教室に戻った後はさばききれない客の整理を手伝い、その内四時を迎えて学園祭終了のアナウンスが校内に流れる。あとは校庭で行われる後夜祭のキャンプファイヤーだけだ。
――結果として、お化け屋敷は大盛況のうちに終わった。客が客を呼び、最後の方はごった返すほどだった。
ただし、壊れた窓の修理代で売上金は持っていかれ、打ち上げの焼肉食い放題はお流れとなってしまった。
「あーあ、残念。アタシいっぺん行ってみたかったのになぁ、焼肉」
「今度僕が連れてってあげるよ」
「マジ!?」
教室の後片付けを終え、祭りが終わる余韻に浸ろうと屋上へやってくると、既に影子がそこにいた。二人並んで校庭のキャンプファイヤーの準備を眺めながら、とめどない会話をする。『影』が眠る夜までもう少しだ。夕明かりが校庭を橙色に染め上げている。
「今回影子はがんばったからな。一ノ瀬も助けてくれたし、そのお礼だよ」
「ふっふーん! アタシはがんばった! まあ、あのメス豚を助けたのはそっちの方が跡腐れなさそだったからだけど。ま、礼してくれるっつうんならいくらでも」
影子はどこまでも偉そうだった。それが子供じみて見えて、ついくすくすと笑ってしまう。
「なぁに笑ってんだ、んん?」
げし、脛を蹴られる。足を押さえてうずくまり、なにごともなかったかのように立ち上がる。ちょっと涙目だったが。
「……楽しかったか? 影子」
ぽつり、問いかけた。校庭の大きなキャンプファイヤーに火が灯り、まわりにひとが集まってくる。
影子は、んー、とうなった後、ぴょんと跳ねて、
「ちょう楽しかった!」
そのあどけない笑みは、本当に普通の女の子みたいで、『影』だったり、教室の女王だったりするのがウソみたいだった。
「みんなで何かひとつのことすんのって楽しいのな。なんか、アタシってさ、クラスで浮いてたじゃん? それが今回みんなまとめてさ、お化け屋敷一生懸命やってさ、バカみてえだけどそれが楽しくてさ」
「……そっか」
青春、していたのだ。彼女が望んだとおりに。
しかし、三日後の作戦の成否でその青春が続くかどうかが決まる。
失敗すれば、もう戻ってこられないだろう。
影子は、それを知っていて今回懸命になっていたのかもしれない。
最後になるかもしれないから、と。
「……影子」
「んだよ?」
「三日後の作戦、成功させて、また戻ってこような」
「ったりめえだ」
燃え盛るキャンプファイヤーを遠目に見ながら、ふたりは目を合わせないまま誓い合った。
「ふ、あーあ。アタシはそろそろオネムの時間だ。またな」
「うん、おやすみ、影子」
夜が近いのだろう、影子はするん、とハルの影に戻っていった。
しばらくの間、夕暮れが終わって夜が訪れるまで、ハルは自分の影を見つめていた。
「……絶対、成功させてやる」
自分に誓いを立てるように、小さくつぶやく。
遠くでは、キャンプファイヤーの喧騒が賑わしく聞こえていた。
そして、作戦決行日当日。
学校は公休扱いにしてもらって休みだ。その辺まで逆柳が手回しをしてくれたらしい。本当に細かい男だ。
影が傾く寸前の昼下がり、ハルと影子は初めて龍の『影』と接敵した廃工場にいた。割れた窓ガラスから差し込む光に、埃がきらきらと舞っている。その光とはっきりとしたコントラストを成す、影、影、影。あちこちに影がある。
辺りには静寂が満ちていた。が、そこらじゅうにASSBの捜査官たちが潜んでいる。気配は完璧に消されていて、息遣いひとつ聞こえない。
「……位置に着きました。準備完了です」
耳につけたインカムに向かってささやく。インカムの他には防弾防刃ベストを支給されていて、服の下に身に着けていた。
『よし、では獲物が現れるまで待とうではないか』
ここにはいない逆柳の声がインカムから聞こえる。同じくインカムを付けた影子が、はっ、と笑った。
「肝心の囮役をか弱い高校生たちに任せて自分は高みの見物たぁ、いいご身分じゃねえか」
『何とでも言いたまえ。指揮官が現場の最前線に出るなど愚の骨頂。そして、囮は君たちでなくてはならない。いかにも美味そうではないか』
「……あっくしゅみー」
『そうだった、作戦前に伝えておかねばならないことがある』
影子の言葉をよそに、改まった様子で逆柳が言う。
『我々ASSB逆柳班は、支局内でもこう呼ばれている――『猟犬部隊』、と。徹底的に訓練され、組織された猟犬たちの群だと』
「それがなにか? 自分のワンちゃんたちのご自慢ですかぁ?」
『猟犬は道具でしかない。その道具がいくら失われようと、どうか気にしないでいただきたい。我々は組織だ、頭が潰されない限りは生き続ける。つまり――』
言葉を切ってから、冷徹な声で逆柳が続けた。
『……何人死んでも、君たちは構わず作戦を遂行してくれたまえ』
「そんな……!」
悲痛な声を上げるハルに対して、影子はあくまでドライだった。へらへらと肩をすくめて、
「へいへい。そんなんアタシの知ったこっちゃねえから、安心しろ。誰が何人くたばろうが、アタシとご主人様さえ無事ならそれでいいさ」
「でも、影子……!」
ひとが、死ぬ。改めて、この作戦の重みを感じた。誰が死んでもおかしくない――影子も、自分も含めてだ。それだけ危険な作戦なのだ。
