「ひな」と言って優しく寄り添う怜、怜に甘えるような顔をする日向。まるで昔の雅也と日向のよう。日向はあんな顔をするのかと留美は驚いていた。日向は疲れたのか怜につかまりながら眠ってしまった。菜穂も部屋のソファで寝ている。
留美は一呼吸置いて怜に言う。
「怜さん、あなたを見ていたら亡くなった元夫のことを思い出してしまいました……既に日向からお聞きしているかもしれませんが、私はあの子を蔑ろにしていた。母親の資格などないと思っています。どうしても、私にはあの子を受け入れることが難しいのです……」
「そうですか……日向くんとは6年前に出会ったのです。あの頃もご自宅から出てきたのかと。最近再会しまして、俺のことを慕ってくれています」
「もしかしてそちらに泊まることも……?」
「はい、ありました」
「あの子は、そちらではどのような様子で?」
「大学のことなど色々話してくださいますよ。サークルも楽しそうです。ただ……就職先はかなり悩まれていました」
「就職先?」
「はい……誰かから言われた場所ではなく、自分で就職先を決めたそうな様子でした。詳しいことは分からないのですが」
「そう……やっぱりあの会社、今の夫の会社なのですが、そこは難しいということね」
「言われなくてもうちには入れない」と耕造。先ほどから黙って留美と怜の会話を聞いていた。
「うちはアルコールも扱う。よって酒が飲めない者は……そもそもうちに入社すべきでない」
「あなた……」
もう少し早く日向と向き合ってくれれば、お酒が飲めないことを分かってくれていたら……ここまで日向が苦しまずに済んだかもしれないのに、と怜は思う。日向はこのような両親に怯えながら過ごしていたのかと思うと、胸が痛む。
「あの……もしよろしければなのですが……」と怜。今ここで言わなければ、と怜は覚悟を決めた。
「俺がおじさんとして、日向くんと暮らすのはいかがですか?」
怜がおじさんとして日向と暮らす……?
「そんな……いいのですか?」と留美。
自分でもいきなりの提案だと思ったが拒否しないのか、この母親は……と怜が思う。
「今もほら、あの子ったら怜さんにつかまって寝ているのよ……こんなにもあなたを必要としている。うちは今の夫と菜穂がいればそれでいいわ、ねぇあなたもそう思うでしょう?」
「……もううちの会社に入らないとなれば必要ない。留美、君に任せる」と耕造。
「そういうことなので……よろしくお願いします」と留美。
「いえ、こちらこそよろしくお願いします」と怜。
思いの外、あっさりOKが出た。まさかこんな形で日向をあの家から解放できるとは……この両親の愛情なんてその程度のものだったのか。でもこれで日向と怜は一緒にいることができる。
怜は日向の髪を撫でながら
「良かったな」と言った。
そして、
「もう一つだけお願いがございます」と怜。
「何ですか?」
「日向くんと菜穂ちゃんを、これからも会わせてやっていただけないでしょうか?」
「えっ……」留美が驚く。
「すみません、実は菜穂ちゃんともお会いしまして、今回も菜穂ちゃんが俺に連絡をくれたのです。とてもお兄ちゃん想いで、日向くんも菜穂ちゃんを大切に思っているのがわかりました。菜穂ちゃんが寂しく感じないように、その……定期的に2人が会える機会を作っていただけると助かります……」
「そんなことが……」
確かにあの時、「お兄ちゃんのおじさんだよ!」とはっきり私達に向かって言った菜穂。よっぽど怜を信用しているに違いない。
留美が耕造の方を見る。
「あいつが出て行くなら何でも構わない。好きにしろ」と耕造が言った。
「ありがとうございます……」
結局耕造は「シングルマザーを受け入れる懐の深い社長」というイメージが崩れ、「連れ子とはいえ、息子を急性アルコール中毒にした」「息子を蔑ろにした」「息子を自分のために利用した」などと言われる始末である。社長を解任されるまではならなくとも、次期社長は弟の隆史で間違いないといった雰囲気が漂っていた。
