言葉が出てこなかった。みんな一様に青褪めた顔をして、誰しもが黙りこくっていた。家に帰れない。その事実だけが重くのしかかる。誰もが希望を失って放心する中、真っ先にそこから這い上がったのは直樹だった。
「なんだよ、それ……」
「すまんな。私にも原因が分からない以上、お前達を帰す方法もまるで見当がつかん」
「私は境を守るが、生憎と行き来する方法を知っている訳じゃない」と言ってのける巫女に、直樹は項垂れたままずんずんと近づいた。誰も彼を止める気配は無い。否、帰れないという事実が身の内に響いている状態では周囲の様子に気付くはずも無かった。そのまま直樹は巫女の前まで来ると、彼女の胸倉をぐい、と掴む。空いている方の手で拳を作り、振りかざそうとすると、彼女の背後に控えていた大男が立ち上がりかけたが、それを制したのは巫女本人だった。
「殴るか? 好きにすればいいが、私を心行くまで殴ったとしても状況は何も変わらんぞ」
ふーっ、ふーっ、と怒りのまま荒く息をする直樹は、涼しい顔をしている巫女をぎっと睨んでいる。しかし、元来殴り合いの喧嘩などしたことの無い彼は、拳を打ち付けることは無かった。代わりに膝をつき、とうとう泣き始める。
「なんで……ふっ……ぅぅ…………なんでだよぉ……っ!」
ぐすぐすと嗚咽を漏らす直樹の背を巫女は優しく摩ってやりながら、言葉を掛けた。
「本当にすまないと思っている。私が招いたのなら、私が帰してやれるんだが、最悪なことにそうじゃない。原因が分からないまま帰そうとすると、どうなるか私でも分からないんだ」
その口調と表情から、巫女が心底涼佑達を哀れに思って言っているのだと分かると、それまで自分が彼らを守ろうという気持ちだけで、何とか耐えられていた涼佑の目にもじわりと涙が浮かぶ。絢と友香里は既にぼろぼろ涙をこぼしており、真奈美の目にも涙が滲んでいる。
突然、知らない世界に放り出されてしまった恐怖と先行きへの不安で泣き出してしまった子供達にどう言葉を掛けたら良いものか、巫女も大男も考えあぐねているようだった。そうして、ひとしきり涙を流して、ようやく落ち着いた頃には、彼らの頭も否が応でも情報を整理し始める。
そうして何とか飲み込むと、みんな巫女の話の続きを聞こうと涙を拭って少々疲れた顔をした。
「続き、話していいか?」
「……うん。大丈夫」
「この世界から現世へ戻るには、お前達がここに来ることになった原因を探らなければならない訳だが、生憎と私も忙しい身の上でな。近年になって、ここにやたら霊や妖怪も迷い込むようになってきた。別にそれだけなら大したことも無いんだが、迷い込んで来る奴らってのは、何か妙な気配を纏っている奴が多い。いつもは比較的大人しいモノでも、ここに来ると好戦的になって私やお前達のような弱い者を襲い出す。私の仕事は元々生きている人間をここに迷い込ませないよう、現世との境界を守ることなんだが、今回のような特例中の特例は昨日が初めてだ。ここは本来、生者がおいそれと来れる場所じゃないんだよ」
「隠し神に連れて来られた場合はまた違うがな」と言い添える巫女に、いくらか冷静になった頭で絢がすっと手を挙げた。巫女に指された彼女はみんなが疑問に思っていることをぶつける。
「あんたの言う、この世界ってどういうところなの? 幽霊や妖怪が普通にそこら辺にうようよしてる世界ってこと……?」
絢の質問に巫女は少し考えて「いや」と否定する。そして、何気なく彼女は背後の大男を指し示した。
「元はここにいる童子が宴会用に造った世界だ。だから、元来はどこにも属していないし、どこにも繋がってはいなかった」
巫女に示されて照れたような気まずいような表情で後頭部を掻く大男に、みんなまたもや驚愕の声を上げる。その反応に、童子と呼ばれた大男はなるべく気配を消すように目をそらした。
