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№9 夏が始まる

「ふぅん、やっぱ面白ぇな、あのオッサン。シャクに障るのは変わりねぇけど」


 登校中、昨夜のことを影子に話すと、影子は真っ赤な戦いの笑みを浮かべてつぶやいた。


「『影の王国』か……ま、いつかこうなる日が来るたぁ思ってたけどな」


「君もまた戦うかもって予想してたの?」


「ったりめぇだ。平和ボケしたアンタはどうだか知らねぇけどな。アタシはまたぶっ潰す獲物が現れてくれるんなら大歓迎だ」


 闘争。それが影子の本能だ。平和を好むハルのイデア、『影』として現出するならば、そうなってしかるべきだった。


 戦いに明け暮れている影子の表情はいつも輝いていた。その赤い目をらんらんと光らせて、縦横無尽にチェインソウを振るう。踊るように標的を次々と叩き斬り、黒の血しぶきを浴びる影子はまさしく舞台上の主演女優だった。


 しかし、ハルとしては厄介ごとはできるだけ避けたい。『影』である影子と方向性が食い違うのは当たり前のことだった。


 はぁ、とため息をついて、


「……なにごともなければいいんだけど……」


「なに日和ってんだよ、そんなん面白くねえじゃん!」


「面白おかしく生きていきたいなんて思ったことはないけどね」


「けっ、つまんねーヤツ」


 唾と共に毒を吐き、影子とハルは共に学校へとたどり着いた。


「オッハヨー、ハル! カゲコ!」


「おはよう、ミシェーラ」


 教室に入ると真っ先にミシェーラの元気な声が届いた。大げさに手を振るミシェーラの前の席に座り、ハルはホームルームを待つ。今日で一学期も最後の日だ。


 席について、いつものように靴を舐める一ノ瀬を見下ろしながら影子が突然言葉を発した。


「そういや、そろそろ夏休みじゃねえか!」


「そうだけど?」


 当たり前のことに首をかしげるハルに無意味に目潰しをしてから、悶絶するハルを置いて語り始める影子。


「夏休みっていやぁ、青春の一大イベントじゃねえか! ひと夏の冒険! そして私たちは大人になる! 甘酸っぱい青春の一ページをしっかり刻まねえと!」


 十何年もハルの影の中に潜んでいた影子にとって、青春というものはあこがれの存在らしい。以前の学園祭のときもずいぶんと張り切っていた。夏休みに浮かれるのも無理はない。


「ひと夏の冒険! 危険な思い出! 影子様、私もお供します!」


「黙ってろ、アタシの青春が汚れんだろ、この腐れマ〇コが。ともかく、どっか行くぞ!」


 また話が妙な方向に回り始めた。ようやく痛みから脱して頭を抱えるハルに、影子が次々と案を出してくる。


「ほら、今キャンプとか流行ってんじゃん! わいわいキャンプってのは!?」


「あれ、テントとかのアイテムに相当お金かかるんだよ? ここからだと山も遠いし」


「じゃあアレだ! 遊園地とか!」


「それもかなり遠出しなきゃいけないよ。夏休みで劇コミだろうからアトラクションはどれも一時間待ちだろうし」


「ええい! じゃあ夏祭りだ! 花火大会だ!」


「うちの近所のショボい神社の夜店で良ければ。っていうか、君夜は眠らなきゃいけないだろ」


「ああもう! だったら何がいいんだよ!?」


「ぐっ……! やめ……くびを、しめないで……!」


 影子に首を絞められつつがくがくされるハルは、顔を赤紫色にしながらその手をタップした。


「……海、とかどうデツカ?」


 ふと、ミシェーラがつぶやく。


「海、か……おお、いいじゃねえか! こっから近いし、日帰りで行けんだろ! さんさんと太陽の降り注ぐ真夏のビーチで、みなさんお待ちかねの水着回! ポロリもあるよ! 男子限定で!」


「素敵です♡ ぜひ私もいっしょに♡」


「発案者のワタシもいっしょに行っていいデツヨネ!?」


「おっ、楽しそうな話してんじゃん。俺も混ぜろよ」


「倫城先輩!?」


 廊下の窓からひょいと顔をのぞかせる先輩。このひとはハルがいるところには必ず出てくる。さすがハルのケツをつけ狙うガチホモだ。


 わいのわいのと、いつの間にか近くの海に遊びに行く計画が立てられていく。あまり気乗りしないハルもしっかり頭数に入れられているようだ。


 メンバーはハル、影子、一ノ瀬、ミシェーラ、倫城先輩の五人。ビーチで泳いだりバーベキューをしたりで、夜には現地解散で帰ることになっている。影子は夜は眠らなくてはならないので自然とこういうスケジュールになった。


 何ごとも起きないはずがないメンバーで、一体どんなトラブルが起こるのか、想像するだけで頭が痛くなる。まだ見ぬ騒動に肩を重くしながら、ただただ進んでいく海行きの相談ごとに、ハルは一応耳を傾けていた。