「しっ……来るぜ」
ハルの言葉を遮って、影子は足元の影からチェインソウを引きずり出した。構えると同時に、どるん!とエンジンがかかる。静まり返った廃工場内に、どどどどど、と低いうなりだけがこだました。
なにも来ない……と思ってから、数秒後。
ざわ、とそこらじゅうの影から龍の『影』が伸びた。影子を囲んだ状態で、暗い眼窩をこちらに向けてうごめく。
「作戦発動! 『獲物は罠籠に入った』!」
合言葉を叫んで、影子は飛び込んできた一匹に向かってチェインソウを振り下ろした。ぢっ!と音がして、龍の『影』は黒いしずくとなって飛び散る。
「次ぃっ!」
あぎとを伸ばした一匹の頭上をひょいっと飛び越えてかわし、もう一匹の牙をがっちりとチェインソウの刃で受け止め、いなし、叩きつけるように斬った。腕を伸ばし、またしても飛びかかろうとしていた残り一匹の喉をかっさばく。
「オラ、次々ぃっ!」
「影子、そろそろ逆柳も動く!」
なおも散発的に襲い来る龍の『影』を裁断していた影子に声をかけると同時だった。
ばきばきばき! とものすごい音がして、突如廃工場の天井がなくなった。見れば、巨大な建築機材が廃工場の天井を一気に剥がしている。支えを失った古びた建物は脆かった。そのまま壁までもが崩れ去り、戦いの舞台が白日の下にさらされる。
もうもうと立ち込める土煙の向こうには、ASSBの奥の手である『無影灯』が並んでいた。影子たちを囲むように地上に4機、そして頭上のヘリに3機。これが逆柳の全力投入だ。
その『無影灯』に一斉に灯がともる。まばゆい光は影を消し飛ばし、龍の『影』の更なる増殖を封じた。『影』は光に恐れおののくように逃げ場所を探したが、どこにも逃げ込む影はない。
『無影灯』で消し飛ばせるのは具現化していない『影』だけだ。当然、影子のチェインソウは残るし、十数体の龍の『影』も残る。が、あちこちの影から出てくる『影』はなくなり、残機は丸見えになる。
そして、『影使い』によって作られる『影』の総量は、今まで食ってきた人間の数によって制限されている。その総量が全滅させられる前に、『影』は『影使い』のもとにもどらなくてはならない。
最後の数体をわざと泳がせて、『影使い』のもとに戻ったところを押さえる。それがこの作戦の肝だった。
そのためには、残った十数体を叩かなくてはならない。
『曳光弾、撃て』
逆柳の冷静な声音がインカムから聞こえる。
すると、あちこちに潜んでいたASSBの『猟犬部隊』たちが、ショットガンやマシンガン、アサルトライフルを構えて『影』の前に出てきた。
いくつも重なる銃声、マズルフラッシュ。光の尾を引く弾丸が、確実に龍の『影』のからだを削っていく。
「こっちに当てんなよ、犬ッコロども! 主役はアタシだ!」
『猟犬部隊』の奮戦に背中を押されて、影子も躍動した。にぃ、とくちびるに闘争の赤い笑みを浮かべて、チェインソウの回転数を上げる。ぐぉん!とうなる得物で、円を描くように殺到する龍の『影』を一気に三匹斬首して、残る一匹の牙をはじく。
まるでワルツを踊っているような足さばきで瓦礫を踏みしだき、チェインソウの先端で突くように跳ね上がった龍の首を切り裂いた。雨のように降り注ぐ龍の『影』の黒い血飛沫を浴び、影法師のようになった彼女の赤い瞳だけがらんらんと輝いている。
その血飛沫もすぐに蒸発するように消え、残り7体となった『影』を追いかけるように駆け出す影子。
「オラぁ! 7!」
『猟犬部隊』のショットガンで片目を削られいなないていた龍の『影』の首を、駆け抜ける勢いのまま切り伏せ、
「まだまだぁ! 6! 5!」
同時に襲い掛かってきた二匹の内、一匹の牙を力いっぱいチェインソウで叩けば牙は砕け、もう一匹の攻撃をいなしながら首を切り落とし、更にいなした一匹のからだをあぎとから尾まで一直線に切り裂きながら駆け、
「しゃらくせえ! 4!」
『曳光弾』で削られぼろぼろになった一匹の口にチェインソウの刃を突っ込み、そのままその牙ごと引き裂き……
『そろそろ動き出すころだな』
逆柳の冷たい声が聞こえると、龍の『影』にもちょうど動きがあった。
一斉に攻撃をやめて反転し、空を泳ぎながらどこかを目指す。
『総員、追跡』
『猟犬部隊』が訓練された動きでその後を追った。散発的に攻撃を仕掛けながら、獲物を巣へと追い立てる。
だが、ただの人間だけでは龍の『影』を相手取るには役者不足だった。『影』は追いかける『猟犬部隊』を尾で薙ぎ払い、牙で威嚇し、簡単には追わせてくれない。それに、これは配置が手薄なところを狙っている……?
『まずい、突破される……!』
珍しく焦りを含んだ声音がインカムから聞こえてきた。残る『部隊』は3名。三匹の龍の『影』は、それぞれ大きくあぎとを開けてその3名を食いちぎろうとした。『猟犬部隊』は一歩も退かず、銃火器を構えている。
マズい、あれでは格好の餌食だ。影子のからだを食いちぎったあの牙の鋭さを思い出す。
『何人死んでも気にするな』と、逆柳は言っていた。隊員たちも、道具として殉死することを疑問に思っていないだろう。
だが、それではいけないのだ、きっと。
そう思ったハルがとっさに取った行動は――