三人が帰ってきたのはほぼ同時だった。どうやら目的地の島で三人で遊んでいたらしく、帰るころにはもうハルのことなどどうでもよくなっていた。
「んー、すげかったな、あの鳥! デカくてハデハデだった!」
「極楽鳥じゃないデツカ!?」
「アレ、日本に生息していい鳥だったのか?」
すっかり意気投合したらしく、三人で熱心に島での出来事を語り合っている。
そこに鼻フック状態の一ノ瀬も加わり、他人のフリをするまでもなく、ハル以外のメンバーで盛り上がっていた。
「……ひと騒がせな……」
ほっと安堵のため息をつきながら、ハルがつぶやく。今回は終始蚊帳の外だったなぁと思いながら、ひとり離れてパラソルの下で膝を抱えた。
夕暮れ時に向かって日が傾いていく砂浜は、少し夜の色を帯び始めていた。影子の眠る夜までもうすぐ。帰らなくてはならない。
陸風が吹き始め、そよそよと風に髪をそよがせながら、ハルは笑ったり怒ったりするみんなのことを眺めていた。
ちょっと騒がしいけど、平和な日常。
ハルの愛する普通の日々だ。
正直、ずっとこんな日々が続けばいいなと思っている。『影の王国』も、『閣下』も関係なく、ただ少しだけ非日常的な日常が。
この先も、ずっと、ずっと。
「……けど、それは無理」
いつの間にか輪を離れ、ハルの隣に腰を下ろしたミシェーラが、かなしげな目をしながらつぶやいた。
「……ミシェーラ……?」
「小さいころからテレビで見てた。ずっとずっと平和なままの、モノクロのカートゥーン。ワタシの大好きな世界。仲良くケンカして、最後には仲直りのハッピーエンド。その繰り返し」
膝を抱え、その上に額を乗せるミシェーラは、独白するように続ける。
「けど、現実の世界じゃ戦わなければ生きていけない。『普通の日々』がずっと続くなんて、一部の恵まれたひとたちだけ。戦っては次の戦いのために休んで、また戦う。その繰り返しが、現実」
ふと、ミシェーラの碧眼が真正面からハルの瞳をとらえた。やはりかなしげな色を帯びた視線がハルを貫き、
「……アナタは、永遠に続くモノクロのカートゥーンの世界を望む?」
「……え、と……」
「なぁにやってんだアメリカ産チチウシ! そろそろ撤収の準備すっぞ!」
影子が大声を上げて、ハルははっと我に返った。
ミシェーラはなにを言っていたのだろう?
あんなにかなしい目をして、まるで『あのひと』みたいなことを……
「ハーイ! 今行くヨ!」
当のミシェーラは何事もなかったかのように立ち上がり、撤収作業をする影子たちの元へ戻っていく。
ひとり残されたハルの胸はいつになくざわついていた。
……いや、この感じは以前にもあった。
『影の王国』……
「おーい、塚本! 急ぐぞ! なんか雲行き怪しくなってきた!」
「は、はい!」
倫城先輩の言う通り、海の方から黒い雲がやって来ている。バスは一日に三本だし、フェリーも数本だ。早く帰らなくては。
まるでハルの心境を象徴するかのような暗雲は、低いうなりを上げながらゆっくりとビーチへ近づいてきていた。
「欠航!?」
「はぁ、すいませんけど、海が荒れてまして……」
フェリー乗り場の案内員が申し訳なさそうに告げる。
さっきから押し寄せていた黒い雲は瞬く間に空を覆い、シャワーと着替えを終えてバスに乗り込んだ辺りからざあざあと激しい雨が降ってきた。時折雷も鳴っていて、近くに見える海は大きくうねっている。
たしかに、このシケではフェリーは出せないだろう。しかし、これを逃せば今日の便はもうない。
「あの、僕たち日帰りの予定だったんですけど……宿とか取ってなくて……」
ハルが言うと、案内員はうなずき、
「それはこっちが責任を持って手配しましたんで。学生さんたちを雨の中放り出すわけにはいきませんからね」
「ありがとうございます」
どうやらこの島にある宿泊施設に予約を入れておいてくれたらしい。礼を言って頭を下げ、ハルは詳しい宿泊施設の場所を案内員に聞いた。
ビニール傘まで貸してくれたが、この暴風雨のなかではあまり意味を成さない。
ビジネスホテルへ向かう道中、突然のトラブルだというのに、一行はどこか楽しそうだった。
「まさか泊まりになるとは思ってなかったデチ……ママに連絡しなキャ」
「ん、こんなことならウノとか持ってくりゃよかったなー」
「君はもうちょっと危機感を持とうね」
「なに言ってんの塚本!? 女のお泊りにはいろいろ準備が必要なの!! ね、影子様♡」
「仕方ねえからメス豚シバいて遊ぶかぁ」
「ああん♡ 刺激的な夜にしましょうね♡」
「……倫城先輩、機嫌良さそうですね……」
「ふふん、そうかー? だって、当然男子部屋と女子部屋に分かれるだろ? ってことは一晩塚本とふたりっきりで同じダブルベッドで過ごすってことで……」