「よし、決まりっ! 今年の夏はビーチで決定だ!」


「ついていきます、影子様!」


「ワーオ、楽しみデツネ!」


「塚本も水着持って来いよ?」


「……僕はみんなを見守る係なので……」


 決めた。ビーチに着いたら他人のフリをしよう。ひとりパラソルの下で読書でもしていよう。


「んん? なぁに言ってんだ? アンタも・た・の・し・む・ん・だ・よ!」


「胸倉をつかみながら言うセリフじゃないよね!?」


 脅すように言う影子にホールドアップの仕草をして見せると、影子はようやく胸元から手を離してくれた。


「よーし、よし。首尾は上々! これから一気に夏を楽しもうぜ!」


『おー!!』


 かくして、不吉な予感のする珍道中が決行されることとなった。


 完全に巻き込まれてしまったハルは、ひとりどんよりと背中を丸めるのだった。




「おい! とっとと行くぞ!」


 ホームルームと終業式だけで終わった放課後、帰り支度をしているハルに影子が言い放った。


「行くってどこに?」


 ハルがぽかんとしていると、その首筋にしゅるしゅると黒い『影』が巻き付いた。それはいかつい真っ黒な首輪で、リードは影子の手の中にある。


 『影』の具現化。それが影子たち『影』の持つ能力だった。


 実際に存在する『影』の首輪を思いっきり引かれ、ハルはずるずると床を引きずられた。


「ヤメテヤメテヤメテ!!」


「るっせ! はちゃめちゃにヤる気のアタシを止めてくれるな!」


「やる気って、どこ行くんだよ!?」


「決まってんだろ! 楽しい楽しい楽しい旅行の準備の買い物だ!」


 廊下を引きずり回されながら、ハルは『ああ、今月のお小遣いは飛ぶな……』と遠い目をして思った。


 やっと普通に歩くことを許可されたハルと影子は、一路市内のショッピングモールへと出向いた。


 どこを見ても夏、夏、夏だ。風鈴、うちわ、花火、麦わら帽子。家電量販店の店先では、クーラーや扇風機が吹き流しをそよがせている。


「ん! まずは何と言っても水着だ!」


「そんなの、『影』で作ればいくらでも……」


「……はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」


 そう言ったハルに、影子はワザとらしく深いため息をついて見せた。やれやれ、と肩をすくめ、


「なぁんもわかっちゃいねえな。風情がねえ。いいか? 旅行ってのは、その準備からが旅行なんだよ。そして今回の最大の見せ場は水着だ。気合入れて選ぶっきゃねえだろ? 『影』でこさえた水着なんて、ただのボディペイントだ」


「それはそうだけど……」


「あ、これなんてどうかな♪」


 ささーっと雑貨屋のR18の暖簾をくぐって水着コーナーへ向かい、目のやり場に困るような黒のビキニを手に取る影子。思わず吹き出したハルがその水着をひったくり、


「公序良俗に反するだろ、こんなの!」


「えー、いいじゃん。いちお売りに出されてるもんなんだし、モーマンタイ♡」


「もっとおとなしいやつでお願いします!」


「ちっ、いちいちめんどくせえな……じゃ、いいや。これにしよ」


 R18の暖簾を出て、次に影子が手に取ったのは、比較的おとなしめの黒いビキニとパレオのセットだった。これならビーチで他人のフリをする必要はない。


 当然のごとくハルの財布から出したお金でその水着を買い、さらには浮き輪や麦わら帽子、ビニールボールなども買い、スイカ割りのためのスイカまで予約して、ふたりはショッピングモールを出た。


 ご満悦の影子に付き従って、荷物をすべて持たされ、すっからかんの財布を抱えたハルは対照的にとぼとぼと歩く。これではどちらが主か従かわかったものではない。


「あー、楽しみ! ちょう楽しみ! ものっそい楽しみ!」


 影子がはしゃいでいる。往来のひとびとが振り返っているが、影子はまったく気にもせず、きたる小旅行に思いをはせて目を輝かせていた。


「青春の一ページ! いい夏にしような!」


 年相応の女子高生らしい笑みを向けられ、ハルは不覚にもどきっとしてしまった。重い荷物も、軽くなった財布もどうでもよくなった。


 ハルの影にずっと潜み続け、ハルに付き従い、ハルのために生き、そして死んでいく影子。


 そんな影子が少しでも楽しみに思ってくれるなら、まあ、悪くはないのかもしれない。


「……現金だな、僕は」


「んん? なんか言ったか?」


「別に」


 涼しい顔をしていたハルだったが、その口元はたしかに緩んでいた。


 先を行く影子を追い、速足になる。


「待ってよ、影子!」


「トロくせえな! とっとと行くぞ! アタシはもうすぐ寝る時間なんだよ!」


 そんな応酬をしながら、ふたりはすっかり夕暮れ時になった街をそろって歩いていくのだった。


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