもりは無いし。

さてと、俺も次の時間から普通に授業に出ていいって話だったし、早く教室に戻らないとな。




――――――――――――――――――――




私は急いで廊下を歩いていた。

見る人が見たら、なんてはしたないと思われるかもしれない、マナー講師の先生にこんな姿を見られたら卒倒されてしまうかもしれない。

でも、時間が惜しい。

私は歩きながら携帯電話を取り出して電話を掛ける。


「緊急です。早退しますので車の手配を」


電話の向こうの相手の返事を聞く前に、私は通話の終了ボタンを押していた。


私は何をしているんだろう?


自分でも自分がコントロール出来ていない。

学校を早退するにしても先生に断ってすらいないのに。

でも、急がないといけない。

もしも間に合わなかったら、私はきっと悔やんでも悔やみきれない。

気がつけば、私はそのまま学校の駐車場まで飛び出していた。

さっき電話したばかりだというのに、車が居ない事に腹が立って仕方がない。


私はどうしてしまったんだろう?


こんな感情は初めての経験だった。

こんなに私はいているのに、周りはこんなにもゆっくりで。

やっと到着した車に乗り込んで、運転手に母の居場所を尋ね、そこを目指すように伝える。

運転手の方はとても丁寧に私に接してくれている。なのに私はそんなものは不要とばかりな対応をしてしまっている。

こんな事をしたいつもりじゃないのに……。


程なくして、車が母の仕事場に到着した。


私はすぐにでも話をしたい。

だから、運転手が車の扉を開けるのを待つことすら出来なかった。

そのまま建物の中に入り、受け付けの人に母の事を尋ねる。

今は応接室にいるとの事で、私は何も考えずに応接室へと向かった。

誰かが私を止めている、だけどそんな言葉を聞く訳にはいかない。

私には悠長にしている時間なんて全然無いんだから。

応接室の前に行くと、談笑している母の声が聞こえてきた。

間違いない、ここにいる。


私は迷わずノックしてしまった。

そこが応接室だというのに。


「誰だ?」


部屋の中から少し不機嫌そうな母の声が聞こえた。


「すみれです、火急の用があって参りました」


「……いいだろう、入れ」


許可を得て扉を開けると、そこには知らないスーツを着た女性がいた。

それもそう、ここは応接室なのだからお客様がいるに決まってる。

私の不手際に驚いているのか、母と向かい合うように座っている女性は、驚いているような苦笑いをしていた。


「それで、火急の用とはなんだ?」


「それが、その……」


そのスーツの女性をちらりと見ると、立ち上がって会釈してくれた。

こんなに無礼な私に向かって、この人は礼を欠かしていない……私の中に恐れ多い気持ちで溢れてくる。


私は、どうしてこんな事を……?


「うちの不出来な娘が失礼した。火急の用と言うので何かと思ったんだが」


「いえいえ、お元気そうなお嬢様で。それに今回の商談は途中でしたが、今は更なる代案も無いので一度失礼しても宜しいでしょうか?」


「もちろんだとも。気を使わせてしまって申し訳ないな」


「とんでも御座いません。また近いうちに更に練りこみ、より良いプランをご提案出来てればと思いますので、また後日ご連絡致します」


「ありがとう、我社の為になる新しいプランとやらを待っているよ」


「ありがとうございます。それでは失礼します」


すれ違い様にも私に会釈してくれて、慌てて私も礼で返した。

スーツ姿の女性を見送ると、母のさっきまでの笑顔は消えて、その表情にも不機嫌さが現れていた。


「それで? 何の用だ。折角良い話が出来ていたというのに」


「大変失礼しました、お母様。ですがどうしても今すぐにお願いしたい話があります」


「……なんだ?」


「これをご覧ください」


私は神埼様から受け取った紙を母に見せる。

それに少しだけ驚いたようにも見えたけど、すぐに不機嫌な表情に戻られた。


「どうして、すみれがこれを? 誰にもこの事は言っていないはずだが?」


「私の学友が持っていました」


「チッ……あの女狐が、漏らしたな」


母は先程とは比べ物にならないほど不機嫌になられてしまった。


「いえ、お母様。おそらくそれは違います」


「なんだと?」


「漏洩されたものではなく、本人の手持ちのものから譲り受けました」


「まさか、すみれの学校にその男がいたのか!?」


男というのは知っておられた。

という事はやはり、母の手が回っていたと考えるべきで。

問題はその先。


「これを持っていたのは、この前にお話させて頂いた神埼様なのです」


「神埼……それは確かなのか? いや、すまない、すみれがそれを間違えるはずは無いな」


「なにかあったのですか?」


「なに、このエントリーシートはな、珍しくも女に嫌悪感を抱かない妙齢の男が相手を探していると連絡があってな。すみれに丁度いいと考え至って出したものだ」


「神埼様だと知らずに、ですか?」


「そうだ。それで、それがどうかしたのか?」


「一生の願いがあります、お母様」


「……言ってみろ」


「神埼様は学生なのに働くという名目でその女性達を集めたそうなのです。どうか私に……私に傾くようにご助力を願います!」


「ふむ、具体的には?」


「現在、神埼様のお母様に対する心労が多く、それを軽減するために働くと神埼様は仰っていました。それが私には我慢ならないのです!」


「ほう」


「神埼様にその仕事を撤回させたいのです、ですが私ではどうしようもありません。なのでお母様の御助力をお借りしたく存じます」


「良い顔をするようになったじゃないか。それで? それだけか? すみれはそれでいいのか?」


良い顔……私は今、どんな顔をしているのだろう。


「それはもう既に申し上げております。私に傾くようにして欲しいと」


「つまり、神埼君が誰も選べず。それでいて、すみれだけが選択肢として残るように仕向けると、そういうことだな?」


「その通りです」


私の肯定を聞いて、母は嘆息していた。


「愚かな娘だ。いや愚かなのは私もか。お前は自分で自分の望みを遠ざけたかもしれん」


「……………え?」


「机にある名刺を見てみろ」


言われて、私は机の上に置かれた名刺を見た。

そこに書いてあった名前を見て、もしかしたらという疑惑が湧き上がる。


「私も娘の為を思って出来ることはやっている」


「もしかして、これは……」


「二頭を追っていたつもりだったが、まさかの同一人物とはな。さっきの商談では詰めが甘いから難航していたが、そういう事なら薄利でも受けてやるさ」


机の上に置かれた名刺。『神埼 詩織』と書かれた名刺が、その存在感を増していた。

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