昼間は昨日までやっていたゲームの続きをしている間に、母から「あんた、夏休みでヒマなんだから自分の部屋片付けなさいよ」と言われた涼佑は、ぶちぶちと文句を言いながら部屋を片付けているうちに、直樹との待ち合わせの時間が迫っていた。
「あ、やべ」
ゴミ袋に要らない物を詰めて、玄関の空いたスペースに置いてからスマホを見ると、もう夕方の四時四十分になろうとしているところだった。直樹達とは現地で五時に待ち合わせているので、もうそろそろ支度をしないと間に合わない。
慌てて自室へ戻り、埃っぽくなってしまった部屋着から外出用の私服に着替える。夏祭りに行くので、とにかくゆったりして動きやすい恰好にしようと、上は黒のオーバーサイズのTシャツ、それに合わせて下もベージュのオーバーサイズのパンツにスニーカーでいいやと瞬時にコーディネートを決めて、涼佑は手近にあったグレーのサコッシュに財布とスマホを突っ込んだ。
「よっしゃ、オッケ」
急いで出なければ、とサコッシュを肩に掛けつつ、リビングに下りると、丁度妹のみきが母に浴衣を着付けてもらっているところだった。涼佑が下りてきたと分かると、「良いでしょぉ~?」と言いたげに両腕を上げて袖の柄を見せてくる。白地に薄紫や紺色で椿が刺繍してあるシンプルながらも大人っぽい浴衣だ。小学五年生ともなると、その浴衣は子供用だが、どこか大人びた印象を受ける。妹と母の姿を見付けた涼佑は明らかに「げっ」という顔をした。
「お兄ちゃんもお祭り行くの?」
「そうね。涼佑、みきも一緒に連れて行ってくれない?」
「ええ? ヤダよ。オレ、友達と待ち合わせしてるし、母さんが一緒に行けば良いじゃん」
嫌がる涼佑だったが、それを見越していたのか、それともまた母がみきの話を聞いていなかったのか、みきは溜め息交じりに母に注意した。
「もう、お母さん。私だって、佑衣ちゃん達と一緒に行くからいいって言ったじゃない。私だってヤダよ。お兄ちゃんとなんて」
「おまっ……! 帰ったら、覚えてろよ!」
「きゃ~! 暴力はんたーい!」
涼佑に悪態をつかれると、みきは面白がって頭を抱えて逃げる振りをする。距離が無かったら、ちょっと小突いてやるくらいはしただろうが、今はとにかく時間が無い。兄妹のじゃれ合いを見ていた母が時計を見やり、次いではっとした顔をして涼佑に鋭い声を飛ばした。
「ほら涼佑、時間無いんじゃなかったの?」
「おわっ、やばっ! っと……行ってきまーす!」
「はい、行ってらっしゃい」
「行ってらっしゃーい」
母とみきの声を背中に受けつつ、素早くスニーカーを履いた涼佑は、そのまま振り返らずに家を出た。
歩いては間に合わないので、サコッシュに入れっぱなしにしていた自転車の鍵を取り出し、カーポートの奥に止めてある自転車へ向かう。普段は学校への道はそれほど長くはないので、使うことは無いのだが、今日は急いでいるのと途中で緩やかな坂があるので、涼佑は乗って行こうと思ったのだ。『新條』と黒のマジックで書かれた鍵を解錠し、家の前の道路まで自転車を押して来ると、サコッシュをカゴに入れて涼佑は自転車に跨がり、出発した。
涼佑の住んでいる住宅街を抜け、七津川とは反対側にある八野坂神社を目指して山の方へペダルを漕ぐ。八野坂町は山に囲まれた低地で、その中の一つが神社が建てられた八坂山だ。何故、町の名前は『八野坂』なのに、山の名前は『八坂』なのかは涼佑にはよく分からない。興味も無いので、気にしたことは無かった。
自転車を漕ぎつつ、屋台では何を食べようかと考えているうちに、いつの間にか八坂山の入り口が見えてきた。遠目に見ると、既に山の上の方では提灯に明かりが灯り、普段とは違う祭りの空気を感じる景色になっていた。その空気にあてられてか、それとも自分が思っているより楽しみにしていたのか、自然と涼佑の気分も高揚してくる。テンションが上がってくると共にペダルを漕ぐ速さも自然と加速し、あっという間に山の入り口に着いた。
