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№16 女王の学園祭準備

 そしてやってきた学園祭前日。


 その日は授業はなく、全校生徒が明日の学園祭に向けて準備をするということになっている。


 作戦のことも、倫城先輩のことも気にはなっていたが、とりあえず目の前のことに全力を尽くそうと、ハルは朝からお化け屋敷の設営に取り掛かった。


 お化け屋敷はわざと狭い通路で教室を巡回するように作られるそうだ。狭さは人間の恐怖を増幅するし、なにより教室という限られたスペースを有効活用できる。ときに這いつくばって進まなければならないトンネルがあり、ときに鏡があり、ときに定番のこんにゃくあり、とバラエティも豊かにしてある。


 お化け役には影子コーチによる入念な演技指導がなされた。特殊メイクといっても血糊と顔面ペイントくらいだが、暗闇で見るとなかなか迫力がありそうだった。


「おら! 井戸から飛び出す勢いがない! 明日だぞわかってんのか!? ああ、なんだその溌剌とした高校生らしい立ち姿は!? 借金で首が回らなくなって首吊ったリーマンの設定だろ! もっと世の中を恨めよ! そこ! 痴情のもつれで殺された女がそんなツラするか!? 演劇部だろてめえ!」


 鬼監督もかくやといった勢いだ。影子も、作戦のことは忘れて明日の学園祭に集中するつもりらしい。実に楽しそうだ。


 青春青春言っていたが、彼女はずっとハルの影の中でハルを通してじっと外の世界を見ているだけの毎日だったのだ。真っ暗な部屋の中で延々引きこもって旅行番組を見ているようなものだ。考えるだけで気が滅入る。本人は滅入るどころではなかったのだろう。


 それでも、影子は自分の境遇を恨まず、ときが来て外に出られることになれば全力で楽しんでいる。自分ならこの世の全てを憎んでもおかしくない。実際、イジメられていたときは世界なんて滅んでしまえと何度思ったことか。


 これが『陰』と『陽』というわけか、と妙に得心する。


 影子は演技指導で忙しそうだったので、ハルはひとりで会場設営に取り掛かっていた。各自に配られた設計図を元に、めいめいがガムテープを片手に段ボールと格闘している。


「おーい、鏡の位置ここでいいかー?」


「うっわ、トンネルの強度こんなんでいいの!?」


「誰かー、こんにゃく買ってこーい」


 最初は影子の独裁政治で始まったお化け屋敷だが、今や全員が団結して和気あいあいと作業に取り組んでいる。時折どこかで笑い声が上がり、お化け屋敷は着々と出来上がっていった。


「……なあ、塚本」


 ハルがガムテープで通路を作っていると、同じ作業をしていた学級委員長の椎名君がおそるおそるといったていで話しかけてきた。


「なに?」


 無視するわけにもいかず、ハルは作業を続けながら顔だけを椎名君に向ける。彼は申し訳なさそうな顔をしながら言葉に詰まっているようだった。つっかえつっかえ、なにか言いたいことを紡ぎ始める。


「その……お前、イジメられてたじゃん? 一ノ瀬たちに。そんでさ……俺ら、全然見てないフリしてたじゃん。なんか言ったら、今度は俺がいじめられるんじゃないかって……怖かったんだ、だから、助けてやれなかった……」


「別にいいよ。もう解決したことだし」


 強がりではなく、そう思っていた。すべては終わったことだ。正確には影子が終わらせたこと、だが。


 それでも、椎名君はハルに詰め寄るように言葉を続ける。


「いいや、塚本影子の言う通りだ。イジメたやつも、見て見ぬふりしてたやつも、みんな同罪なんだ。だから……ごめんな、塚本。助けられなくて。今、めちゃくちゃ後悔してる。全部が終わってから後悔するなんてダセえけどさ。たぶん、クラスのヤツ全員がそう思ってるよ」


「椎名……」


「だから、委員長としてクラスを代表して俺が謝る。ごめん塚本。みんな、怖かっただけなんだ。その重荷を全部塚本に押し付けてさ、俺ら最低だよな……」


 うなだれる椎名君の肩をぽんと叩く。できる限りやさしい声音で、その謝罪に応えようとした。


「君らの気持ちはよくわかってる。たぶん、僕もいじめられてるひとを見ても、同じことをすると思う。誰だってこわいもんな。関わり合いにならないのが賢い。間違ってない。僕は誰の助けも求めてなかったし、二年が終わるころまで我慢すればいいと思ってた。影子がいてもいなくても、それは変わらない。諦めてたんだ、なにもかも」


 そう、これが日常なんだと思っていた。最低最悪のクソみたいな世界が定めた日常だと。けど、その日常は非日常である影子の登場とともにぶっ壊された。運が良かったのだ、要するに。


