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神隠し 第5話

「ど、ど、どういうことっ!?」


 巫女少女の言葉に、また少しパニックになりつつある直樹は素っ頓狂な声を上げた。未だ状況が上手く飲み込めていない彼らの様子を見て、何事か考え込んでいたかと思うと、直樹に落ち着くように言い、「取り敢えず、上がってけ」とだけ言って社殿の方へ踵を返そうとした。しかし、先ほど起こったことの説明が欲しい直樹はばっと立ち上がり、涼佑の腕を掴みつつ、巫女少女に食ってかかる。


「そ、その前にちゃんと説明しろよっ! ここがどこかとか、さっきのは何なのかとか!」


 直樹のもっともな主張に巫女少女はこちらへ振り返ろうとしたが、それより早く彼女の背後に黄土色の液体が迫った。涼佑達には目もくれないそれは少女の体を拘束しようと彼女の周囲へ広がろうとしている。


「邪魔をするなっ! 化け物めぇっ!!」

「あっ、危ない……!」


 先程の男の声で少女へ迫る液体の存在に真奈美が声を上げるが、少女はやけにゆったりとした動きでこちらへ振り返る。


「そうさな、それも説明してやらにゃいかん。が、その前に童子」

「は……」


 いつの間にか少女と液体の間に割り入っていた大男が懐から取り出したヒョウタンに口をつけ、水のようなものを含んだかと思うと、液体へ向かって思い切り吐きつけた。吐き出された透明な液体は見る間に黄土色の液体を残さず包み込み、ぎゅうぎゅうと圧縮されていく。液体全体が小さくなるにつれてどこか遠くの方で男の悲鳴のようなものが聞こえたような気がしたが、涼佑達は聞こえない振りをして見守っていた。やがて、圧縮されきった液体は琥珀色のころんとしたビー玉のような玉となり、大男はそれを巫女少女に恭しく捧げ持つ。


「やはり、私がいない間にこいつらを食いに来た奴か」

「は。多分に『油取り』でしょう」

「雑魚だが、多少は私の力になるし。まぁ、摂っとこうか」


 巫女少女は大男の手から玉をひょいと取り上げると、何のためらいも無く、ぱくりとその小さな口の中に収めた。


「え」


 少女の口の中でがり、ぼり、と飴か何かを砕くような音がする。味を確かめるようにひとしきりそれが終わると、ごくんと飲み込んで彼女は吐き捨てるように言う。


「清酒で薄まっているとはいえ、油っぽくて不味いな」

「おそらくは動物の脂肪で飢えを凌んでいたのでしょうな」


 何でもないように会話を続ける巫女少女と大男。彼女が咀嚼しているそれが、先程まで彼女を襲おうとした正体不明の液体であり、自分達と親しげに話していたおじさんなのだとようやく理解すると、涼佑達はゆっくりと、みんな仲良くその場に卒倒した。




 はっと気が付いた涼佑の目には、ほんの少しだけ開いている障子の隙間から相も変わらず差し込む夕暮れの光と見覚えのない和室の天井があった。まだ目覚めたばかりの少し寝ぼけた頭で涼佑は考えてみた。


「えっと……八野坂神社に来て、変なおじさんに会って、それで――」


 そこまで振り返った時、不意にあの巫女少女と大男のことを思い出した。今度こそ目が覚めた涼佑は弾かれたように寝かされていた布団から飛び起きる。その時、無意識に床へ付いたはずの左手に、何か柔らかいものを触ったような感触がした。そちらへ目を向けると、そこには呑気に口を半開きにして寝ている直樹の顔があった。危うく口端から垂れている涎に触れそうになって、慌てて涼佑は手を退かす。その衝撃で直樹も起きたようで、「んぇっ……?」と間抜けな声を出して目を開けた。のそのそと起き上がった彼は眠そうに目蓋を擦る。


「あれ? りょうすけ? …………どこだぁ? ここ」

「多分、神社の中じゃないか? 和室で布団に寝てるし……」

「そうだ。おれら、確か祭りの途中で休憩しようってことになって……そいで……」

「あの巫女っぽい子とデカい男に会ったよな? ――夢じゃない、ってことなのかな」


 涼佑の言葉で直樹も意識がはっきりしてきたようで、焦ったようにざばっと立ち上がって叫んだ。


「そ、そうだ! あの変な二人組! あいつらは!? 真奈美達はっ!?」

「隣にいるぞ」


 直樹の最後の質問に答えたのは、障子を開け放って入って来た巫女少女だった。渦中の人物が突然入って来たことに、驚きと幾ばくかの恐怖で直樹は涼佑に縋り付く。少女の傍にはあの大男も控えている。少女はそんな直樹を意に介した様子も無く、「起きたんなら、ちょっとこっち来い」と手招きした。一瞬、従おうかどうしようかと二人して互いの顔を見合わせるが、この状況を理解するにも今は従おうと、涼佑に引っ張られて直樹も少女達と共に部屋を出た。