入り口の鳥居の前では既に直樹が一人、スマホを片手にどこか落ち着かない様子でそわそわと待っていた。誰よりも早く到着しているところから涼佑は彼が今日の祭りを余程、楽しみにしていたのだろうと思ったが、そこを指摘するとまた強がって否定することは見えていたので、口に出すのは止めておいた。そうなった直樹は、ほんの少し面倒だからだ。代わりに片手を挙げて短い挨拶をする。
「よっす」
「おう。……なぁ、涼佑。真奈美、来るかなぁ」
開口一番、少し不安そうにそうこぼす直樹の肩を涼佑は励ましの意味を込めて、ぽんぽんと軽く叩く。努めて笑顔を浮かべて、ちょっと無責任なことを言った。
「大丈夫大丈夫。絶対来るって。だって、約束したんだろ?」
「うん。そうだけどさぁ……当日になって『やっぱり行かない』とか言われたら、めっちゃショックじゃんよ。デートの当日にドタキャンとか、割とあるってネットで言われてるしさぁ」
涼佑を待っている間に何やら真剣にスマホで色々検索していたらしく、『夏祭りデートで失敗しない方法』だとか、『実は女子はこういうところを見ている!』といった趣旨の記事を読み漁っていたようだった。
その際、偶然見付けた『女子の脈アリ・脈なしサイン』という記事を見付けてしまい、そこに書かれていた『デート当日にドタキャンされる』という項目を読んでしまった直樹は、元々感化されやすいせいか、すっかり脈なしなのかもしれないと思い込んでいた。その証拠に、真奈美からなかなかこちらに向かっている等の連絡が無いと嘆く彼を、涼佑はもう一度励ました。
「それはほら、お前をびっくりさせようとか、そういうアレじゃね?」
「励まし方が雑なんだよぉ! 何だよ、アレって! もっと優しく丁寧に励まして!?」
「そう言われてもなぁ……」
直樹が情緒不安定になって涼佑に縋り付いたその時、通りかかった車の存在に気付いた涼佑は、自分の腰に縋り付いてくる直樹を轢かれないように鳥居の方へ押しやる。しかし、車はそのまま通り過ぎること無く、丁度二人の前で緩やかに停まった。後部座席のドアが開けられ、中から出てきたのは浴衣を着た三人の少女達だった。
最初に目の前へ現れた少女に、二人は見覚えがあった。普段、下ろしている長い髪を一つにまとめ、お団子を作って簪で留めている。紺色の浴衣には薄紫色の菖蒲が描かれており、夜色の蝶飾りが付いている簪とよく合っていた。薄紫色の半幅帯も可愛らしい。薄く化粧もしているようで、いつもより大人っぽい装いに、直樹は釘付けになってしまったようだった。涼佑が彼の目の前で手を振っても、全く反応が無い。
真奈美の他には涼佑も知っている彼女の友人達がいた。いつも一緒にいる女子生徒達で、真奈美より背が高く、すらっとした体型に気の強そうな吊り目が特徴の白石絢。もう一人はこの中で一番背が低く、小柄で垂れ目のどこかハムスターやウサギといった小動物を彷彿とさせる少女、遠藤友香里だ。
絢は黒と朱色に近い茶色のグラデーションの下地に紅色と薄ピンク色の薔薇が降るように刺繍されている。紅色の半幅帯とよく合っていて、可愛さの中にかっこよさも感じる浴衣を着ており、普段お団子にしている髪を下ろして朱色のリボンバレッタを着けている。浴衣と合わせてレトロな雰囲気があり、まるで大正時代の女学生のようだ。
友香里は珊瑚色の下地に白や薄ピンク、クリーム色の小さな桜の刺繍が散りばめられた浴衣に白い半幅帯、肩くらいまでの黒髪は片側だけ耳に掛けてあって、落ちないように白い桜のヘアピンで留めてある。
三者三様の可愛らしくも、少し大人っぽい装いに直樹は半ば放心したように見とれ、涼佑は三人へ「みんな可愛い。よく似合ってるよ」と賛辞を送ってから、直樹へ真奈美へ何か言うように促す。少し恥ずかしそうに頬を染めながらも、ぶっきらぼうに「分かってるよ」と涼佑へ呟いた彼は、合流した真奈美に一歩近付き、もごもごと言った。
「すっげ可愛い。……似合ってる」
照れる直樹に真奈美も嬉しそうにほんの少し微笑んで礼を言った。
「ふふ、ありがとう。支度に時間掛かっちゃってごめんね」
申し訳なさそうに眉を下げる真奈美に、直樹はとんでもないと言いたげに物凄い勢いで首を左右に振るのだった。