「でも、それじゃダメだったんだよな。戦わなきゃ、いけなかったんだ。それを影子に教わった。それだけでも、僕は成長できたんだと思うよ」


「……塚本って、案外前向きなんだな」


「そう?」


 ふふ、と笑って見せると、椎名君も同じように笑った。


「おーい、赤い布、まだ足りねえぞ! 今から買いに行けるやつー!」


「俺行ける! あ、塚本、お前も手ぇ空いてるよな? 行こうぜ!」


「うん、行こうか」


 椎名君を残して立ち上がり、呼びかけてきたクラスメイトと共に教室を出る。


 なんだ、青春ってやつも案外悪くないじゃないか。


 ようやくクラスという群になじめた気がした。


 学校というのは群社会だ。役割を分担し、それぞれが連携して一個の生命として活動する。自分が担当したのはスケープゴート、ただそれだけのことだったのだ。


 今その役目が必要なくなって、ようやく自分はクラスと言う群に受け入れられた。


 すべて影子のおかげだ。感謝してもしきれない。


 ……絶対に口には出さないつもりだが。


「おい塚本、なにやってんだよ、今日手芸店開いてるよな?」


「うん、商店街の手芸店なら開いてると思うよ」


 気安げに語りかけてくるクラスメイトに向かって、ハルは駆け出した。


 商店街で赤い布を買って帰ってくると、お化け屋敷はだいぶん出来上がっているようだった。あとは教室入り口の外観を飾り付けて、照明を落としてお化け役を配置すればいいだけになっている。


「んん! まだパーフェクトにゃ程遠いが、やっつけ仕事としちゃこんなもんだろ」


 総監督の影子もご満悦の様子だ。腕を組んで薄暗い教室内を眺めている。


「おい、アンタ。リハも兼ねてちょっと入ってみろ」


「え、僕?」


 突然名指しされて、ハルは戸惑った。が、クラスメイト達は乗り気だ。


「よっしゃ、塚本! 入って感想聞かせてくれ!」


「うふふ……私の演技っぷりに腰を抜かさないでね……」


「いけ塚本! 男を見せろ!」


 わいのわいの。背中を叩かれたりして、ハルはお化け屋敷の入り口まで押しやられた。


 生唾を呑む。大丈夫だ、所詮高校生の即興お化け屋敷。さほどのものではないだろう。


 教室に入ると、扉が閉まる。辺りは薄暗い闇に包まれた。ぼんやりと赤い裸電球だけが闇を照らしている。冷房が最強に設定してあるらしく、肌寒かった。


 狭い通路をおそるおそる進んでいると、べっちゃあ!と頬に生ぬるいものが張り付いた。びくっとからだをすくませるものの、知っている、これはこんにゃくだ。


 更に進んでいくと、鏡があり、そこに写る自分にびっくりする。追い打ちをかけるように、背中をなにかがすうっとなでていった。


 さては、影子の『影』だな。わかっていても、タイミング的に驚かざるを得ない。


 もうすぐ井戸がある。そこからお化け役が飛び出してくるのもわかっている。すたすたと井戸に近づき……


「おぎゃああああああああ!!」


「うっわああああああああ!!」


 勢いよく飛び出してきたお化け役にまともに飛び上がる。どうやら影子の演技指導が功を奏したようで、相当にびっくりした。


 そのままトンネルをくぐると、そこかしこから伸びる手が手足をつかむ。これも影子の『影』だ。わかっていても気味が悪い。


 更に進むと、突如天井から逆さづりの女生徒が飛び出してきた。


「あわああああああああ!!」


「ぎゃあああああああああ!!」


 血糊まみれの女生徒は、よく見れば一ノ瀬だ。まんまと悲鳴を上げたハルを見てけらけらと笑っている。


 そしてクライマックス。首を吊った男がオブジェのように赤い裸電球に照らされている。


 ハルの顔を見た途端、男は鬼気迫る形相でハルを追いかけてきた。


「あおおおおおおおお!!」


「あああああああああああ!!」


 大声を上げながら逃げるハルを猛スピードで追いかける男。これも影子の演技指導の賜物だろう、すごい迫力だ。


 そのまま出口まで追いかけられて、ようやくハルは外に出られた。


「はあ……はあ……」


「どーだ! これはテッペン取れるお化け屋敷だろ!」


 光差す教室の外が懐かしい。偉そうに腕を組む影子はどこか誇らしげだ。全力疾走したせいで息が上がっているので、とりあえずサムズアップしておく。


「おお! これはイケるぞ!」


「さすが塚本さん!」


「焼肉! 焼肉!」


 クラスメイト達から歓声が上がる。


 正直、恐怖に関する影子のノウハウをナメていた。これは怖い。


「よっしゃてめえら、仕上げ入るぞ! 恐怖の館で学園祭の話題をかっさらってやろうぜ!」


『おお!』


 すっかりクラス全体が一丸となっている。君主を戴いた集団というのは恐ろしい。


 自分もそのクラスの一員である、というのは、なんだかとてもくすぐったく感じられた。


 しかし、悪い気分ではない。


 クラスメイト達に囲まれて、ハルは隠れて小さく笑った。


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