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№8 『影の王国』、再び

「……それで、このひとがどうしたんですか?」


 問題はそこだった。逆柳の権力争いにこの男がどう絡んでくるのか。薄々感づいてはいたが、あえて問いかける。


 逆柳は、す、と笑みを引っ込め、重々しすぎないちょうどいいくらいのため息をついて見せた。


 絶妙なタイミングで次の料理が運ばれてくる。一切時計を見ていないが、まさか自分の中に絶対時計でも持っているのだろうか? この男ならありえるな、と思いながら、逆柳にならって食事をするハル。


 一皿平らげたところで口元をぬぐい、水を飲んでから話を続ける逆柳。


「現在、特級捜査官に推薦されているのは、私と雪杉だ。席はひとつ。つまりは、この雪杉を出し抜かなければ私は次の機会を待つほかなくなる。いつ来るともしれない機会をね。そうならないためにも、このチャンスを有効活用せねばならない」


「要するに、この雪杉ってひとを蹴落とそうとしているわけですね?」


「表現方法に多少の難があるが、おおむねその通りだよ。雪杉の後塵を拝すことはごめんこうむる。このまたとない機会に特級捜査官に昇進する、それが私の目標だ。そのために、君を利用させてもらおうというわけだ」


 なるほど、ようやく話がつながった。もって回った説明だったかもしれないが、ハルには必要充分な情報が与えられた。その無駄も隙もない話術が逆柳の武器でもある。


 逆柳はまたも口元にだけ笑みを浮かべながらハルの瞳を見詰め、


「君も、このような男が特級捜査官に就任すれば困るだろう。すべての『影』を駆逐すると息まいている雪杉のような男が権力を執れば、君の『影』……塚本影子さんにまで害が及ぶ。彼は『影』という記号のついたものすべてを狩り取るだろう。私のように共存路線を模索する余地もない」


「……脅しですか?」


「そうとらえてもらって結構。君が協力しようがするまいが、私が君を利用するということに一切の関係はないがね。勝手に利用することも考慮に入れたが、私もそれほど合理主義を徹底することができなかった。故に、君の耳に一言入れておこうと、今夜の食事会を催したのだよ」


 たしかに、逆柳は合理主義を好むが、完全なマシンになれるほど人間を捨ててはいなかった。感情論で動くこともあるし、人間的な側面もある。そういった意味で、今回ハルに『利用させてもらう』とわざわざ宣言してきたのだろう。


「……わかりましたよ。けど、僕たちに一体どういう利用価値があるんですか?」


 権力争いにハルたちは無関係のはずだ。それなのに、なぜ?


 逆柳が言葉を発する前に、次の料理が運ばれてきた。計算し尽くされたタイミングを少し気味悪く思いながら、ハルと逆柳は味もわからない料理を食す。


 皿が片付いて、逆柳はようやく核心に迫った。


「『影の王国』……我々が共同戦線を張った、例の一件だよ」


「その件はもう片が付いたじゃないですか。どうして今更『影の王国』が出てくるんですか?」


 もう済んだことのはずだ。それをほじくりかえして一体何になるというのだろう。


 ハルがいぶかしんでいると、逆柳は水を飲んでから続けた。


「まさか、あれで終わりだと思っているのかね? だとすれば、楽観主義が過ぎると言わざるを得ない」


「……まだなにかあるんですか?」


「『影の王国』の目的は、『影』の集合的無意識に呼びかけあるじを食わせる、いわば人類の総『影』化……しかし、『影使い』である君のような人間は集合的無意識への呼びかけに応じない。『影使い』は『影の王国』にとって邪魔でしかないのだよ」


「そりゃそうですけど……」


「そして、君たちは『影の王国』の一角を崩したという実績がある。『影の王国』は君たちを脅威とみなす可能性が高い。ならば、今のうちに排除しておきたいと考えるのが必定ではないかね?」


 そう言われてみればそうだ。『影の王国』に接敵し、撃破したのは今のところハルと影子だけ。これからも『影の王国』が活動を続けるとなると、不安の種は取り除いておきたいところだろう。


