「おはよう、ひな」
「……うーん……れい……さん?」
日向が目を開けると隣に怜がいた。思わず、
「わぁっ」と言ってしまう。
「そんなに驚かなくてもいいだろ……フフ」
「だ、だって……」
怜と一緒にいられることがまだ信じられないというのもあるが、もう一つ……怜が前髪を完全に下ろしているのだ。
お店では前髪を上げており、出かける時も前髪は分けておでこがある程度見えている。それはもちろん格好いいのだが、お風呂上がりに髪を乾かして前髪を下ろした怜さんを見て、日向は心臓が飛び出そうなぐらいドキドキしてしまった。少し長めの前髪の下から見る怜さんの目元に大人の色気を感じてしまう。
バーの2階で泊まったこともあったが、いつも日向が先に眠ってしまい、朝も起きるのが遅かったため、前髪を下ろした怜さんを見たのは今回が初めてなのだ。案の定、日向がドキドキしているのが分かった怜は、わざと顔を近づけてからかうようなキスをする。
そしてそんなことがあったからか、今朝も前髪を下ろした怜を見てつい声をあげてしまった。
「前髪下ろした怜さんを見たら……ドキドキするから……見ないでおく……」と言って怜さんの胸に顔を埋めた。
「ひな……朝からそんなことされたら……俺だってドキドキするぞ」
怜が日向の背中に手を回した。
僕達何やってるんだろう……これだから……なかなか引越しの片付けができないんだから……それでもいいか。いや、待って……確か……
「明日、日曜だよね? 菜穂が来る」
「あ、そうだったな、よし一気に片付けるか」
このまま来客がなかったら、きっと部屋が物置き状態になってただろう。お互い一緒にいたい気持ちが強くて、すぐにどちらかが抱きつきに行ってしまうのだから。
(こういうのも最初だけかもしれないが)
朝食は怜がフレンチトーストを作ってくれた。
「美味しいそう! いただきます」
日向が嬉しそうに食べる姿を見て、可愛いなと思う怜。ここに来てからますます表情が豊かになった日向。飽きずにずっと見ていられる……その笑顔をずっと守りたい。
※※※
どうにか片付けが終わり、怜はバーへ行った。
「はぁー1人だと余計にこの部屋が広く感じるなぁ」
日向はそう言いながらPCを開く。来年は就活なので情報収集をしておかなければならない。あの家にいた時は自分で決めるといった機会がほとんどなかった。そのせいか就職先を、つまり将来そのものを自分自身で決めることを考えると……やはり不安が大きい。
「何だかんだで僕は……両親に頼っていたのかもしれないな。でもこれからは僕だって……変わりたい」
ふと怜が言っていたことを思い出す。
「ひなはそのままでいいんだよ」
優しいな、怜さんは。怜さんは僕のことをこんなにも……はっいけない、また怜さんのことを考えちゃった。えーと……この業種は……
その頃の怜はバーで開店準備をしていた。2階は改装中となっている。そういえば、日向が甘えた顔で2階に行きたそうにしていると嬉しい。怜さん、怜さんと言ってここに来ると安心する。良かった、ひなは今日も元気そうだなと思える。
今、ひなはどうしているのだろうか……あ、いけない、またひなのことばかり考えてしまったではないか。さてと……
バーが開店し、亜里沙と景子がやって来た。
「怜さん、クリスマスはどうするの?」と景子がいきなり尋ねる。
「クリスマスのメニューは考えているよ」
「そうじゃなくて! 誰かと過ごす予定はあるかって聞いてるのよ」
「け、景子ったらいきなり何聞いてるのよ!」と亜里沙が言う。
「だって気になるじゃない……2階で誰かと過ごすのかしらって」と景子。
この景子という子は、自分たちが2階で過ごしていたことを知っているのか? 前から鋭い質問が多かったよな、と思う怜。
「2階は改装中でな、もう少しかかるかな。君はここの2階が気になるか?」
「あら、2階を改装するのですね。(それじゃあ、こっそり日向くんと抜け出して2階で……というのは難しいのね) えーっと……2階どうなってるんだろーって思ってたので」と景子がそれらしく答えた。
「少し席数を増やして、あとは……考え中だ」
「そうなんですね、怜さんセンスいいから気になるな、楽しみ♪」
機嫌の良い景子、まだ怜さんのことを気にしてるのでは? と亜里沙は思ってしまう。
