「塚本、ちょっといいか?」
放課後、帰り支度をしていると、教室の廊下から倫城先輩が顔をのぞかせた。
「どうしたんですか、先輩?」
ハルが問うと、倫城先輩は真面目な顔をして、
「ちょっと話あんだけど。ここでは話しづらいから、体育館裏で」
以前体育館裏でドストレートの告白をされたことを思い出すハルだったが、倫城先輩はただのホモではないのだ。ASSBに所属する高校生エージェントのホモなのだ。
そんな先輩が、真剣な話があると言う。今更ここまで来て口説こうという気配ではない。どうやらそっちがらみではないらしい。
ハルはうなずき返し、
「わかりました。影子もいっしょでいいですか?」
「塚本影子な。まあ、いいよ。来るなって言っても、あとで情報共有するんだろうし」
「んん? アタシがどうしたって、犬っころ?」
早速空の通学カバンを肩にひっさげ、先輩に好戦的な笑みを送る影子。
「お前たちに用があるんだよ。顔貸してくれ」
「んだぁ? 決着つけっか?」
「そういう用事じゃなくて、大事な話」
「影子、多分僕たちにとって必要な話だ。聞かせてもらおう」
「……ふぅん、だったらそのお話とやらをご拝聴させていただこうじゃねえか」
どこか不満げな顔をしながら、影子は倫城先輩に連れていかれるハルに付き従った。
しばらく歩いて、体育館裏にたどり着く。まだ部活も始まっておらず、今はほとんど使われていない体育倉庫と焼却炉があるだけの小さな空間だ。
ここに来るとしたら果し合いか、告白かのどちらかだ。告白はすでに経験済みなのだが、果し合いの予定は当面ない。
倫城先輩は跳び箱に腰を下ろし、そんなことを考えていたハルに向き直った。
「……まあ、だいたいの予想はついてるだろうけど」
「ASSB関係ですね」
「そ」
「は? オワコンの駄犬集団がどうしたって?」
すかさず影子が突っかかるが、ハルは手で制して、
「もう『影の王国』問題は落ち着いたんでしょう? だとしたら僕らには……」
「はい、これ」
ハルの言葉を遮って、倫城先輩は白い封筒に入った何かを差し出した。
なにかイヤな予感がしながらもその封筒を開くと、そこには一枚、某高級ホテルのレストランの招待状が入っていた。
「…………なんですか、これ?」
「俺から、だったらよかったんだけど、あいにく違うんだ……『閣下』からの招待状」
『閣下』。ASSBの一級捜査官にして、『猟犬部隊』の長、逆柳律斗からの招待状。
あの冷静沈着かつ狡猾な男のことだ、この招待状にもなにかしらの意味があるのだろう。楽しいお食事をいっしょに、なんてことは考えられない。
神妙な顔でじっと招待状を見下ろしていたハルに、倫城先輩がぼやくように声をかけた。
「『閣下』さ、今、一級捜査官の上の特級捜査官の地位を狙ってるんだと。あちこちに根回しして、いろいろ立ち回ったりして暗躍してるよ」
呆れたようなため息をついて、倫城先輩は続けた。
「たしかに、特級捜査官の権限は一級捜査官とは比べ物にならない。『猟犬部隊』の規模だって今よりずっと大きくできる。けどなぁ、どうもあのひとは奸計となるとやりすぎるところがあるからな。俺みたいな部下たちはみんなひやひやしてるよ」
特級捜査官。逆柳はさらに上のステージを目指しているらしい。あの男らしい向上心だ。より多くの味方をつけ、より大きな戦力を有し、より絶対的な権力を手に入れようとしている。ASSBという器は、あの男にはどうも小さすぎるような気がした。
「……それで、特級捜査官の地位を狙ってる『閣下』が、僕に今更何の用ですか?」
慎重に尋ねるハルに、先輩は肩をすくめて見せた。
「さあ? あのひとにはあのひとの考えがあるんだろうさ。けど、たぶん塚本は巻き込まれる。もちろん塚本影子も。それに、今回の誘いを断ったところで、あのひとは別の手を打ってくるだろうな。お前たちにはなにかしらのうまみがあるんだろう」
「うまみ……」
「あの陰険クソ眼鏡がなに考えてやがるかは知らねえが、しつこくされたんじゃたまったもんじゃねえ。シャクに障るが、ノってやろうじゃねえか」
「影子!? なに勝手に決めてるんだよ!?」
「るっせ。どうせアンタはうじうじ考えすぎて、こういうすぱっと美しい決断なんてできねぇだろ。だから、アタシが代わりにやってやるんだよ」
「うう、そうだけど!」
