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海へ

 太陽に照りつけられる。

 日差しを防ぐ物は見当たらない。

 波音はすぐ横から聞こえる。

 どうやら砂浜のようだ。


 海か


 妻と娘を連れて海水浴に来たな。

 幼い娘は怯えながらも、波打ち際に立ち、寄せては返す白波を不思議そうに見つめて…


 他にも船に乗って漁に出たな。

 浜辺から帆掛船を弟と一緒に押して海原へと進む。

 日に焼けた弟は、いつも難しい顔で海面を睨んでいたな…


 それと、あの人は海を見に行こうと誘ってくれた。

 私たちはそんな事しなくても、もう決められた婚約者だったのに、彼は馬車を出して丘の上から砂浜を見下ろして…



 なんだ、この記憶は


 しかし


 カールが消えた時に、奴は最後に

「すまない」

 との思いが伝わってきた。

 その時、何かが俺の中に流れこんてきた感覚があった。

 それから、俺は喋れる、発声できるようになった。

 そして、意識や記憶がだんだんとはっきりとしてきた。

 明らかに、以前よりも、くっきりと。

 雲が晴れるように、パッと視界が開けたように。


 俺は日本人だ。

 だった、か。

 妻がいて、娘がいた。



 そして

 俺は

 あの時



 白波が足に当たる。

 潮が満ちてきたようだ。

 かなりの時間、砂浜で立ったまま思考に囚われていたようだ。

 混濁した記憶は、今はいい。


 それよりも


 俺は

 決して

 勇者と聖女は許さん


 全身が燃え上がるような感覚が走る。

 お前は、お前たちは、必ずこの手で…


 生者がいないはずの砂浜で、俺の視界に映る世界は、燃え盛るように赤く染まった。





 しかし、ルーの奴は俺を何処に飛ばしたのだ。

 この近くにギドがいるのか?

 周囲はかなり広大な砂浜だ。

 海を見れば遠くにポツポツと島影が見てとれた。

 陸側の砂浜の先は、草原と森か。


 離島か


 森か


 生者の気配は小さい。

 魚や虫か小動物程度だ。

 小さな赤い生命は無数にあるが、どちらに向かえばいいのか。

 もう、相談できるエッジはいない。

 奴は最後の瞬間に、俺を突き飛ばし

 逃げろ

 と言い、お前は残れと意思が伝わってきた。

 アンデッドなのに、知能を持ち、仲間意識があるなど、以前の俺なら気にしなかっただろう。

 今でも、心はすぐに凪ぐ。

 しかし、記憶ははっきりとある。


 どこに向かうか、ルーならば無意味な転送などはしないはずだ。

 どこかにヒントがあるはずだ。

 周囲をよく見回す。


 あれか


 砂浜の先の森から、微かに煙が上がっている。

 行こう。



 煙を目指し、砂浜から草原を抜け森に入る。

 全く人の手が入っていないのか、森の移動は進まない。

 海が近いからか、低木が多く、密度が高い。

 下草も多く、草を踏むと地に足がつかない。

 低木をくぐり抜け、雑草を掻き分けて、巨木の立ち並ぶ本格的な森に入った時には、夜空になっていた。

 木々の葉が多く、空は見渡せないが、黒い月も白い月も隙間から見えた。

 カールが「黒い月は生者には見えん」と、言っていたが、俺に月の記憶はなかった。

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