帰り道に亜里沙が言う。
「景子、怜さんのことやっぱり気になってるの?」
「え? もう亜里沙ったら真面目なんだから。気になるというか、憧れるというか……推しに近い感覚かしらね」
「推しって……でも怜さん素敵だから、そういう人多そうよね」
「雰囲気も良くてあんなにナチュラルに話しやすいおじさんってなかなかいないし、レアよレア」
「景子……キャラクターじゃないんだから」
「亜里沙、話そうかどうか迷ったんだけどさ……前に私達が帰った後にバーを覗いたら、怜さんと日向くんが2階に上がっていくのが見えたのよ」
「そうなの? ああ、それで2階で誰かと過ごすって……」
「私が見たところ、毎回行ってるわ。いいわね、秘密の時間みたいで」
「え……いつも見てたの?」
「さっきは推しなんて言ったけどさ、本当はちょっと気になってたから、怜さんのこと」
「そっか……」
「今日は日向くん来ていないじゃない。土曜日なんて翌日休みだから大体来ていたと思うんだけど」
「確かに……」
「2階が改装中だから日向くんは来ていないとして、2人はどこで過ごすのかといったところね」
「うんうん」
「つまり2人は別の場所で過ごしている、もしくは……別れた」
「ええっ?」亜里沙の声が大きくて周りの人が一斉にこちらを見た。
「景子ったら……あんな仲良さそうだったのに別れる?」
「それを確認するのが亜里沙でしょ?」
「は?」
「大学での日向くんの様子を見たら分かるでしょう? 落ち込んでいたら亜里沙が励ましてそのまま付き合っちゃいなさい」
「そんな急展開ある……?」
「ああーワクワクしてきたわ♡」
「もう……」
その頃、怜は日向の待つマンションに帰って来た。
「おかえりー怜さん♪」
「ひな、まだ起きてたのか?」
「だって明日休みだし……怜さん待ってた」
日向の大きな瞳がじーっとこちらを見ている。家で誰かが待っている……彼がいる……嬉しすぎるではないか。
「ひな、疲れた」そう言って日向を抱き寄せる。彼がこんなに温かかったなんて……疲れが一気に癒される。
※※※
日曜日に菜穂が遊びに来てくれた。彼女とカードゲームで遊びながら日向はハッと気づいた。
僕はいつも誰かとこんな風に遊びたかったんだ。前に菜穂と室内アスレチックに行った時も楽しくて笑っていた。こういう楽しさを提供できるような会社に入りたい……
「あのさぁ、2人とも弱すぎるんだけど」と菜穂。本気を出しても菜穂に勝てない日向と怜である。トランプのスピードなんてした時にはその速さについていけなかった。
「ハハ……さすが菜穂ちゃんだな」
「怜さん普通に疲れてるし……フフ」
休み明けに亜里沙は日向の様子を伺う。
「おはよう、日向」
「おはよう亜里沙、あのさ……」
日向が笑顔で話している。これは前よりも嬉しそうでは……?
「ねぇ日向……怜さんのバーの2階、改装中になってたわね」
「そうそう、あの2階がなくなるの寂しいんだけどもう一緒に……あ」
嬉しさのあまり亜里沙の前でつい「一緒に」だなんて言ってしまった。
「一緒に……?」亜里沙にじっと見られる。
「えーっと……家族の都合で……怜さんと一緒に住んでるんだ。僕のおじさんみたいな感じで」と言いながら日向が真っ赤になる。
亜里沙は一瞬胸の奥がチクリと痛んだ気がしたが、日向に話した。
「隠さなくても大丈夫よ。日向と怜さんを見ていたら誰だって分かるんだから」
「え……亜里沙……気づいてたの?」
「もちろんよ、まぁ景子が先に気づいてたけどね。日向、本当に幸せそうだもの。良かったわね、怜さんと一緒にいられて」
「うん……!」
もしかしたら2人は別れているんじゃないかって少しだけ思ってしまった。そんなことないと分かっていたつもりなのに。ああ、2人は同棲を始めたんだ……この同棲という言葉が亜里沙に重くのしかかる。別れる気配なんて全くないような気がする。
そして夕方に景子に電話する亜里沙。
「ごめん、私が別れてるかもしれないって言っちゃったから……」と景子。
「ううん、あたしもいい加減前に進まないとって思ってたから。これでもうハッキリした、ちゃんと諦められるわ」
「そっか。私にもいつか怜さんみたいな人が現れたらいいな」
「景子……」
「しばらく……バーに行く回数は減らそうかしら」
「そうね……」