「おれら、そんな理由で家に帰れないのぉっ!?」
「言っておくが、お前らが帰れないのは童子が悪い訳じゃないぞ!? こいつはあくまでも現世の八野坂町を元にしてこの世界を造っただけだからなっ!?」
いまいち話を聞いていない様子の直樹に、思わず巫女は童子を擁護する為に声を荒げる。それが功を奏したようで、高まった直樹の怒りは再び鎮火させられた。未だ気まずそうな顔をしている童子には触れず、気を取り直して巫女は続ける。
「それがどういう訳か、ある時からちらほらと童子が招いたモノ以外のモノが流れ着くようにして迷い込むようになった。こっちも一体何が原因なんだか、一切が分からなくてな。そこで幽霊にして巫女である私がこうして来た訳だが、未だに何も解明されていない状態だ。お陰でこんなところにも神社を置くことになった」
「この神社って……」
「たまにあるんだ。現世から私の神社に辿り着いてしまう人間がな。ここは数ある私の拠点の一つであり、住居である謂わば、一種の結界のようなものだ。私はこの神社がある場所なら、どこでも自由に出入り・行き来できる。表の八野坂神社もその一つだな」
「え? じゃあ、この神社から表の八野坂神社に戻るってことはできないの?」
友香里の質問に巫女は難色を示す。その表情は答えられないというよりは、言っていいものかと迷っているように見える。非常に言いにくそうだが、確かに巫女はこう言った。
「まぁ、そうだな。戻れないことも無い」
その言葉に涼佑達は色めき立つ。しかし、ならどうして巫女が難しい顔をしているのか分からず、涼佑が質問を重ねた。
「戻れないことも無い、っていうのは……?」
涼佑の質問に片手で額を押さえていた巫女は「あー……うん」とだけ言って、やがて意を決したように言葉を紡いだ。
「戻れないことは無い。それは確かだ。だけどな、この神社を通して表の八野坂町へ戻れるのは『魂だけ』なんだよ。ほら、私は幽霊だから元々お前達のような肉体は持っていない。だから、表の八野坂町に出る時は社殿の中にある鏡を通ることになる。小さな鏡だから、肉体までは通れないんだ」
「あ、だから、『魂だけ』?」
「そうだ。戻れるといっても、それは嫌だろ? 魂だけでも現世に用がある時に使う方が良い。……まぁ、できるなら、なるべくお前達は使わない方が良さそうだがな」
「なんで?」
「普通、魂が肉体を離れることはそうそう無いことだろ? 現世恋しさに社殿の鏡を使い過ぎると、本当に現世に帰った後、魂が肉体に定着しにくくなる可能性がある。最悪、魂が肉体から離れたまま、元に戻ることは無いなんてことになったら、困るどころの話じゃないだろ」
その説明を聞いて、元の世界に帰っても幽体離脱したまま元に戻れなくなる様を瞬時に想像してしまった涼佑達は、あまりの恐ろしさにぶるりと身を震わせた。こんな話を聞いてしまっては、誰も社殿の鏡を使おうなどと安易に思わないだろう。社殿の鏡は余程のことが無い限り使わない。涼佑達は言葉にしなくとも、互いに顔を見合わせてそう決意した。話が一段落したところで、巫女は人差し指をぴっと立てる。
「そこでだ。この町を私と一緒に調べてもらいたい。この町は広くて、私一人じゃ調査しきれなくてな。それにこの町を調べていけば、お前達が現世へ帰る方法も分かるかもしれないし、私は人手が欲しかったから大いに助かるんだが、どうだ? 悪い話じゃないだろ?」
巫女の話を聞いて、涼佑達はどうしようと言いたげに目だけで会話するが、彼女に提示された案より良い考えは浮かばない。何より、彼らはこの町に来たばかりで、右も左も分からないのだ。ここは巫女の案に乗るしかないと互いに頷いて、代表として涼佑が了承の返事をした。