目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

神隠し 第4話

 どこかでヒグラシが鳴いている。おかしい、と涼佑達はもう一度、辺りを見回した。依然として、自分達が立ち尽くしているのは、社殿の敷地内だと分かる。けれど、辺りの様子が一変している。

 さっきまでずっとあった祭りの気配が一切無いということに加えて、背後から彼らを照らす夕陽の光。それがあること自体がおかしいのだ。


「お、おれ達がここに来た時はもう夜だった、よな?」


 自信が無さそうに直樹がみんなに確かめるように呟く。その呟きに三人娘も自信無く同意するも、まだ目の前の光景を信じられないようだった。どういうことなんだろうと互いに顔を見合わせる中、どこからともなくちりん、という鈴の音がした。音のした方を見ると、鳥居があり、太い柱に括り付けるようにして小さな鈴が下がっている。風にでもあおられて鳴ったのかとも思った一同だったが、また何か思い当たることがあったのか、友香里が「あれ?」と小さくこぼす。


「こんなところに鈴なんてあったっけ?」


 その一言をきっかけに涼佑達はそれぞれ記憶を振り返ってみるが、思い当たることは無い。考えてみれば、こんな目立つところに鈴が下がっていたら、ここに入る時、一度は気づくはずだ。みんなとは少し離れた場所にいる涼佑の目には、鳥居の柱それぞれに同じ鈴が下がっている。それを見て、彼は益々妙だと思った。こんな意味深に鈴が取り付けてあったら、誰だって存在に気付くだろう。なのに、どうして?―

 そこまで考えたところで、不意に視界に入っていた鈴が独りでに左右へゆらゆらと揺れ出した。先程からずっとざあざあと風は吹いているが、吹く方向などまるで関係ないようにゆらゆら、ゆらゆらと揺れている。揺れる度、ちりんちりんと鳴るその音がどうにも不気味で、直樹達は慌てて涼佑のいる社殿の方へ戻って来た。鈴は益々激しく揺れ、ちりんちりんというよりはぢりんぢりんっ、と音が甲高く大きくなっていく。


「なに? なになになになに!?」

「なんだよ……なんなんだよ、あれ」

「やだ、怖い……!」


 みんな恐怖に怯えて身を寄せ合い、鈴から目を離したくても離せない。直樹と涼佑が女子三人を庇うように前へ出るが、その足は二人とも震えている。恐怖から声を出していないと落ち着かない様子の絢とそんな彼女に縋りつく友香里。真奈美も不安そうに涼佑の服の裾をぎゅっと握る。

 やがて一際激しく鈴が鳴ったと思うと、鳥居の下に男が一人、現れたのだった。

 角笠に白い甚平に紺色の脚絆と手差し、背中には背負い籠という昔風な出で立ちの男は、涼佑達を見つけると顔を上げて柔和な笑みを浮かべた。黒縁の眼鏡を掛けた気の良さそうなおじさんだ。笠に隠れて分からないが、ぱっと見た感じでは残念ながら髪は少なそうに見える。笑うとふくよかな頬と小さな目元にしわが寄った。歳は五十代後半といったところだろうか、涼佑達を認めると、男は少々驚いたように口を開く。


「おやまぁ、どうしたんだい? こんなところで」


 何の違和感も無い、至って普通のおじさんという感じだ。安心した直樹は彼なりに研ぎ澄ませていた警戒心を解いて、いつもの人好きのする笑顔を浮かべた。


「えっと、凄く変なこと訊いちゃうんスけど……ここって、八野坂神社、で良いんですよね?」


 恐る恐る訊いた直樹を男は不思議そうに数秒、じっと見つめて笑みを深くして言った。


「何を当たり前のこと言ってるんだい。おかしな兄ちゃんだねぇ」

「あ、あはは。そうッスよね。ほんと何言ってんだろ、おれ」


 朗らかな男と直樹の会話を聞いて、特別おかしなところは無いと思った真奈美達も段々、表情が柔らかくなってくる。一頻りあははと笑い合うと、おもむろに男は直樹の手を掴んだ。


