少しだけ森の開けた斜面に出た。
黒い月明かりの下、煙はまだ上がっている。
近い
生者を認知し、俺の視界は赤い。
だが
赤い生者が減っている。
走り向かう途中で、複数の赤が消えていた。
怒号と悲鳴が聞こえた。
それと咆哮。
気配を消す。
獣や魔物相手ならば、もう気付いているか。
しかし、人間もいる。
生者は殺す。
一人も一匹も逃す気はない。
木の影から様子を見る。
少しだけ開けた場所のようだ。
いや、違う。
木を切って森を切り開いているのか、切り株がある。
戦っているのは、人間と獣人のようだ。
犬のような見た目の、おそらくコボルトだろう。
倒れた一匹を含め、コボルトは三匹。
手にはお手製だろう、荒削りの血の滴った棍棒。
対峙している人間は、立っているのは五人、倒れているのは七、八人か。
皆、おそらく木を切るための斧を握っているが、一人だけは長剣と丸盾を装備している。あまり強くは無さそうだが、こんな時の為の戦士か。
この程度の相手に隠れる必要などはないが、どうするか。
コボルトを逃がせば、逃げ足は人間よりも早いだろう。
ならば
コボルトの背後に回るように、足音を殺し、静かに移動する。
そうしている間にも、人間の一人がこん棒で倒された。
だが、一人だけの剣士は、コボルトの足を負傷させたようだ。
よし、あの元気な一匹を狙おう。
俺は背後から、地面に手をつき、四足獣の動きで一気に詰め寄り、足首を掴む。
「がああ」と短い悲鳴を上げて転倒したコボルトの首元に、近くにいた剣士の剣が刺さった。いい反応だな。では次はお前だ。
もう一匹のコボルトが剣士にこん棒を振るうが、盾に防がれた。
他の人間は、俺の突然の乱入で固まっている。
鎧を着ていない剣士が、俺に対しては隙だらけだ。
立ち上がった俺は、両足を開き、盾を構えてコボルトと対峙いているヤツの股間を蹴り上げた。
悶絶して苦痛にあえぐかと思ったが、失神してしまったか。
残りはコボルト一匹と、人間が三人。
倒れたコボルトのこん棒が足元に転がっていた。
俺はそれを拾い、人間たちを襲う。
戦いなど、したことがないような人間は手ごたえがなかった。
ただ、力任せに振るうこん棒は、二人目の人間の頭を砕いた時点で、こん棒も砕けてしまった。
最後の人間は、両手で斧を持ち震えている。
コボルトは逃げようとしているのか、俺の隙を伺っているようだ。
ガウガウと荒い息使いながら、ちらちらと背後と俺を見比べている。
「そうだ」
俺は、思った事が言葉として出てしまったようだ。
ギドの情報を、こいつらから得られるかもしれない。
俺の言葉に一匹のコボルトと一人の人間はビクリと肩を震わせた。
その隙をつき、コボルトにタックルをする。
太ももあたりを抱き抱え、転倒させて落ちていた斧で足を狙い叩く。
五度、六度叩いたか、膝か周囲の骨を砕いた感覚に満足する。
しかし、斧は使いにくいな。刃も鈍く、固いコボルトの足は斬れない。
片手に持ったこん棒で数度叩かれたが、寝た体制の手の力だけで振るわれるこん棒は避ける必要はなかった。
人間に向き直る。
まだ震えている。
その姿に怒りがこみ上げてきた。
ワナワナと震える自身の体を抑え、ゆっくりと人間に近づく。
「うわあああ」と叫び、斧を振り上げた。
遅いな。
振り上げ切る前に、俺は正面から腹を蹴る。
人間は仰向けに倒れた。
倒れた人間に近づき、腹を強く踏みつけた。
二度、踏みつけた時に人間は悲鳴の代わりに嘔吐した。
いかん、まだ殺してはダメだ。
俺は嘔吐している人間の足首を、転がっている斧で切断した。
しっかりと片手で足首を押さえて、四度振り上げた斧を叩きつける事でやっと切断できた。
人間は動かないが、まだ死んでいない。
一旦、人間は放置して、コボルトの元へ向かう。
奴は手だけで逃げようと森に入っていた。
その姿に、俺は怒り、かみしめた歯がギリリと軋む。
俺はうつ伏せのコボルトに追いつくと、その背を数度踏みつけてから、足先で仰向けにした。
馬乗りになり、数度顔を殴りつける。
「そんなに、生きたいか」
こいつらが、人語を理解できるのか、わからなかった。
しかし、そんな言葉がつい出てしまっていた。
濁ったような鳴き声で「げふっ」と言う答え。
「話しはできないか。ならば死ね」
俺の振り上げた拳を怯えた目で見上げるコボルトは、擦れた声で言う。
「が、ま、待て」
「正直に答えろ。死にたくなければな」
無言で頷くコボルトの目から、一筋の涙が流れた。
その姿に、湧き上がる衝動に身を震わせ骨がなる。だが必死に自分を抑え込んだ。
「お前達は何をしていた?」
俺は馬乗りのまま、コボルトに問いかける。