 しかし、『影の王国』が今どうなっているのかはわからない。もしかしたら、前回の一件を受けて解散してしまっているかもしれない。


 すべては逆柳の口車、という可能性も考慮しなければならない。


「『影の王国』がなにも仕掛けてこなかったら?」


 ハルはそこを突いてみることにした。答えを待っている間にメインディッシュの肉料理が運ばれてきて、逆柳に時間を与えることになる。これも計算の内か。


 無言でなにかの肉を食べ終えると、逆柳は口元を拭いて水を飲み、ようやく話を始めた。


「『影の王国』は、必ず動く。なぜならASSBが……というより私が煽動するからだよ」


「煽動?」


「そう。近々ASSBに『影の王国』の特別対策委員会を設けるつもりでいる。大々的に宣伝もして、ね。表向きはテロリストの残党狩りだが、本質は『影の王国』に揺さぶりをかけるところにある。これは賭けだが、連中は九割九分乗ってくるだろう、分のいい賭けだ」


「……そうして煽っておいて、僕たちをマトにするつもりですか?」


 ハルが不服そうに尋ねると、逆柳は『猟犬部隊』の長たるにふさわしい好戦的な笑みを浮かべてうなずいた。


「やはり君は理解が早い。『影の王国』はまず手始めに君たちを狙うだろう。そこを迎え撃ち、潰す。『影の王国』をまたしても退けたとなれば、かなりの高得点を獲得することが可能だろう。それこそ、雪杉を出し抜くことができるほどに」


 また点と線がつながった。『影の王国』を煽り、ハルたちを狙ってやってきたところを迎撃して潰し、昇進の足掛かりとする。逆柳の中の計画ではそういうことになっているのだろう。


 そして、この男の計画はほぼほぼ実現する。無茶な計画は決して立てず、勝てる勝負にのみ乗る。普段の逆柳はそんな人間だ。


「……子供をエサに使っていいんですか?」


 せめて恨みがましく言うと、最後のデザートが運ばれてきた。黙ってそれを平らげると、逆柳は、す、と表情を消して返した。


「君たちには貸しがある。忘れたとは言わせない」


 そう、例の一件で、ASSBは一度失敗したハルと影子の戦いに協力してくれた。それは事実だ。


 しかし、それを『貸し』だと言われるとなんとも言えなくなる。逆柳だって戦果を挙げておいしい思いをしたはずなのだから。


 運ばれてきた食後のコーヒーを飲みながら、逆柳は言った。


「安心したまえ。煽動した以上、君たちはASSB『猟犬部隊』の名誉にかけて必ず守る。全面的なバックアップだ。君たちの失敗は、私の失敗にもつながる。私たちは運命共同体だ」


 また口車に乗せられている気がするが、徒手空拳のハルたちにとって、ASSBの支援は喉から手が出るほど欲しいものだった。自作自演の舞台の役者として、せいぜい愉快に踊らなければならない。影子に言ったらきっとおおよろこびすることだろう。


 コーヒーを飲み終えカップを置くと、逆柳はテーブル越しに右手を差し出してきた。


「共戦協定を結ぼう。お互いにベストを尽くす約束だよ」


 その手を握ったら最後な気がしたが、ハルは渋々右手を差し出して握手をした。


 最初の時と同じく形式だけの握手はすぐに引っ込められ、逆柳は精算をすることもなく席を立った。


「まだ足りないのなら好きなものを頼んでくれたまえ。料金は私が持つ。落ち着いて考えるといい。それでは、私はこれで」


 そう言い残すと、逆柳はハルに背を向けてレストランを去っていった。


 ひとり残されたハルは、やっとあの視線から解放されて安堵のため息をつき、


「……『影の王国』……権力争いに共戦協定かぁ……」


 どうも、今夜は情報量が多すぎる。もう一杯コーヒーでも頼んで頭の中を整理しよう。どうせ影子は明日の朝にしか出てこない。


 コーヒーを注文するとずるずるとソファにもたれかかり、ハルは浮かない顔で今夜の密会で得た情報を反芻し始めた。


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