そんな耕造であったがやはり世間体を気にしたのか、日向と怜が住む場所を決めてくれた。日向の学費など金銭面での援助もするという。今の家にも怜のバーにも行きやすいマンションを与えてくれた。これで日向と菜穂も会いやすくなる。
引越しの準備をする日向。やっとこの家から出られる、これからは怜と一緒にいることができる。嬉しいのに緊張してドキドキが止まらない。
部屋に来た菜穂が寂しそうに日向を見ている。
「おいで」
「お兄ちゃん……!!」
菜穂が日向に抱きついて涙を流している。
「大丈夫だよ、菜穂。いつでも会えるんだから。怜さんと新しいお家で待ってるから。だからちゃんと勉強して自分のやりたいことを叶えるんだ。菜穂はこれから何だって出来るんだよ。僕はずっと菜穂の味方だから。辛くなったらいつでも連絡していいんだよ」
「うぅ……お兄ちゃん……すでにつらーい」
「お、そうきたか……フフ」
そして引越し当日。
「今まで、ありがとうございました」と日向。
ほぼ辛かったことしかないが、学費などの金銭面ではかなり助けられた。
「お兄ちゃん、明日行くから」
「え……まだ片付いてないと思うから……」
「そうよ菜穂。もう少し落ち着いてからね」と留美。
耕造は仕事でいなかったが、
「父さんにも……ありがとうって伝えといて」と日向は言った。
あんな父親だったけど、最終的には自分の気持ちを尊重してくれた、と言うよりは怜が色々言ってくれたおかげかもしれないが。それでも怜と暮らせるようにしてくれたことには、感謝している。
日向は怜の待つ新しいマンションへ向かった。新しい一歩を踏み出した……そんな気分。
紅葉が綺麗である。もうこんなに秋が進んでいたなんて。どうしてだろうか、見るもの全てが輝いてみえる。よっぽど自分は追い込まれていたのだ。こんな景色を見る余裕がなかったぐらいに。
大きく息を吸って吐いた。よし、と落ち着いて日向は歩き出した。
※※※
新しいマンションに着いた。怜がここにいるというのが未だに信じられないが、インターホンをゆっくりと押す。
ピンポーン
「ひな、来たか」
スケジュールの関係で、怜は先に入居し荷解きをしていた。
「怜さん……!」
「いらっしゃい……じゃないな、そうか。おかえり、ひな」
「ただいま、怜さん……!」
「それにしてもさすが社長だ。こんなに広くていい場所を提供してくださるとは」
「怜さん、お店の2階はどうするの?」
「いただいたお金、余っているから2階をリフォームして、席を少しだけ増やそうかと」
「そんなにくれたんだ……父さん」
「学費や生活費の一部とのことだが、あの社長レベルだからな……貰いすぎて恐縮なのだが」
「そっか、あの2階も……好きだったんだけどなぁ」
「ここが俺達の帰る場所になるんだよ、ひな」
腕まくりをして作業している怜を見て、日向はドキドキしてしまった。格好いい……怜さん……格好いい……
「ひな? どうした?」
「怜さんを見てただけ」
「何かおかしいか?」
「怜さんを……見ていたいだけだよ」
「おい、こんな作業しているところをずっと見られると恥ずかしいのだが」
「じゃあ、見ないでおく♪」
日向はそう言って別の場所で荷物の整理をしていた。しかししばらくすると、
「うわっ……怜さん?」
後ろから怜にギュッと抱き締められていた。
「怜さん……どうしたの?」
「ひなを抱きたいだけ」
「ええ……作業してるのに?」
「ひな、ソファは出してあるからさ」
「あ……ちょっと……怜さん……」
そのまま怜にソファに連れて行かれ、あっという間に唇を奪われる。
「もう……怜さんたら……」日向が真っ赤になっている。鼓動が怜にまで聞こえてしまいそうだ。
「嫌か?」
「嫌じゃないよ」
日向も怜に抱きついてそのまま離れなかった。
「フフ……これでは荷解き、進まないな」
「怜さんが先に後ろから抱きついて来たんだからね」
「ひなが先に俺をじっと見るから……つい欲しくなった」
「え……」
結局その日の荷解きは進まないままであった。2人は一緒にいることができる、ただその幸せな気持ちが溢れ、欲望を抑えることなどできなかった。