 大人しく付いてきた二人に特に何を言うでもなく、少女はそのまま大男を伴って廊下を進んで行った。一度、玄関から外へ出て隣の建物へ迷い無く歩を進めていく少女の後ろ姿を見ながら、直樹はずっと不安そうに涼佑の浴衣の裾を掴んでいた。――寝ている間に着替えさせられたのだろう――木製の引き戸を開けると、そこはつるつるとした木製の床が貼ってあり、壁には誰が持つのか甚だ疑問に感じる程大きな槍が飾ってあったり、木刀が何本か入っている傘立てならぬ木刀立てが置かれていたりと、まるで道場のようだった。その真ん中に真奈美達が縮こまるようにして座っている。彼女達の姿を認めると、真っ先に直樹は真奈美に駆け寄った。真奈美達は祭りの時に着ていた華やかな浴衣ではなく、涼佑達と同じような無地の浴衣に髪を下ろしている。


「真奈美! 大丈夫か?」

「あ、直樹くん」

「あたしらの心配は?」

「お前らは見るからに大丈夫そうだろ」


 直樹の余計な一言にまた絢がかっとなりかけた時、巫女少女が動いた。彼らの前に立つと威圧するでもなく、「少しいいか?」と努めて優しく言ったように涼佑には思えたが、直樹は違ったのか「ひっ……」と怯えた声を上げる。その反応にどうしたものかと言いたげに後頭部を掻く巫女少女は、涼佑にこっちへ来るよう手招きする。素直に従った彼が合流したところで、巫女少女はその場に胡座をかき、大男はその少し後ろに控えた。その様はまるで殿様や長という偉い人達を想起させ、涼佑達も何となく居ずまいを正す。


「さて、どこから説明したもんか……。うん。取り敢えず、今いる場所についてからにしようか」


 その一言を皮切りに巫女少女の口からは到底信じられない話が飛び出してきた。

 彼女曰く、涼佑達が迷い込んだこの世界は、彼らの住む世界とは表裏一体の関係にある世界なのだという。ここには時間という概念が無く、いつも黄昏時であり、時間は進みもしなければ戻りもしない。完全に時間が停まっている特殊な世界。巫女は勝手に『裏八野坂町』と呼んでいるらしい。そんな世界にどうしてか、涼佑達が足を踏み入れてしまったのは、今日が祭りの日だったことが原因なのだそうだ。


「祭りの日……って、何か関係あるのか?」


 未だよく分かっていない様子の直樹の質問に巫女は丁寧に答える。


「お前達もいくらか知っていると思うが、神は祭りを好む。そういう日には『神隠し』が起こりやすいんだ。さっきの妖怪も『油取り』っていう『隠し神』の一種だしな」

「よ、妖怪!? ……え、さっきのって……さっきのおじさんっ!?」


 どう考えてもそうだろうという顔をする巫女や絢に、直樹は益々頭を抱えてしまった。涼佑や真奈美、友香里も目の前の少女の話についていくのがやっとの状態で、未だ自分達がどのような状況に置かれているのかはよく分かっていない。


「お前達がここに現れた時、鈴が鳴って油取りがいたから、てっきりあいつに攫われて来たのかとも思ったが、そうでもないようだし、お前達がどうしてここに迷い込んだのかは私にも分からん。ただ、私としては正直、助かる状況ではある」

「助かる?」


 何やら事情がありそうな巫女の言葉に、涼佑は彼女が言った単語をおうむ返しにする。話を聞いてくれると思ったのか、巫女は嬉しそうに口角を上げてうんうん頷くと、口を開いた。


「ここ最近になって、妙な妖怪や霊が多くなってきていてな。お前達にはその原因を一緒に調査してもらいた……ああ、心配するな。大抵の霊や妖怪は私が相手する。別にお前達が戦う必要は無いぞ」


『調査』と聞いて、またさっきのような目に遭うのかと不安げな顔をする一同に、巫女は安心させるように微笑む。しかし、みんなある疑問を口にせずにはいられなかった。


「で、でも、お祭りの日に迷い込んだんなら、まだ帰れる可能性はあるんじゃ――」

「ああ、そのことだがなぁ……」


 絢が口にした希望を、巫女は困ったような笑みを浮かべて打ち砕いた。


「もう祭りは終わった。今日は普通の平日なんだ。だから、お前達を帰すことはできない」

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