「え? あの……」

「ここはね、おじさんが管理してる神社なんだ。良かったら、休憩がてら少しお茶でもどうかな?」


 いきなり手を掴まれたことに驚いて、咄嗟に言葉が出ない直樹は一瞬、掴まれた手を見つめていたが、ぱっと顔を上げて男へ愛想笑いを浮かべる。断ろうと空いている方の手を軽く挙げて左右に振った。


「いやぁ、悪いですよ。そんな。おれらももう帰るんで――」

「そう言わずに。ちょっとだけだから、ね?」


 一向に放す気配が無い男にただならぬものを感じた直樹は、それとなく掴まれている手を男の手から抜こうとするが、更に力を込められたのか、ぐっと少し引き寄せられる。未だ、男に対して警戒心を抱いていた涼佑はその動きにいち早く気付くも、男の纏う雰囲気から間に割って入ることもできず、ただただ目の前に立っている男を不審そうに睨むことしかできない。背後の真奈美達は男の様子に気が付いていないのか、不思議そうに「どうしたの?」と訊いてくる。

 涼佑も直樹もどうしたら良いのか分からずにいると、それを良いことに男はぐいぐいと直樹の手を引っ張り始めた。流石にそれは阻止しようと涼佑が間に入ろうとしたその時、上方で何かが閃いたような気がして、彼は空を仰いだ。正確には仰ごうと目線を上げかけた。

 その瞬間、目の前の男は縦に真っ二つに両断された。男の輪郭が歪み、一瞬にして人の形を失ったと、数秒経て理解した一同は驚きと恐怖に悲鳴を上げた。しかし、血は一滴も出ず、男の形をしていたものはばしゃんっと黄土色の液体となって地面に広がった。その向こうに立っていたのは、今まさに男を両断したらしい刀を持った一人の少女だった。長い黒髪を幾枚ものお札で一つに結い上げた巫女装束を纏った少女だった。男を両断したままの恰好で持っていた刀を一度振り、刀身に付いた液体を払うその仕草と冷酷に見える無表情は、涼佑達の背筋をまた凍らせるには充分だった。何がどうなっているのか、まるで分からない涼佑達はただただ目の前で起こっている出来事に怯えていることしかできない。ただ一つだけ分かることは、目の前にいる少女が人殺しかもしれないということだけだ。


「う……うわぁあああああっ!!」


 今にも押し潰されそうな不安と恐怖に耐えかねた直樹が絶叫しながら走り出す。彼の恐怖につられて真奈美達も悲鳴を上げつつも、彼の後に続こうと走り出した。しかし、彼らが鳥居を潜ろうとした瞬間、出し抜けに先頭を走っていた直樹は誰かにぶつかって尻餅をついた。それでもパニック状態の彼は無理矢理立ち上がって尚も突進する勢いのまま、走り出そうとした。

 しかし、それは彼の首根っこを掴んだ大男の手により、叶わなかった。


「主人、あまり人間を怖がらせるなといつも言っているだろう」


 たすき掛けをした黒い作務衣に身を包み、虎柄の布をストールのように左肩から斜め掛けしているその大男の額には象牙のように滑らかな二本の角が生えていた。黒く、重たい前髪で片目が隠れているせいで威圧感がある。しかし、その金色の目が、彼が人間ではないのだと直感させた。一瞬、コスプレイヤーか仮装かとも思った涼佑だが、それにしてはあまりにもリアル過ぎる。

 巫女装束の少女に近付くついでと言わんばかりに、大男はぽいっと直樹を再び社殿の方へ放り投げるようにして解放する。突然の大男の登場に、呆気に取られていた真奈美達もいくらか冷静さを取り戻して戻って来た。


「いてっ……」

「だ、大丈夫か? 直樹」

「もぉ……何なんだよぉ……」

「『何なんだ』はこっちの台詞なんだがな」


 直樹の弱音にそれまで大男と二、三言話していた巫女少女が今度は涼佑達に近付いて来た。抜いていた刀をいつの間にか腰に提げている鞘に戻した彼女は、非常に困ったと言うように後頭部を掻きながら溜息交じりに言った。


「なんでここに人間がいるんだ? しかも、五人も」


 その口振りと今まで目の当たりにしたことから、涼佑達がここにいるのはおかしいことなのだと、彼らは確信してしまった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?