俺は墓石に座っていた。
ここは落ち着く。
何故、どうやってここに来たのかは、覚えていない。
何かをしに来たような気がするが…
わかっていることは、月が美しい。
白い月の光と、星々の輝きを吸い取り、淡くやわらかい黒い光が降り注いでいる。
ここで、こうして黒い月の光を全身に浴びていると、心地よくて闇に溶けていくようだ。
墓地をうろうろしているゾンビたちは、何をしているのかわからない。
目的があるわけではないようだ。無秩序に墓地内をさまよっているように見える。
しかし、たまに俺の前に来ると、優しく俺の胸を触れていく。
ゾンビのその行動で気が付いたのだが、俺の胸の中、肋骨の内側には黒いモヤがある。
ガスのような気体に見えるが、水蒸気の集まった雲のようにもみえる。
ゆっくりと、形を変えるモヤは、俺の意志では動かない。
あばら骨に手を突っ込んでも触れられず、吹く風の影響も受けていないようだ。
まあ、それもどうでもいいことだ。
今夜は丸い、あの黒い月を眺めていよう。
ここは俺の、黒い安息地だ…
陽光の下、草原には冷たい強い風が吹き抜ける。
二人の兵士は、村人から「墓地にゾンビが四体いる」と報告を受けていた。
たまにある「辺境の村」の事件だった。
五日に一度程度、村の巡回にくる兵士。家族思いの「ムサ」と読書家の「ホルヘ」は長年コンビを組む巡回組の兵士だった。
本体に報告へ戻るのも面倒だし、長年の経験から「数体のゾンビくらいなら」と墓地に向かった。彼らにとっては「その程度」の仕事だった。
墓地は簡素な物だった。
村から三十分程度で到着する、草原を抜けた丘の上にある。柵もない。
雑草も伸び、風にさらされ荒れた墓地。慰霊の為の中央の彫像は、誰かを模しているようだが、風雨に削られてその顔は判別できない。
二人はピクニックにでも出かけるように、雑談をしながら墓地に向かっていた。
「ホルヘ、次の休みは何か予定はあるのか?」
「街へ出て図書館へ行くか、家で本を読むか…まあ、特にはない、だ。何かあるのか?」
「ああ、妻が『りんごをたくさん貰ったからアップルパイを作る。良かったらホルヘさんを誘って』って言っててな。どうだ?」
「ああ、じゃあ招待されようかな。手土産はワインよりも紅茶がいいか?」
そうして墓地についた。
「なんだ?ゾンビ四体だけじゃないのか?」
「スケルトン一体くらい、二人でなんとかなるだろ。やるぞ、ムサ!」
俺は燃え盛る目でやつらを見つめ、拳を握りしめる
なんだあいつらは?
墓地の外れで、ひとりのゾンビを剣で切り裂いている奴ら。
月の見えない時を見計らって、「俺の墓地」に入るのか?
いいだろう。
赤い景色をもたらすお前たちを、俺は絶対に許さん。
墓石から立ち上がり、剣を持った人間に向かい歩き出す。
三人のゾンビは、ぎこちない動きでついてきていた。
お前たちもあいつらが憎いのだな。
わかるぞ…その怒り、その苦しみ…
俺に任せておけ。
ムサは目の上で手のひさしを作り、目を細める。
「四体いっぺんはきついな。どうする?」
「一旦距離を取ろう。あいつらは足が遅い。ばらけた所をやろう」
そう言って剣を腰の鞘に収め、丘を走りながら下る。
振り返る。やつらはついてきていることを確認する。
まだ、固まっている。また前を向き走る。
「中々ばらけないな、村に向かうのは不味くないか?」
「そうだな、あの分岐を村ではないほうに曲がろう」
彼らは間違っていない。
相手が「知能」のない、アンデッドならば。
赤い二人を追う。
俺ならば走れば追いつくだろう。
しかし、ゾンビと速度を合わせ様子を見る。
二人は道を曲がる。
俺は両手を地に付き、四本足で草原を駆け抜け先回りをする。
地を這う蜘蛛のように、すばやく動く。
赤い視界の俺から、逃げられると思うなよ。
茂みに隠れ、手を伸ばし一人の足首を掴む。
転んだ奴を背の高い草むらに引き込む。
俺はがむしゃらに骨の拳で殴りつけ、頭突きをし、剥き出しの歯で噛みつき、骨の指先でひっかいた。
抵抗がなくなると、俺はこいつの腰の剣を抜き、首を切りつけた。
「わっ」
ホルヘの後ろを走っていたムサの声。
走るのをやめ振り返る。
草むらに引きずられている姿が僅かに見えた。
草の高さと密度で、その先は見えない。
草むらに引き込まれたムサの声が途切れる。
ホルヘが叫び、草むらに踏み込もうとする。しかし、ゾンビが彼の背後から迫っている——もう時間がない。
「くそっ!まずはゾンビか」
ホルヘは腰の剣を抜く。「ゾンビ三体ならやれる」そう決意して。
「剣ならば、素手のゾンビよりもリーチがあるし、手足を切り飛ばせばそれほどの脅威ではない」
そう自身に言い聞かせ、剣を構えてゾンビを待つ。
先頭に迫るゾンビの、頭を目掛けて上段から剣をブンと振り下ろす。
「よし、まず一体」
そう思った直後、ホルヘは足に衝撃を受けバランスを崩す。
転倒は免れたが、空振りをした剣でゾンビのダメージは無い。
ゾンビの伸ばした手が、剣を握るホルヘの手を掴む。
口を開け、噛みつこうとするゾンビを腕の力で押し、払いのける。
そのすぐ背後には別の二体のゾンビ。
ホルヘは「一旦立て直そう」と振り返る。
走り出そうとした足が、止まる。
血の付いた剣を、大きく振り上げたスケルトンが、その剣を振り下ろす瞬間だった。
「くちゃくちゃ」とゾンビたちは死体を食べている。
彼らは血に濡れた歯を剥き出しにし、無言で死肉をむさぼっていた。
その姿を見て、俺は『彼らは満足している』と理解できた。
しかし、剣は使えないな。
さっき、足を切り飛ばしてやろうと、横に振ったが、剣の「はら」で叩いただけであった。
その後も、頭を切ったつもりが、斜めに切り込んだ剣は滑るように肩にあたった。
すぐにゾンビたちがとりついてくれたからよかったが。
これは俺には向かない。
だが、俺は「俺の墓地」を守れてすがすがしい。
…
・・・
なんと言った?
「俺の墓地」ってなんだ?
最近、意識を維持するのが困難になってきたようだ。
しかし、生者を殺せたのはよかった。
こうして俺は意識を取り戻せている。
いや、意識はずっとあったはずだ。
おかしい