「ヤメテクダサイ」
「ん、こりゃ本格的に貞操の危機だな! ふはは、童貞非処女とか誰得ー。隠しカメラは仕込んどけよ犬っころ?」
「もちろん!」
「ゼヒ新刊の参考にさせてクダチイ!」
「本格的に身の危険を感じてるんですが!?」
影子にサムズアップを返す先輩はあくまでさわやかだが、このさわやかな顔のまま口説きモードに入るので油断ならない。興味津々のミシェーラを巻き込んでいかにしてハルを篭絡するかの作戦会議が始まる。
できるだけ聞きたくなかったので耳をふさぎ、豪雨の中歩いた。
海からさほど離れていないところに、昔ながらのビジネスホテルが建っている。今夜の宿はここだ。
傘を閉じて屋内に入り、予約した名前を告げて記帳すると、部屋の鍵を渡される。案の定、男子部屋と女子部屋だ。
「じゃ、女子諸君。明日の朝にはいい結果報告するからな!」
『グッドラック!』
女子全員から親指を立てられた先輩は、はにかんだような笑みを浮かべてハルの濡れた肩を抱いて部屋に向かった。
「雨で冷えてるな……まずはシャワー浴びて着替えないと」
「きっ、着替えとか借りられますかね……?」
「なきゃないでいいだろ……どうせ、脱ぐんだし?」
イケボで流し目を送られ、ハルは小動物のように小さく悲鳴を上げて縮こまった。
このままではいけない。
食われる。
先輩のことだろうから無理矢理に、とはならないだろうが、絶対あの手この手で口説き落としにかかるのだろう。それらすべてをかわし切る自信が、ハルにはなかった。
問題の部屋の前で立っていると、先輩が鍵を開けて手招く。
「ほら、入れよ」
言われて中に入ると、そこには大きなダブルベッドがひとつ、どーん!と置いてあった。大人二人が余裕でいっしょに眠ることができる大きさだ。
……ここで眠れと……?
肉食獣の前に全裸で放り出されたような気分になって、ハルは思わず尻の穴を押さえた。
「なにしてんだよ、塚本。俺、先にシャワー浴びるわ……それとも、いっしょに入るか?」
「……ひっ……!」
もう、限界だった。
ハルは濡れたからだのまま部屋のドアを開けると、そのまま一目散に遁走した。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「待てよ塚本!」
先輩の声が遠くなっていく。悪いことをした自覚はあるが、やはり男は自分のシュミではない。
走って逃げ込んだ先は、女子部屋だった。ここしか行く当てがなかったのだ。
「……で、アンタはトンズラこいたってワケだ」
「……ハイ……」
なぜか女子三人に囲まれて正座をさせられながら、ハルがうつむく。
「はっ、ケツの穴も金玉も小せぇ男だぜ。せめてからだ張ってアタシにトピックを提供しろっての」
「オーウ、新刊の参考にしようと思ってたんデチケド……」
「なに? よくわかんないけどあんた、オカマ掘られたの? よかったじゃん、処女喪失して」
「掘られてない!!」
そこだけは声を大にして否定しておく。今後も掘られる予定はない。
「ま・いっか! タマなしチキンだから、女子扱いしてやってもいいぜ?」
「一応ついてます!」
にやにやと笑う影子に、ハルはふと耳打ちした。
「……ところで君、夜はどうするつもりなの?」
「どうするもなにも、アンタの影の中で寝るさ」
「みんなにはどう言い訳するつもりだよ?」
「んー、不眠症だから夜の散歩してる、とでも言っときゃいんじゃね?」
影子にしては珍しくマトモな発案だ。採用することにした。
「みんな、影子は夜眠れない体質だから、外を散歩してくるって」
「こんな嵐の中を!? 影子様、おからだに障ります!」
「ド変態のビチグソ処女に付け狙われて一晩同じ部屋で過ごすよりゃマシだ」
「危ないデツヨ!」
「安心して、ミシェーラ。影子はこういうの慣れてるから」
「ん! ソロキャンパーとして名をはせてたからな!」
またいい加減なことを言い出して、影子は皆から背を向けた。
「んじゃ、おやすみー。てめえら、いい夢見ろよ」
そして、部屋を出ると見せかけて、す、とハルの影の中に消えていく。『影』は光のない夜は眠らなくてはならないのだ。影子も例外ではない。
「あーあ、影子様のいないお泊りなんて楽しくないじゃん」
「そデツカ? ワタシすごく楽しいデツ!」
「ごめん、こういう事情だから、僕もこの部屋でいっしょに寝かせてもらっていいかな? 床でいいから」
「当たり前だ! 塚本なんて床でも充分すぎるし!」
「ハル、さみしかったらワタシいっしょに寝るヨ?」
「そそそそ、それはいいから! 床で寝るよ!!」
ミシェーラの警戒心のない発言に、ハルは思いっきり首を横に振った。