「なら話は決まりだな。『閣下』にはそう伝えとく」
「倫城先輩まで!?」
完全に四面楚歌のハルが悲鳴を上げると、先輩はさわやかに笑い、
「ははっ! やっぱりお前たち、いいコンビだよ。さすが『光』と『影』なだけある……今のところ、変わったことはないか?」
心配そうに尋ねてくる先輩に、ハルはこくりとうなずいた。
「はい。いつも通りです。ただ、影子がミシェーラは怪しいって……」
「ああ、あの外国人転校生な……なにが怪しいんだ?」
「さあ、僕にもさっぱりで……」
「ん、なんとなく?」
視線で影子に水を向けると、影子は他人事のように言ってそっぽを向いた。
『影』特有の虫の知らせか、それとも単にミシェーラが気に食わないだけか……
……なんとなく、後者な気がした。
先輩は斜め上を見上げて考え込み、
「俺も全然そんな風には見えないけどな。でもまあ、気にしとくようにはする。なんたって大事な塚本のことだからな。お前になにかあったら俺が困るんだ」
急に口説きモードに入られた。いきなりラブコールを送られて戸惑うハルに、跳び箱から立ち上がった先輩がぐいっと迫る。
「……あの、先輩……僕、前に断りましたよね……?」
小動物のように縮こまりながら言うと、先輩はいつもは見せない妖しい笑みを浮かべながら、
「俺、あきらめたつもりはないけど?」
なおも後ずさろうとするハルの手首を引き、その手の甲にくちびるを寄せて、
「絶対に男のヨさを塚本にも教えてやれると思ってるから」
殺し文句をささやいた。ハルが女子なら完全にやられていただろう。が、あいにくハルは男子だ。ひとそれぞれだろうが、少なくとも男と恋愛するつもりはハルにはない。
「あっ、あの、先輩……?」
「塚本、今日こそいっしょにサウナ行こうぜ?」
「いや、それはちょっと……って、影子!? なにやってるの!?!?」
絶賛口説かれ中のハルを前にして、影子はさっきから真っ黒なスマホのカメラでその様子を撮影していた。
「ふっはは! もっとやれ駄犬! 面白ぇからBL展開も全然アリ!」
「僕はやだよ!?」
「ワガママ言ってんじゃねえ! ほれ、ここらでキスのひとつでもキメろ!」
「外野のヤジがこんなんじゃ、雰囲気もなにもあったもんじゃないな」
苦笑いする先輩が、ハルの手を解放する。急いで影子の背後に逃げ込んだハルを見送り、先輩は気を悪くした風もなく、いつも通りの爽快な笑みを浮かべた。
「ははっ! やっぱりいいコンビだよ、お前たちは。どうもその間には割って入りにくいな」
「安心しろ、ガチでそうなりそうだったら真っ先にテメェの玉金潰してやっから」
「おお、こわい。ま、俺も焦らずゆっくり攻略するから、楽しみにしててくれよな、塚本」
不吉なことを言って、倫城先輩は体育館裏に背を向けた。
「とりあえず、『閣下』からの招待状は渡したからな。俺はただの使いっぱだ、あとはお前がうまくやってくれよ」
ひらひらと手を振りながら、先輩は姿を消した。
ふたり残されたハルと影子は、招待状を見詰めて無言で考え込んでいた。
「……やっぱり、行くしかないのかな……?」
「敵陣深く突っ込むなんて、イっちゃいそうなくらいエキサイティングじゃねえか。ま、敵かどうかは向こうさん次第だけどな」
「君はまた、他人事だと思って……!」
「んん? 勘違いするなよ? アタシとアンタは一心同体、運命共同体だ。送られた招待状は一枚、これじゃアンタにすべてをベットするしかねえじゃん。アタシの命運ってチップをアンタに託してんだよ」
「もっともらしいこと言っても楽しんでるの丸わかりだよ?」
「ふはっ、アンタにも楽しんでもらいたくてワザと丸わかりにしてやってんだよ」
「こんな不穏なお食事会、なにを楽しめっていうんだ……」
招待状を手にして、ハルは沈鬱なため息をついた。なんだか紙切れが鉛より重たいもののように感じられる。
日付は明後日、日曜日の午後七時から。あの逆柳のことだ、両親にも角の立たない言い訳を用意しているのだろう。その辺りは信頼できる男だ。
計算高い逆柳が仕組んだ密会、必ず何かあるのだろう。きっと、ハルたちを言いくるめようと口八丁手八丁であれこれ迫ってくるはずだ。
とにかく、薄氷を踏むがごとく、慎重に行こう。
それだけをこころに決めると、ハルは影子といっしょに帰路につくことにした。