「こ、ここ。ご、縄張り、俺たち」
たどたどしいが、会話ができる。しかし、言葉を選ぶ必要があるな。
「そうか、では次だ。他にもこの辺りに人間はいるか?」
コボルトは俺から目線を逸らし、何か考えているようだ。
理解できない言葉を使ってしまったか。
「町、人間、町。向こう。海。たくさん。人間」
どこかを指を差しながら、怯えて必死に答えるが、コイツから得られる情報は限界があるな。
俺はコボルトの上から退く。
「わかった。もういいぞ」
殺したかったが、奴は正直に答えた。
勇者と聖女に殺意を向け、気持ちを紛らわす。
四つん這いで森に入っていくコボルトの背を見送る。
そして倒れている人間に向かう。
人間は意識を取り戻しているようで、足首から先を失った足を抱え、呻いていた。
「おい」
俺は頭の方に周り、顔を踏みつけながら声を掛ける。
「ひいいい」
掠れた悲鳴を上げる人間。
このまま、頭を砕こうとする足を手で押さえる。
「答えろ。お前達は何をしていた」
顔を踏まれたままの人間は「わー」とか「きゃー」「ぎゃー」しか答えない。
「ダメか」
俺は頭を踏み砕いた。
赤い視界は色彩を取り戻す。
俺は何故か、その景色に強い安堵感を覚えていた。
「人間たちの死体は、森の肥しになるだろう。しかし、これからどうするか。ギドの情報は得られなかったな」
周囲を見渡す。
切り開かれた森はここだけではないようだ。
所々、木々が伐採されているのか、視界が通るような感覚があるな。
向こうには数件の家があるな。言ってみるか。
視線
感じるぞ
背後
俺は振り返り、その方向を指さした。
伐採された広場と森の境。その中の一本の木だ。
木の魔物か。
「いいだろう。かかってこい」
俺はゆっくりと木に向かい歩き出す。
彼我の距離は八メートル、五メートル、三メートル。
構える。
「待ちなさい」
木が喋った。口など無い。
「隠れてないで出てこい」
喋った木を殴る。固い木だが、薄っすらと亀裂が走る。
こいつで、この木で間違いない。
しかし、その気配は消え、隣の木から声が聞こえる。
「やめなさい」
生者に対するような怒りは湧かない。
しかし、一瞬だけイラっとしたような感覚がある。
「出てこい。全ての木を倒す前に」
木の陰から、緑の葉と木の皮で出来たような人影があらわれた。
そんな気配は全くなかった。こいつ、強い。
上半身は人間、いや、エルフの女をかたどった造形のようだが、下半身は木だ。
「あなたと敵対する気はありません。静まりなさい」
「俺は冷静だ。お前はエルフの魔術か?本体はどこだ」
尖った長い耳を睨み、答えた。
しかし、そいつは両手をゆっくりと上げるようなしぐさをする。
「再度言います。戦う気はありません。お礼を言いたいのです」
「なんだと?お前はなんだ?」
「私はこの森の精。人間達に荒らされ困っていたのです」
俺は返事をしない。
おそらく、こいつは俺よりも強い。
油断するな、警戒しろ、周囲を十分に…
「身構えないでください。私は生物を攻撃できません。それで困っていたのですが」
コイツの話しでは、数年か数十年前から、人間が森を伐採していたようだ。
以前はそこまで派手にやっていなかったようだが、最近は一気に森を切り開いている。
「エルフのように、森と共に生きる者も木を切る事はあります。かつてはこの辺りにもエルフが居たのですが人間の侵攻により、森の奥に潜んでしまい、手を借りることもできずに」
「お前、森の精と言ったか。ドライアドと呼ばれるものか」
俺の問いに、そいつは頷く。
「そう呼ばれる事もあります。私は森と生き物の調和が目的です。あなたは無生物ですが、森を救ってくれました。しかし、まだ森を荒すものがいます。手を貸してもらえますか?」
ドライアドの話しを要約すると、里山などのように、適度に人間が森に入り、その恵みを享受することは歓迎するが、過度の伐採が気に入らないようだ。
「確約はできないが、要は木を伐りまくっているヤツラを討てばいいのだな?場所はわかるのか」
「はい。やってくれるのですね?」
「先に教えてくれ。この辺りに人は…伐採するものではなく、魔法使いだ。そんな人物はいないか?」
海岸線を行けば、港町があり、そこに数人の魔法使いはいるようだ。
しかし、それは違うだろう。ギドではない。
そして、それ以外は知らないようだ。
「そうか、では生者の、森を荒す者のところへ行こう」
「ありがとうございます。では、行きましょう」
ドライアドは、木で出来た体を軋ませながら俺に頭を下げた。
このスケルトンの体になって、人を殺して感謝されるとは…な