いよいよ今日という日が来てしまった。耕造の会社の創立記念パーティである。日向は服装を整えながらゆっくり深呼吸した。一部の役員の家族や取引先も来るとのことで、豪華絢爛なパーティのようだが、全く気が乗らない。
「今日を……乗り越えられますように。あの人を怒らせずに、よほど失敗しないようにすれば多分、大丈夫……」
家族4人で出かけるなんて数えるほどしかなかった。菜穂は美味しいものが食べられると聞いて嬉しそうだ。菜穂でも見ておこう、と日向は考えた。それで少しでも気が紛れるのであれば。
会場には人が多く来ておりそれぞれが歓談していたが、耕造を見ると皆が頭を下げていた。
やっぱり社長ってすごいんだ……どうして僕、ここにいるんだろうと改めて思ってしまう。
「やぁ兄さん」
耕造の弟で役員の一人でもある隆史の声がした。
「今日はおめでたい日だから何も言いたくないが……あの中計は達成できそうなのか? 無理しなくていいんだよ、大した戦略がなければいつも通りで。ねぇ兄さん」
「隆史、お前が口出しする必要はない」
「口出しとは失礼な。いつも決議事項は満場一致で素晴らしいと思いますよ、誰も兄さんに対抗できない組織。そのまま理想にしがみついておけばいいさ」
「……」
こんなことを言う叔父の隆史が次期社長になってもこの会社は大丈夫なのか、少し心配になる日向であった。
「おっと……そちらは……日向くんか」
「ご、ご無沙汰しています……」
隆史の息子も側にいる。日向にとっては歳下の従兄弟となるが、自分よりしっかりしてそうだと感じる。
「日向くんは……そうか、もう来年就活か。早いな、他人の子の成長は」
しれっと他人と言われてしまったが、合っているので何も言えない。
どうしよう……人が多くて……緊張してきちゃった……
耕造が挨拶を行い、企業の歴史のムービーが流れ、そして歓談の時間となるが、日向が耕造から離れることは許されない。次から次へと取引先のトップの人間等がこちらに向かってきて、自分を紹介される。
菜穂はというと母親と一緒に美味しいご馳走を食べて満足そうだった。その母親も奥様方との挨拶で忙しそうだ。
「いやぁ、社長も懐が深いですな。シングルマザーを助けてその息子さんまで気にかけるとは。そうそう簡単にできることではない。君も運が良いな、社長のおかげで将来が約束されたのだから。だが、社長のように上手くいくかな?」
「おいおい、あまり息子にプレッシャーを与えないでやっておくれ。血の繋がりがなくとも私の大切な息子だ。私の背中を見て育っているからな」
あなたの背中を見て育った結果がこれなのですが、と日向は思った。そして徐々に身体が震えてくるのを感じた。何人もの人に社長の息子と紹介され、耕造はあり得ないような表面的な言葉を発し、まるで全てが嘘で塗り固められたもののよう。
僕は……こんなことを望んでいない……また誰かがこっちに来る……怖い……また……また……来ないで……もう来ないで……
「日向、緊張するでない。これでも飲んで落ち着け」
手に持たされたグラス。息苦しかった日向は中身を確認する余裕もなく一気に飲み干してしまった。それがお酒であることも知らず。
あれ……目の前が歪んで見える。そうかこれは、全部夢だったんだ。だって僕がこんなところに行くはずが……
最後にゆっくりと天井が見えたような気がした。
バタン
「……日向?」
「社長のご子息が……!」
「お兄ちゃん!」
「すぐに救急車を!」
※※※
日向が気づいた時には、先程と同じような白い天井が見えた。だがホテルの天井よりかなり低い……ここは……? 腕に点滴が繋がれており自分はベッドの上にいる。
「お兄ちゃん!!」
「菜穂……母さんも……」
「日向、あなた会場で倒れたのよ。急性アルコール中毒ですって。お酒……飲めなかったのね」と母親の留美が言う。
耕造が病室に入って来た。
「お前はあのような大事な時に倒れて……私に恥をかかせるなとあれほど言っただろう」
「ご、ごめんなさい……」と日向。
「それにしても、酒が飲めないようじゃこの先やっていけないぞ?」
「あなた……それはもう仕方のないことだわ。私も知らなかったし……元夫も飲めたんだけどどうしてかしら」と留美が言う。
僕は……また迷惑をかけてしまったのか。どうしてこうなるんだろう……
「電話だ」そう言って耕造が出て行く。
「菜穂、少し待ってなさい」と留美も出て行った。
「お兄ちゃん……大丈夫?」
菜穂だけが側にいてくれる。
「ああ、大丈夫だよ」
「あのね、もうすぐだと思うんだけどね……」
その時バタバタと誰かが走ってくる音がして、ドアが開いた。
「ひ……ひなっ!!!」
「れ、怜さん……?」
「大丈夫か? お前が倒れたって菜穂ちゃんから電話があったんだ」
「え? 菜穂が?」
「お兄ちゃんがいきなり倒れて怖かったの……パパもママも怒ってばかりだし、おじさんに電話しちゃった」
「位置情報まで送ってくれて、菜穂ちゃんは頼りになるな」と怜が言う。
「そうだったんだ……怜さん……!」
日向が何とか上体を起こして怜に手を伸ばす。怜はしゃがんで日向を抱いた。
「本当に焦ったよ……お前に何かあったら俺は生きていけないからな」
「僕、辛かった……あんなパーティ、生きてる心地がしなかった……怜さん……怜さん……!」
日向が泣きながら怜にしがみついている。
「お兄ちゃん……」
兄にとっての家族はこの人なのかな、と菜穂は思っていた。
「急性アルコール中毒は命にも関わるのに……怖かっただろう」と怜。
「うん……僕が、緊張し過ぎて父からグラスを渡されて間違えて飲んじゃったんだ」
「お前がお酒を飲めないことを両親は知らなかったのか……?」怜が驚く。
そこに耕造と留美が入って来た。日向が見知らぬおじさんに抱きついている。
「おい、お前何者だ」と耕造。
「あ……すみません俺は……」と怜が言いかけたが、
「お兄ちゃんのおじさんだよ!」と菜穂が言った。
「おじさんだと? 留美、どういうことだ」
「おじさん……元夫にこんな親戚いたかしら」と留美。
「おじさんったらおじさんなの! お兄ちゃんが頼りにしているおじさん!」
菜穂が珍しく両親にはっきりと主張している。
「ご挨拶が遅れて申し訳ないです。日向さんの、おじさんのような者です。怜と申します」
菜穂がそう言うのでいったんここはおじさんのような者と言ってみる怜である。
「あなたもしかして……あの人の知り合い?」と留美。元夫の知り合いか何かだと思っている。
「ああ……
「そ、そうよ……
「ええと……雅さんはうちの店に来てくれていた……かもしれませんね」
怜は日向から、亡くなった父親の名前が雅で始まる(が、小さい頃の記憶なので本名は覚えていない)ということは聞いていた。こうなれば知り合いのふりをして、日向を助けることができるかもしれないと怜は考えていた。
「あ……頭痛い」と日向が横になる。
「大丈夫か? ひな」
「怜さん……お願いここにいて……」
留美はその様子を見てハッと気づく。
「あの人も……雅也も同じように、ひなって呼んでいたわ……」